逃げ道
地下道を出て、山中の獣道を進んでいた。
時刻は深夜。鬱蒼とした木々の隙間に差し込む、青い月明りを頼りに歩く。辺りには、虫が葉をかき鳴らす音と、きゅるきゅるという虫の声が聞こえる。
風はない、木の葉一枚とて動かない無風の夜だ。季節の割には寒くない。けれど、自分達の服装は、麻色の薄い旅装束である。布を突き抜けてくる冷気が、ぶるぶると身を震わせてくる。
火を焚きたい。けれど、それはできない。
現在地は、山中ではあるがオラール領の街の側。夜中に山から灯りを見られ、位置がバレて報告されるということだけは避けたい。
ユリスに用意してもらった経路だが、ここからさらに山頂方面に進んでいく。ドレスコード領に帰るためには、最後の最後一旦山を降りてオラール領の街に近づかなければいけないが、それまでは街から遠い山中を進むので火は焚ける。だから、ここさえ我慢すればなんとかはなるのだ。
正直いうと、遅れが出なくなった逃走についての心配はなかった。
最後にオラール領の街に近づかなければいけないが、そこからドレスコード領は、足でも1時間くらいだ。それに、アルフレッドに施した手当てを確認されただろうが、オラール家は、まさか自分たちの領を通って帰るとは思わないだろう。だから、他領や王族側の貴族の領に警戒を強める筈なので、捕らえられる可能性は限りなく低い。
詰まる所、現状問題は、と足を止める。すると、真後ろの気配もピタッと止まった。
「どうした? クリス?」
「あの、なんというかクレア。近すぎないかな?」
俺の目の前、30センチメートルくらいの距離にクレアがいた。クレアは俯いていた顔を上げ、俺の目をまっすぐに見てくる。一直線で結ばれたクレアの瞳は、ハイライトが消えている。闇に吸い込まれそうな恐怖を感じたが、夜であたりが暗いせいだと内心首を振った。
「近いだろうか。私としては、遠い、本当に遠く感じるのだが」
「き、近眼なんだね。すっごく近眼なんだね」
「クリスが離れろというなら、仕方ない。すまないなクリス。私が近くにいるだけでも苦痛だよな……」
そういって、すっと距離をとったクレアに、このまま闇に消えてしまいそうな不安を感じて焦る。
「いやいやいやそんなことないよ!」
「いいんだ。この獣道沿いに進めばたどり着くんだろ?」
「そうだけど、そんなに離れるつもりでいるの!?」
「大丈夫。約束通り逃亡に遅れは出さないようにするから」
「待ってくれ! 本当にどこまで離れるつもり!?」
「大丈夫だ。いつも近くで見てる」
ふっと笑ったクレアに体が震えた。
そんな言葉を告げられると、これからいつも見られているような恐怖を感じてしまう。真冬の寒さに加えて、心まで冷えてしまえば風邪でも引いてしまいそうだ。熱を産める気がしないから、風邪を引いてしまえば病原菌の餌にしかならないんじゃないか、と思い、また身が震えた。
「さ、寒いから側にいて欲しいなぁ」
カチ鳴らす歯の隙間から、せめて見えるところにいて欲しい、とそう告げた。すると、クレアは「逃亡に遅れを出すのも悪いから」とさっきの位置に戻った。
「は、はあ。追いついた」
そんなやり取りを終えると、後ろから息を切らしたアリスの声が聞こえた。声の方をみると、疲れた様子のミストとアリスが歩いてくる姿が見えた。
暗い山道を進んでいて気づかなかったが、ミストとアリスを置いてけぼりにしてしまっていたようだ。ゆっくりと進んでいたつもりだったけど、ミストもアリスも貴族の女子である。体力面を考慮すると早かったかもしれない。
「ごめん。ペース早かったかな?」
「大丈夫! 私まだやれるわ!」
俺が尋ねると、アリスは否定した。けれど、それは強がっているだけだと思う。
月明かりしかない険しい獣道だ。そんな場所で、離れ離れになれば目も当てられない。これからは、そういった所にも気をつけないと取り返しにつかない事になってしまうのだ。もっと慎重にならないといけない。
「クリス。私が抱えて運んでもいいが、流石に道が険しい。一人だけしか運ぶことはできないな」
苦しげにそう言ったクレアに、俺は内心驚愕した。
険しい山道でひと一人を抱えて運べるなんて、という驚きもあるが、そうではない。クレアは、さっきまで、結ばれる可能性のなさに絶望していた。だというのに、敵とも言える二人を上手く助けられないことに悩んだのだ。
どうしてそんな考えを自然に出来るのか。わからない。けれど、勝手に胸が熱くなる。
「クリス君?」
いつの間にか、息が整ったミストに声をかけられて我に返る。
「あ、ああ。そうだな。抱えるまではしないまでも、俺とクレアで、ミストとアリスを手助けしながら進もう」
「ごめんね」
「いや気にしないでアリス。とりあえず、今だけ急ごう。もう少し進むと火を焚けるから、休憩多めにとって進もう」
俺がそう言うと、ミストが安堵のため息をついた。
「良かった。正直、凄く寒かったから早く火にあたりたいんだよね」





