アリスの結論3
「退け」
飲み込まれそうになるほどの威圧感。護衛の背後には轟々と燃え盛る炎が見えるようだ。
まったく、そんな顔で、そんな雰囲気で言われたら、引きたくもなるじゃないか。
引くつもりはないけど。
自然、口の端がニヤリと釣り上がり、口内から血が垂れる。
あと、何秒稼げばいい。アリスの姿はわからないが、もうそろそろ門の外へと消えてもいい頃。まあ、男の足を止めること自体には成功した。最低限は稼げたに違いない。
ふっと肩の力が抜ける。安心感、やり遂げた達成感からか。いや、違う。子供が大人相手に相撲を取りに行く感覚に近い。
直ぐそこに死が待っているというのに、なんとも間抜けた気分でいるもんだ。自嘲気味にそう笑い、肺を詰まらせ可笑しな血混じりの咳が止まらない。
護衛の男がそんな隙を見逃す訳なく、俺に向けて剣を振るう。
瞬時、俺は目を瞑る。だが、それは諦めではない。俺は、同時に海老のように後ろへと退がった。
青い光と共に硬く砕ける音が鳴り響く。
目の前に作り出した厚めの石が斬撃を防いだのだった。直ぐに、石は斬撃の衝撃で地面に叩きつけられ、砕けて破片が四方八方へと飛びちった。
俺は腕を交差させて、破片から身を守る。刺さるような衝撃が治ると、腕を下げた。
護衛も石の破片から身を守るためか、腕を顔の前まで持ち上げていた。ゆらりと腕が降ろされて覗く顔は、先程よりも忿怒に塗り固められており、焦りからか、歯を剥き出しにしてギシギシと歪ませている。
「俺も生きられるだけは生きたいからさ。そう怒るなよ」
俺に存在する意義はもうないけれど、わざわざ死のうとはしない。だが、そうは言うものの、さあ、どうしようか。
魔法も使ってしまった。この男のことだ。一度見られたからには、次から通用しないだろう。
いや、通用するかもしれないが、仮に通用したと考えて、対策を打たれればその時点で死ぬ。
失敗は死の状況。新たな手をいくつも繰り出して、全てを成功に収めなければならない。
だが気持ちは軽い。駄目なら駄目で、それでいい。命がかかっていてもそう思えるくらいには余裕がある。
一方で、相手は見るからに余裕がない。すでに、アリスの後ろ姿も見失っていることだろう。
まあ、そこでがむしゃらに攻撃してこない所に、強さに格の違いがあると見せつけられるのだけれども。
陽の光を背に感じる。男の背後に構える校舎が本来の赤色に色づいていく。夜に冷えていた草木は雫を垂らし、地はぬかるんでいく。
暗い夜は終わりを告げ、冷たい朝が眠り、明るい昼へと世界を作り替える。
はらりと垂れた汗は風に奪い去られて、肌が乾き冷える。だが、この冷たさは気持ちいい。爽快感がある。
ある考えが頭をよぎり、再び口元が勝手に緩む。どこか自嘲というか、苦々しくもあり、心の底からでもある、そんな笑い。
余裕の性質が変わる。諦めに近い余裕から、確信からくる余裕に変わった。
護衛はそんな俺の様子に気づいたのか、息を大きく吐き、身構える。目には冷静さを取り戻し、獣が獲物の前で構えるような、一瞬で捕えて殺すような雰囲気を醸し出す。
ここまでされて、冷静になれるってな。俺じゃあ絶対に勝てない。間違いなく、瞬殺されるだろう。
俺が勝つ方法なんて全く思いつかないけれど、大丈夫だと信じられた。
今の俺にやることはもう残されてないと思ってた。けれど、信じられる。今なら、信じられるからこそやらなければいけないことがある。
だから俺は。
くるりと踵を返して走り出した。
足音は一瞬あっけに取られていたのか、少し遅れて後ろから聞こえ始める。
だが、そんなことは瑣末な事。もう既にどうでもいい。
俺はただ走って門まで行けばそれでいい。
後ろの足音にも耳を貸さず。
何も考えず頭の中を空っぽにして。
前だけをまっすぐ見て。
ただ走る。
アリスが出て行って開かれた門まで迫る。
10メートル。
7メートル。
5メートル。
3、2、1メートル。
とそこまで迫った瞬間。タンッと地面を強く蹴る音が後ろから聞こえて、影に包まれる。
門を先に超えたのは俺ではなくて。飛び上がった男の影。
影の形は男の頭から長い剣が伸びている。
そして、俺の影へとまっすぐ振り下ろされる。
が、それよりも素早く黒い影が俺の隣をすっと横切る。
ーーーカンッ。
剣を弾く鋼鉄の音を背中に門の外まで出て、振り返る。
「信じてたよ」
そこには護衛の剣に自らの剣を合わせて受け止めているクレアの姿があった。
クレアは男の剣を受け止めながらニッと歯を出して笑う。
「ここまでして、信じられなかったら、それはそれで問題だ」
そして、クレアは続ける。
「走れクリス。坂の下で逃げる準備を整えて待っている」
そう言いながらも、クレアは剣を受け止めながら、護衛の脛を蹴りつけ怯ませた。そして、駆け出した。
俺も坂を全力疾走で下る。
確信していた。あれ程、俺と共にする事を決めてくれていたクレアのことだ。アリスから話を聞いて駆けつけてくれることも。ミストがリスクを危惧して止めないことも。
そして、あそこでクレアが駆けつけないと決めつけ、自己犠牲に浸ることが、皆んなに対しての裏切りだと。
坂を下ると、そこには二頭立ての馬車があった。
御者台にはミストが座り。荷台からはアリスが顔を出し、俺へと腕を差し伸ばしている。
「クリス、早く!!」
ガタガタと馬車は揺れ始める。第に振動は小刻みになり、馬が嗎いた。
馬車は完全に動き出し、スピードに乗り始める。
「先に乗ってるぞ、クリス」
そんな声が聞こえたかと思えば、クレアが俺の前へと抜けていき、荷台へ飛び乗った。
「待て!!!!」
すぐ後ろから怒号が聞こえ、最後の力を振り絞り馬車へと近づく。
そして、アリスに差し出された手を掴むと、ぐっと足に力を入れ荷台に飛び乗った。
「全員乗車確認だねえ。それじゃあ行こうか!」
ミストがカラカラと笑い、高い音がなるほど強く馬に鞭をうった。
馬は悲鳴のような声をあげ、全速力で駆け出した。
振り返ってみると、足音は遠ざかり、護衛の男がだんだんと小さくなっていく。
「ねえ」
隣にいるアリスに声をかけられる。
アリスの顔は切なく、儚げで、目からはポロポロと大粒の涙が溢れていた。
それでも、笑顔で、最高の喜びを表すかのようで、それでいて悪戯っぽく笑って口を開く。
「騙してくれるんじゃなかったの?」
俺は、なんと答えたものか、という気持ちから、どもらせてしまいながら。
「騙す事を騙したって事でいい?」
街道に入り、最高速で王都の街並みを駆ける馬車の中で、アリスは、
「何よそれ。すっごくクリスっぽい」
と吹き出して笑った。
皆様のおかげで2巻が決定いたしました。本当にありがとうございます。
よろしければ、今後も変わらぬお付き合いよりsくお願いいたします。





