クレアと
「クリス……」
坂道になっている場所。そこで、ただ棒立ちしているクレアがそこにいた。
な、なぜ、ここにいるんだ? 今頃、奇襲部隊に倒されているはずじゃないのか?
「どうして、ここに?」
クレアは少しの間黙り混んでいたが、苦々しく笑って話し始める。
「……いや。奇襲部隊を倒し切って、前線が崩壊しかけているのを見たんだ。だから、馬で山を駆け下り、先に本陣を取ろうと来たのだが……」
そう言ってクレアは自分の拳を握りしめ、震え始める。そして濡れた声で呟いた。
「来なければ良かったな……」
そしてクレアは俺に向けて弱々しい笑みを浮かべた。クレアの瞳は潤み、暗い木陰に差し込む光を反射させている。
まさか奇襲部隊を全て倒してきたのか? 酒を飲んで周りの学生は潰れていたんじゃないのか? 聞きたい疑問は山程思い浮かんだ。
だが、そんな事はどうでもいい。ただ、さっき叫んだ事を聞かれていたという事実に支配され、浮かされていたような気分は冷め切った。
クレアを見やると、風に吹かれれば今にも倒れそうな姿で、胸の奥がちくりと痛む。
あまりにもな偶然に腹をたてるよりも、何故あんな事を言ってしまったんだろう、と後悔した。
好きになった男に困ると言われれば、普通の女の子なら傷つくに決まっている。それが、恋愛にのめり込んでいたクレアなら尚更だろう。
自分の罪悪感から逃げたいが為か、純粋な労りの感情からか、クレアに何か声をかけてやりたい。けれども、ここで下手なフォローでもすれば、余計にクレアを悲しませる。かと言って、何もしないと現状は変わらない。
一体、どうすればいいのだろうか。
ただただ、二人の間に沈黙が流れる。流れる雲が太陽を隠しているのか、暗くなったり、明るくなったりを繰り返す。
どれくらい時が経っただろうか。そんな、いつまでも変わらないような時間に痺れを切らす。
駄目だ。何が正しくて、何が正しくないかなんてわからない。そもそも、正しいことかどうかなんて、結果論に過ぎない。それに、こんな時まで、何が得かとかで、考えてはいけない気がする。俺は何がしたいかで考えよう。
俺はちょろいだのなんだの言ったこと自体には後悔していない。言って、悲しませたことで後悔したんだ。だから、困っているのは本心だし、クレアと恋人的な関係になるつもりはない。
さっき、俺は本心を話してスッキリしたんだから本心をクレアに話せばいいのか。いや、ここで、本心を言えば余計にクレアを悲しませてしまうかもしれない。それは俺のしたいことじゃない。
延々と考えていると、ただ本当の事を知ってもらいたいことが俺のしたい事だと理解する。だが、ほとんどさっき本音を言ってしまった。クレアはちょろいし、ちょっと恋愛耐性に不安な面があるが、馬鹿じゃない。正確に理解しているだろう。
なら、知ったとしても理解できない事を理解してもらおう。
クレアは俺の方が強いと思っているから俺のことが好きなのだ。クレアは、俺がクレアより強くないという事実だけが分からないはずだ。もし、強くないと知れれば、今までの事は単に自分の勘違いだったと思ってくれるだろう。
ただそれを理解させてしまうと、クレアが俺をくだらない奴だと見放し、アルカーラ家もうちから手を引いてしまうだろう。それはドレスコード家にとって大打撃だ。大打撃どころじゃなくて滅びへの道筋だ。
だけど、何もしなくても結果は同じだ。なら、したい事をした方がいい。
俺は自分の中に結論が出て、クレアに声をかける。
「クレアは誤解しているよ」
クレアは俺の誤解という言葉に一瞬安堵の表情を見せた。
藁にもすがりたいのだろう。たった、誤解という二文字を容易に飲み込んでしまうなんて、ギリギリの精神状態に違いない。世に蔓延る浮気男はよくこんな言葉を簡単に使えるな、と全く関係ない苛立ちが募る。
「俺はクレアより強くない」
「え……」
一転、クレアはさっきの絶望したような表情に戻る。しかし、俺は構わず続ける。
「クレアはさ。俺がクレアより強いから好きなんだと思う。だけど、クレアは俺がクレアより強いと誤解している」
「だ……だって、入学試験では」
「あれは、本当に偶々だ。100回やったら99回負けるけど、その一回が偶々来ただけだよ。それに、あのまま続けても勝てていたか分からない」
「……」
クレアは何か理由を探そうと懸命に目を泳がせているが、思いつかないのか口は閉じたままだ。
俺はそんなクレアを置いて、近くの天幕に入り、模擬剣を取った。そして、再びクレアの元へと戻る。戻ると、クレアは歯噛みしながら、苦悶の表情を浮かべていた。
そんなクレアに、鈍い光を放つ模擬剣の潰れた刃を向ける。
「クレア。今は、模擬戦だ。これで俺が強いかもはっきりすると思う」
クレアは、一瞬戸惑ったが、自らの模擬剣を抜いた。そして、木々の生命を吸うように大きく呼吸し、剣を構えた。
「……クリス。一つ言ってもいいか」
クレアは、さっきまでとは打って変わって、酷く落ち着いた静かな声で尋ねてきた。
「クリスは私が誤解していると言った。確かにそうかもしれない」
だけど、とクレアは続ける。
「クリスも誤解している。私はただクリスが私より強いだけで好きになったわけじゃない!」
クレアは何かを振り切るように叫び、剣を掲げ、駆けてきた。