怪我人
目覚めると、見知った天井が広がっていた。少しごわついた毛布の質感。小さな窓から入り込む光がほこりをキラキラと輝かせている。
どうやら、外はまだ明るい時間であるようだ。それに、今いるのは自分の部屋のベッド。もしかしたら。今まであったことは夢だったのかもしれない。
そう思い、体を動かそうとすると、鋭い痛みが走った。体の骨という骨が軋み、内臓は抉られるように痛む。そして、今までのことが夢ではなかったと理解させられる。
あの時、アリスに止められた時に気を失ったんだ。ってことは、結局クレアの評価を上げる前に倒れてしまったってことだよな。
「あああああ! どうしよう!?」
ふいに湧き上がって来た不安に叫んでしまい、身体中に激痛が走り、体が跳ねた。
「いってえぇ!」
あまりの痛みに声が出て再び、痛みが舞い戻る。そしてまた声が出るの地獄ループに陥る。
痛い、痛い、痛い!
悶え苦しんでいると、扉が開く大きな音が聞こえた。反射的に目を向けると、銀髪を五線譜のように靡かせ駆け寄って来るユリスの姿が見えた。
「大丈夫ですか、クリス様!?」
ユリスはベッドの前にしゃがみ込み、揺らいだ銀色の美しい瞳を俺に合わせた。
「だ、大丈夫じゃない」
すると、ユリスはホッとしたように息をつき、胸をなでおろす。
「話せるようなら良かったです」
言葉こそ辛辣なものがあったが、やわらかい口調、目の下についた薄黒い隈から酷く心配させたのだと理解した。そして、痛みが治まるまで待ってから尋ねる。
「なんで俺はここにいるの?」
ユリスは何から言えばと、少し首を傾けた後、間をおいて答える。
「ちょうど、王都から帰る途中。模擬戦を観戦しに行ったのですよ」
「来てたんだ」
「はい。そして、模擬戦が終わったと思い、一度クリス様に会おうとしたのですよ」
「それは簡単に会えなかっただろうなあ」
呑気にそんなことを言うと、厳しい視線が帰って来たので目をそらした。
「はい。遠くの戦っている姿どころか、最後に貴族の客席前で行われた閉会式にすら、いませんでしたので苦労しました」
「で、探したユリスは救護用のテントに寝かされている俺を見つけたと」
ユリスは責めるような眼差しを向けた後、こくりと頷いた。
模擬戦は貴族の子供達が戦うため、大袈裟なくらい医療体制は整っている。俺も勿論そこに運ばれたのだろう。だがなんで俺は今、テントじゃなくて実家にいるのだろう。
「ねえ、ユリス? なんで俺はここにいるの?」
「クリス様が起きなかったからですよ」
なるほど。そんなに医者を留めておく事は出来ないだろうしなあ。
「それで俺を運んだんだ。我ながら、病人を実家までよく運べたね」
「偶々、昔の雇い主の大貴族の方がおられましたので、弱みを揺すっ……、まあ色々あって最高級の馬車を拝借し、医者に同伴してもらって運びました」
「そ、それはありがとう……」
恐らく、恐喝して馬車を掻っ払い、医者を拉致して来たのだとは思う。だけど、自分を想ってのことなので、素直に礼を言っておいた。
それに、ふと思い出したが、模擬戦の会場からここまでは馬車に乗ってもかなりの距離がある。今日がどれくらいかはわからないが、今まで起きなかったとはかなり体にダメージが残っているようだ。
本当、クレア強すぎ……ってクレアだ!
「ユリス! 聞いて欲しい! 今うちの領が大変なんだ!」
「大変とは?」
「アルカーラ侯爵にうちから手を引かれるかもしれない!」
俺は模擬戦であったこと、クレアは俺のことが好きではなくなったということ、だからアルカーラ家の商会に手を引かれるであろうことをユリスに伝える。
全てを伝え終えると、ユリスは考える人のように顎に手を当てる。そして、ユリスが話し始めた内容はクレアとは全く関係ないことだった。
「まず、お聞きしたい事は黒衣の男達は他国の訛りがあったという事は間違い無いでしょうか?」
「え? まあ、そうだけど」
「それは間違いないでしょうか?」
「うん。だけど、それがどうしたの?」
俺が尋ねると、ユリスはまだ推測の域を出ませんが、と語り始める。
「私も模擬戦の土地を調べる際に、あの場所が模擬戦に選ばれるとは思いませんでした」
「そうだね。アリスが怪我しない場所って考えたら、俺もそこはないと思ってたよ」
「場所はオラール家の領の隣。オラール公爵は隣のトーポ帝国の皇女と婚約関係にあります」
確かそうだ。前回の苦しんだ歴史のテストの範囲にもあった。でも、それがどうしたというのだろう。
「もし……ですよ。黒衣の男がオラール家の息がかかっているとするならば、それは隣国の息もかかっていると見れるのではないでしょうか?」
そこまで言われて、気がついた。
黒衣の男達は明らかにアリスを狙っていた。それは、王家の人間を殺そうとしているという事になる。宰相と王の権力争いという事だと考えられたが、あの密会を見てしまった俺は、どうもそうだとは思えない。
すると、オラール家の独断であると考えられる。だが、なぜ暗殺を狙ったのか目的がわからない。
「目的は私もわかりませんが、ただオラール家とトーポ帝国に何か動きがありそうだとは思いますね」
ユリスはそう言って、俺を見た。すると、何かに気づいたのか一瞬眉を動かした後、立ち上がった。
「まあ、そんなに考えていても仕方ありませんし、クリス様は寝ててください。起きる頃には私と兄で結論を出しておきますよ」
ユリスの行動は明らかに俺への労りだ。その優しさに、ユリスは一言も言わなかったが、隈を作っていたのも俺の看病をしてくれていたからだろう。
そう思うと、勝手に声が出た。
「俺が起きてからでいいよ。ユリス、看病ありがとう」
部屋を出かけていたユリスは、振り向いて、目を丸くした。
「では、お言葉に甘えて」
そして、歩み寄って来て、何故かもぞもぞと俺の布団に入って来た。
「いや、自室で休んでくれよ!?」
「すみません。私の疲れが限界でして。もう動けません」
「さっき、部屋から出ようとしてたよね!?」
ユリスが触れるたびに体が痛み追い出したかったが、怪我人の俺には為す術もなかった。
という事で、模擬戦は次回がラストです。
そこから、ちょこっと閑話挟みます。





