アリスと校舎裏
最後の授業を終える鐘がなると、教師が去るのも待たず、アリスはむくりと起き上がった。そして、ゆらゆらと揺れながら、歩み寄ってくる。
一体、これからどうなるのだろう。といった不安の表れなのか。教室は授業中より、静かになる。皆がゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
ついには、目の前にアリスが来て、座る俺を見下ろしてくる。その瞳は、涙で歪み、水色の瞳は赤と混じり、奇怪な色に染め上げられていた。
俺は、そんなアリスになんて声をかけていいかわからず、視線を落としてしまった。すると、不意に潤んだ声が聞こえる。
「……来て」
アリスは俺の右肩の制服を摘んだ。俺の服を摘む指は震えており、とても弱々しい。だけど、立ってついていかなければ、と思わせる力があった。
俺は、アリスに引かれるがままに教室を出て、廊下を抜け、外に出る。最終的にたどり着いたのは、いつかアリスと来た校舎裏だった。
夕暮れ、茜色に染まる世界の中で、負けず紫に染まる影の中。これまた、いつか過ごした時間。しかし、今は前みたいに騒ぎ明るい雰囲気とは真逆であった。
アリスは、俺の服を離すと、俯いたまま、震える声で尋ねてくる。
「……なんで、宰相側についたか聞いていい?」
アリスの問いにすぐに答えられなかった。
答えが出ていないわけではない。ただ、そのままの事を伝えて、今にも倒れそうなアリスを傷つけてしまわないか悩んだのだ。
「もしかしてさ、私がクレアとの戦いに水を差した事が原因だったりする? それなら、謝るから」
「違う」
「じゃ、じゃあさ。私が色々クリスに迷惑をかけたり、高慢な態度をとったから? 直すから、さ」
「違う」
「じ、じゃ……」
声の震えが増し、必死に引きとめようとしてくるアリスを見ていられず、口を開く。
「宰相側が勝つからだよ」
俺の言葉にアリスは、口を閉じ俯いた。そして、ゆっくりと顔をあげ、自虐的な、酷く弱々しい笑みを浮かべた。
「……クリスが言うんならそうなんだろうね」
無理やりな笑みを浮かべたまま、続ける。
「あのさ……。私、王城の時に、なんでも一つ言うことを聞いてもらえるって約束をしたよね……」
確かに約束した記憶がある。アリスは王族側について欲しい、と頼みたいのだろう。だけど、俺の事情だけでドレスコード家の皆を死なせるわけにはいかない。
「あれは……」
「いいの」
俺が全てを言う前に、アリスは口を挟んだ。そして、言葉を紡ぐ。
「私も無理だってことはわかってる」
アリスは、「でも」と続ける。
「クリスは嘘つきだよね」
そう言って笑ったアリスの頬には、大粒の涙が滑っていた。
「私が声を掛けようとすると、すぐに体調悪くなる振りをするし、色々私を丸め込もうとして来たし、旅行の件だって、もう守れないじゃない」
罪悪感で満たされ、何も言う事が出来ない。俺はアリスに対して、ひどい事をして来たと実感させられる。
「本当に嘘つきで嫌な奴。でも、私の敵になる前のクリスに、最後に言いたい事があるの」
「言っていい?」と尋ねてくるアリスに、頷き返すことしか出来ない。
「今日、ずっと寝込みながら考えてたの」
アリスの瞳に涙が湧き出してくる。
「私はさ、素直になれなくて、認められなかったけど、離れることになってやっと気づいたよ」
アリスの瞳から涙がとめどなく溢れだす。
「私はクリスが好き」
俺に最後に伝えたかったこと。それは、予想外にも俺への好意だった。
俺の疑問に答えるように、アリスは語り始める。
「最初は、私を賊から助け出してくれたことで気になったよ。それでさ、クリスに関わろうとして、あしらわれたり、怒った事もあったけど、そんなやりとりが本当に楽しくってさ。好きになっちゃったの」
「アリス……」
「ごめん。一方的にこんなこと言って。でも、あの時のお願いってことで許してくれない?」
健気にも、未だに笑い続けるアリスを見て、胸の奥が締め付けられ、声が出ない。
「これで、お別れね。今まで、散々酷い扱い受けたんだから、最後にもう一つだけ許して」
そういって、アリスは近寄って来る。そして、シャツの鳩尾の部分を優しく摘んで見上げて来た。
影に染められても美しく輝く金髪、形の良い紅い唇。綺麗に並んだ睫毛に、ブルーの大きな瞳。アリスの可愛さに呑まれてしまう。
ただ互いの顔を見つめ合っていると、不意にアリスは目を閉じた。その瞬間、アリスの顔が近づき、唇が触れた。
ふわりと柔らかい感触。触れ合っただけなのに、花の香りのように、抜けて甘い。蜜を求める蜂のように、飽くなき欲求に襲われ、離れた瞬間、ついばみに行こうとする唇を手で抑えた。
驚きながらも、アリスを見ると、涙を流してはいるが、爽やかな笑顔を浮かべていた。
「最後に、仕返し出来たから、満足したわ!」
そういって、アリスはにっと歯を出して笑い、呆然と立ち尽くす俺を置いて、去って行ってしまった。
それから、どれほど、止まっていたのだろうか。ふと、我に帰ったときには、既に、辺りは紺色に支配されていた。
冷静になり、思考を巡らせる。
アリスが俺のことを好きだったことに気づいていなかった。また、俺はクレアにした事と同じことをアリスにしてしまった。
罪悪感で満たされる。だが、俺は悩みに悩み抜いた末、オラール家側につくことを決めた。ここまで、されても、変えることは出来ない。
なら、やはり、クレアとアリスに罪滅ぼしとして、やれることは一つしかない。
宰相側の戦力を増やし、戦い自体を起きなくさせる。それで、クレアとアリスを絶対に守る!
俺は胸に強く決意を抱いた。





