アリス
活動報告に、投稿予定(目標)を載せてあります。
廊下を走り抜ける。
ぼやける景色には、学生達の姿が浮かぶ。
学生達が談笑する姿、いつかアリスから逃げて走った景色、ミストやクレアと共に歩いた景色。
駆け抜け、後ろへと流していく。
階段を飛び降りる。
上へと流れて行く景色の中で、目が行った先は、いつか、アリスが隠れていた階段の裏。足に衝撃が走り、一瞬景色が止まる。はっきりと、見えるようにはなったが、すぐに視線を外し、前を向く。
玄関へと急ぐ。
視界に入ったのは、今は何も貼られていない掲示板。テストの結果に涙したり、模擬戦のチーム分けにドキドキした記憶が蘇る。
しかし、足を止める事なく走る。
目の前には玄関の扉。
重い気持ちで、何百回も開き通り抜けた扉。同じ数だけ、満身創痍で通り抜けて閉じた扉。
いつもなら、抜けたくて仕方がなかったが、今はほんの少しだけ躊躇われる。
けれど、速度を落とさず通り抜けた。
外へ出ると、朝の白い光に焼かれて、腕で目を覆った。
冷たく、さらりとした空気が皮膚を撫でる。けれど、冷たさに気持ち悪さはなく、むしろひりついて心地よい。肺はそんな空気で満たされて行く。
腕を目の上から下ろし、瞼を開けると、朝の彩り豊かな景色が瞳の中に差し込んでくる。
白いような、雲ひとつない青空。映える赤いレンガの校舎。春には一足早い若緑の葉の欄干。そんな草木に、挟まれるようにして、すっと門まで伸びる石畳の道。
そして、道の真ん中に立つ、美しいブルーの瞳、薄くて形の良い紅い唇、流水のような金髪を持った少女。
「……アリス」
痒い所に手が届かないような、取れかけの瘡蓋が剥がせないような、完治して跡形もない傷口が疼くような、えも知れぬ感情が広がる。
自分の体じゃなくなったみたいに、体は強張り、目の下は緩み、胸がキュッと締まり、制御が出来ない。
一歩一歩アリスに向けて足が動いて行く。
一刻も早く、伝えて逃げなければいけないことは分かっていた。だが、それでもゆっくりと踏みしめて進む。
体が重く、強風に吹きつけられるように、前へ進み難い。
だが、それでも、力強く前へ踏み込む。
アリスもまた、力強く、そして、ゆっくりとした歩調で歩みよってくる。
次第に俺とアリスの足音が重なり、世界に一つだけの音を奏でる。
遂には、音が止む。俺もアリスも歩みをやめ、人一人分の間をあけて向かい合った。
俺の顔を見上げてくるアリスの綺麗な顔は、困惑、戸惑いといった感情からか不安げだった。
しかし、それでも瞳は力強い輝きを失っておらず、真っ直ぐに向けられている。
そんな、アリスの瞳に吸い込まれそうになり、口を開けず、静寂の時を招く。
いつも聞こえている、朝を告げる鳥の声、草木のざわめき、門の外の街の声、全てが聞こえない。
けれど、二人の息の音、とめどなくなり続ける心臓の音は、いやに煩かった。
はち切れそうな胸を抑え、収縮した喉をこじ開ける。
「話があるんだ」
俺の言葉を聞いたアリスは、臆するでもなく、あっさりと口を開いた。
「私は話を聞けない」
アリスの答えは、どうして、と口にするのもおこがましい程、当然の反応だった。
どうしてとも聞いていないのに、アリスはしんしんと答える。
「私は王女で、貴方はドレスコード子爵で宰相派。一言だって言葉を交わすことは、私に付いてくれる人達に申し訳が立たない」
それは王族派閥に動揺を招く行為。全くその通りで、何も言う言葉がない。
「それに、アリスとクリスの関係もこの前で終わり。今更話すことなんかないわ」
アリスはそう強く言い切った。
瞳は更に鋭い光を灯し、俺を射抜くように、厳しい眼差しで睨んできた。
だが、すぐに異なる。アリスのライトブルーの瞳は潤み、珊瑚礁の海みたいに、何処か脆く、儚げで、息を呑んでしまう程美しい瞳へと変貌した。
「わかってるのに……なんで、私は来ちゃったんだろ」
アリスはか細くて弱い声でそう呟いた。
この時間にアリスが来た理由がわかる。
アリスの中で来るか葛藤があり、未だに来た理由さえわかっていないのだ。
だから、答えが出てなくて、今になったのだろう。
そして、葛藤の正体もすぐに理解できた。
気にしていないように振る舞っていたが、心の奥底では、俺への好意を捨てきれていなかったのだ。
だから、行ってはいけないと理解しながらも、俺の下へと来てしまった。
本当にアリスは、王女で、女の子で、なにより、欲求に素直な人間らしい。
欲求を抑えることが、美徳と言わているが、抑えきれないことの方が美しいじゃないか。
俺はそんなアリスに対して、なんて言えばついて来てくれるのだろう?
ーーーなんて。いつもの如く思える筈がない。
既に答えは、出ている。
俺の欲求は生き残りたい。信じてくれたクレアとミスト、ドレスコード領の皆んなを助けたい。
それは傲慢で、俺は都合のいい人間であるかもしれない。けれど、どれだけ考えても、どうすればいいかすら解らない。
そして、欲求を抑えきれない事は悪いことではない。
俺はアリスの揺れる瞳をしっかりと見た。
「アリス、俺を助けてくれ」
そう言って、頭を下げた。
すると、しばらくして声をかけられる。
「どういう……こと?」
「実は……」
説明しようとした、その時。
「姫さま!! 朝早く抜け出したと思えば、何故こんな所に!?」
張り裂けるような怒声が聞こえ、顔を上げる。
声の方向、アリスの後ろから、必死の形相で駆けてくる、護衛のセルジャンの姿があった。





