川を求めて2
希望の光が見えた快感と、急激に高まる緊張感に灼ける。吹き出た脳内物質に擦り切れそうだ。
虫が炎に釣られるように、一歩、また一歩、勝手に脚が動く。
水の音が聞こえる。川の流れる音が聞こえる。
疲労に重かった瞼は上がり、夜の澄んだ空気が肺に染み渡る。
耳が聞こえる。目が見える。呼吸ができるし、足も上がる。
全身に麻酔が掛けられたかのように感覚は吹き飛び、嘘みたいに体が軽くなった。
水の音が聞こえるのは、道沿いの前方。この小道を行けば、川へと辿り着く。
やっと、やっとだ。まだ見えない、ちゃんと川に辿り着けるかもまだわからない。それでも胸は高鳴り、希望に興奮を抑えきれない。
「行こう」
俺は二人に声をかけて、さらに先へと進む。
あと少し、あと少しで経路に辿り着く。
そう思えば思うほど、緊張感が増していく。受験の答え合せをしている感覚に近い。丸をつければ付けるほど、合格点に近づいていく、不安と興奮が織り混ざった緊張感だ。
落ち着け、落ち着け。焦っても何も変わらない。俺は軽く飛び、ミストを支え直す。そして大きく息を吸い込んで、逸る気持ちを押えつけた。
膝を超えるほどの草が辺りに茂る中、踏み折られた背丈の低い雑草の道を、ゆっくり、それでいてしっかりと踏みしめて歩き続ける。
緊張感に耐えながら暫く進むと、水の匂いが漂うようになった。空気は湿り気を帯びており、地面は踏み込むと少し沈むくらいに柔らかい。
夜も深く、灯りが届く範囲しか先は見えず、未だ川は視界に捉えられない。それでも川が近くにあることを実感し、安心感が湧き上がってきた。
「よ、良かった」
アリスが安堵の声を漏らした。
「なんとか川に辿り着けそうだな。川沿いに下ればいいんだろ、クリス?」
「うん、これで道がわかるよ」
一気に空気が弛緩する。それほどに安心感が大きい。
莫大な疲労感や尋常でない痛みを我慢して、先の見えない道を進み続ける。そんな果てし無く苦しい行為から解放されたのだ。ほっと息をついてしまうのも当然である。
俺も大きく息を吐いた。安心したせいか、どっと疲れが蘇ってきて、今すぐにも眠りにつきたい。
「なんかもう、ここで眠りたい気分だよ」
そう言ったアリスにクレアは「そうだな」と同意して続ける。
「私も疲れた。こんなに疲れたと思うのは初めてだ」
「俺もだよ。もう、本当に疲れた」
皆んな揃って溜息をついた。すると、何かおかしくて、笑いが込み上げてきた。そして、耐えきれなくなって吹き出してしまった。皆んなも同じ感覚を抱いたようで、揃って笑った。
いつぶりかの温かい空気が流れ、アリスが空を仰いで口を開く。
「あー着いたら私、ケーキ食べたい。久しぶりにうんと美味しい奴がいい」
「美味しいケーキか、うちにあるかなあ」
「え〜、ないの? 苺が乗ってる奴ないの?」
「いやまあ、探せばあるとは思うけど」
「クリス、自分の領のことなのに、なんでそんなに自信なさげなんだ?」
「うっ、なんていうか、昔は貧乏でケーキなんて遠い世界の食べ物だったし。金持ちになってすぐ学園に行っちゃったし」
「へえ、そうなんだ。なんか意外。じゃあクリスは、ケーキのキの字くらいしか知らなかったんだ」
「それもう全部知っちゃてるよね?」
他愛もない話をしながら進む。段々と音と川特有の匂いが強くなってきた。
森の中を吹き抜ける風は柔らかく感じる。草木は囁いているように、虫の音は穏やかに聞こえる。
落ち着いた夜の空気に酔いしれていると、茂みから物音がした。
視線を移すと、飛び出してきた狼が視界の端に映る。
声を出すまもない速さで、狼はアリスに飛び掛かり押し倒した。そのまま狼は、地面に押さえつけたアリスの首元に牙を突き立てようと喰らい付きに首を下ろす。
逸早く気づいたクレアが、瞬時に脚を伸ばす。脚はアリスと狼の間に差し込まれ、鋭い牙が突き立てられた。代りに脚を噛ませることで、アリスへの致命傷を防いだは良いものの、クレアは痛みに顔を歪め悲鳴をあげる。
俺はすぐさま駆け寄り、クレアの腰から剣を引き抜いて、狼の首に向けて振り下ろす。肉と骨を切り裂いて、噴き出た鮮血に視界が赤く染まった。遅れてゴトリと狼の首が地面に落ちる音が鳴る。
「クリス! 後ろ!」
アリスの声が届いて、振り返りざまに剣を振るうと、手には先程と同じ感触を受けた。感触に続いて、視界に飛びかかってきた狼と肩部に食い込む剣が映る。
そのまま薙ぎ払うように狼を切り飛ばした。しかしその反動で、背負っていたミストを振り落としてしまう。
慌ててミストに駆け寄り、狼が襲いかかってきた方向に剣を構え、庇うように立つ。
茂みの奥から続々と狼が現れた。1、2、3、4、5頭。目に見えるのはそれだけだが、もしかしたらそれ以上いるかもしれない。
獰猛な瞳は俺たちを捉えて離さず、じわじわとにじり寄ってくる。口からは涎が垂れ、鋭い牙が剥き出しにいなっている。
くそっ、気を抜いていた。
横目でクレアの様子を伺うと、狼に噛まれた脚を抑え、激痛に顔を引きつらせていた。まともに動けそうにもない。戦えるのはもう俺だけだ。
荒々しい吐息と唸り声、血の鉄くさい匂いで辺りが満たされる。忘れていた死の恐怖が帰ってきて、冷たい汗が一気に噴き出してくる。
これだけの数を相手に、3人を守りきれるか!? どうすればいい!
必死に打開策を練る間も、狼はじわじわと距離を詰めてきていた。





