不安
「じゃあ、クリス君。お姫様の説得は任せるよ」
ミストは、そう言って踵を返した。
俺は、何処かへ行くつもりだと悟り、呼び止める。
「待って、どこへ行くんだ?」
ミストは首だけを俺に向けてスラスラと述べる。
「そりゃあ、門を抜けるための準備をしないとダメじゃないか。ちょっと準備をしてくるよ」
俺は、歩き始めたミストを追いかけずに、「ありがとう」と声をかけた。
この状況でミストが、もし誰かに俺のことを知らせにいったら、全てが終わることはわかっている。けれど、疑う気すら湧かず、完全に信じ切っていた。
ミストも、そんな俺の想いに気づいたのか、こちらを向かず、ただ手をひらひらと振った。手の動きはどこかぎこちなく、照れ隠しにも見える。普段から疑ってかかる俺の行動に戸惑っているのかもしれない。
教室の扉から出た瞬間、ミストは歩みを止めた。不思議に思っている間も無く、声が聞こえた。
「何で貴様がいるんだ?」
とても刺々しい声に焦り、急ぎ教室の外へと出る。
朝の光が差し込み、明るくなってきた廊下にミストとクレアが対峙していた。
両手で三つのリュックサックを提げたまま腕を組んでいたクレアは、俺に気づいたのか口を開く。
「なぜここにこいつがいるんだ?」
クレアはどこかミストを怪しんでいるのか、警戒しているのか、眉をひそめた。
ミストは首を回し、俺の方に顔を向ける。ミストの顔には困った笑みが浮かんでいた。
説明してくれ、ということだろう。
「クレア、ミストも一緒に行くことになったんだ。門を抜ける際に協力してくれる」
クレアは口をへの字に変えて、少し黙ったが、ボソボソと語り始める。
「仮にだ。こいつが純粋に私たちの手助けをするつもりだとしよう。だが、食料はどうするつもりだ?」
「ああ。食料は気にしなくていいよ〜。クリス君には言ったけど、こんな危険な場所にいるんだ。逃げる用意をしていない訳ないじゃないか」
俺の答えを待たずして、口を挟んだミストに、クレアは再び唇を歪ませて黙った。
何も言わないところを見ると、渋々ながら承諾してくれたのだと思う。
クレアもミストも犬猿の仲。ミストも嫌がるそぶりは見せないが、あまり良くは思ってないだろう。
そんな、二人がともに手を取ってくれることに、胸が熱くなった。
クレアには自分が人質にされるかもしれないという危険性、ミストには帝国と戦う機会を得るためという理由があるのはわかっている。
でも、二人からしてみれば手をとる必要は無いのだ。
自分の話を信じ、俺を助ける上で手をとる必要があると判断して手を取ってくれたと分かると自然に声が出る。
「ありがとう。クレア、ミスト」
俺の言葉を聞くと、ミストはいつものようにカラカラと笑った。
そして、クレアはというと、大きく息を吐いて、ミストに問いかける。
「で、どうやって、門を抜けるつもりだ?」
ミストからは俺も何一つ聞いていなかった。知りたい気持ちはある。だが……
「もうすぐ、七時だ。時間がない。ミスト、任せて良いか?」
ミストはニヤリと笑って答える。
「当たり前だよ。それじゃあ、クレアさんを借りてくね」
「はあ?」
「ほらほら行くよ〜」
「お、おいちょっと待て!」
不意に歩き始めたミストに、クレアは戸惑いながらもついて行く。ちょうど、階段の手前まで来たところでミストは振り返り口を開いた。
「じゃあ、お姫様を説得したら二人で学園の門の前まで来てね〜」
手を振って去って行くミストにコクリと頷き、俺は教室内に戻った。
教室内は窓から差し込む白い光が、机の木目の濃淡、黒板の深緑、床の埃とはっきりと見えるようになっていた。太陽が世界に彩りを与え始めた時間が動き始めたとはっきり感じる。
クレア、ミストのおかげで、全てが上手く転がり始めた。
絶望から救い上げられ、未来への希望が湧き出してくる。
あとは、アリスについて来てもらうだけ。
何とも傲慢な考えが思い浮かぶ。
アリスに来てもらう事は簡単な事ではない。来てもらったとしても信じてもらうことは容易でない。その上、なんて言って良いのかもわからない。
だけど、まだ諦めていないことが分かる。
もうダメだと思っていた。俺はここで全てが終わるのだと思っていた。
だが、ミストもクレアも俺を救ってくれた。今まで酷い扱いをして来たのにも拘わらずに。
こんな状況に置かれて、やっと皆が大切な存在だと気づく。
本当に都合の良い人間だ俺は。
ドレスコード領の皆を守りたいという想いがあったからこそ行動して来たことも否定しない。クレアが言ったように、仕方なかったと言われればそうかもしれない。
それでも俺は、自分のことを情けないと思う。
クレアやミストは危険を冒してまで助けてくれるとわかって、大切だと気づいたのだから。
元々、クレアやアリスを救おうとしていて、その時から無意識に大切だと思っていたのか、真偽を知るすべはない。それに、そんな事はどうでも良いのだ。
今気づき、罪悪感に苛まれ、これから罪滅ぼしをして行こうという考えを持ってしまう自分は、確かに都合の良い人間で、どうしようもない程情けないことに、間違いはない。
本当に都合の良い人間だ俺は。
繰り返し、同じことを思う。
でも、都合の良い人間だとしても、罪悪感を持っていられるならばそれで良い。感謝できるのならば、何も思わない傲慢な人間よりは全然良い。
都合の良い人間だと自覚した今、自分を正当化しているのではないかと、自分の考えを疑ってしまう。だけど、直ぐに頭を振った。
「あ〜もう! 何が何だかわかんねえよ!」
俺は振り切るように叫んだ。
あれこれ考えても仕方ない、何が本当で何が偽物かもわからない。
なら唯一本物だと分かる自分の気持ちに従うしかない。
俺はドレスコード領の皆が大切で、クレアもアリスもミストも大切。複雑な想いは山ほどあるけど、今やらなきゃいけない事は一つしかない。
そう思うと、アリスに対峙する不安は消え去り、待っていられず教室を出て、駆けだした。





