領主になることになった。
「あの馬鹿ハゲ糞兄貴共っ!」
俺はあまりに衝撃的な置き手紙の内容に、口から暴言をせき止められず溢れ出させてしまった。
「クリス様、これから次期領主となろうものが、そのような汚い言葉を使うのは許されることではありません。それに、お兄様方は馬鹿でも糞でもありません。ハゲではなくちょっと額のほうが広めなだけです」
声の方へ顔を向けると、髪で美しい顔が隠れないように、輝くような銀髪を髪留めできっちりととめた20代前半とも10代後半とも見える女性の顔があった。
「ごめんってユリス。言葉遣いは謝るけど次期領主っていうのは違うんじゃないかな?」
独り言の言葉遣いなんてどうでもいいじゃないか。そういう細かいところを気にするところが今まで結婚出来ていない原因だぞ。
という内心とは裏腹に面倒を避けるため、直ぐに謝っておいた。
「クリス様は先ほど読んでらっしゃった手紙を読むふりだけしていたのですか? そんな、非生産的な行動がお好きなクリス様にお教え差し上げますと、クリス様のお兄様方は王都の数学者になられるゆえ、家名をお捨てになった結果、自動的に繰り上げでクリス様がドレスコード子爵家の跡継ぎになられます」
「いやいや、手紙は見たからわかってるよ! でもね、兄さん達も思い直して帰ってきてくれるかもしれないじゃないか。王都の数学者なんかより、領主のほうが裕福な生活ができるんだからさぁ」
「まあ、一般的な領主であれば裕福な生活が出来るかもしれませんが、ドレスコード子爵家におきましては、古くから続く名門貴族であるという血統以外に誇るべきものはない貧乏貴族ですので、王都の数学者のほうが余程裕福に生活できるでしょうね」
「我が家に仕えるメイド長なのにそんな言い方はないんじゃないか!? 不敬罪に問われてもおかしくないよ!」
「この子爵家に仕えて10年。今や家事から政務までこなすこの美人で有能な私を排除して、子爵家が立ちいかなくなることをお望みならばどうぞ」
「ぐぬぬ……」
俺の小さな抵抗は虚しくも言いくるめられてしまった。
確かに父は病気の療養のため領主としてここ数年政務に関わらず王都で暮らしている。そのため、実質政務を取り仕切るのはこの女しか居らず、我が家で一番権力を持っているのはこの女なのだ。
「さっきから、クリス様は跡継ぎになりたくないような口振りですが私の勘違いでしょうか?」
勘違いのわけないじゃないか!
俺ことクリス=ドレスコードは、元日本人である。そして、日本人として会社で馬車馬のように働かせられ、上司には気を遣い、部下の仕事をフォローしたり同僚の仕事を肩代わりするような忙しい生活を送っており、いつか田舎でスローライフを送るんだと夢見ていた。
そんなある日、死因はわからないがこのドレスコード子爵家の三男として生を受けたのである。
こんなチャンスは二度と無いだろう! 今世では忙しい生活とは掛け離れたスローライフを楽しもう! って決めていたのに領主になればまた忙しい生活の逆戻りだ! ここは、勇猛果敢にならざるを得ない!
「そうだよ!! 俺は領主になりたくな… 「いわけありませんよね。という訳で手紙と一緒に領主様の代替わりの手紙もいただきましたので、一週間後王城にて叙勲式に参加してきてください。ちなみにこれは決定事項ですので」 」
全てを言い切る前に口を挟まれてしまった。
「そんな馬鹿な!嘘だ!嘘だと言ってくれよ!」
俺は縋るように訴えたが、この女は1ミリも表情を動かしもせず、どこか呆れたように答えた。
「諦めてください。事実です。幸いクリス様はこの10年間の私のありがたい教育のお陰で、領主としてやっていくのに最低限の教養を身につけてますので安心してください」
「あれのどこが教育なんだ! ほとんど拷問だったじゃないか! 今生きているのが不思議なくらいだよ!」
俺は生まれたときから10年間このドS女に教育という名の拷問を受け、ストレス解消に付き合わされていたのだ。
例えば、足のつかないプールに放り込まれ、沈まないように縁に掴まるたびに手を剥がされ泳がされたりした。
勉強では、毎日テストされるのだが、テストの内容は過去の授業の範囲全てで、もし1問でも間違いがあれば、全問正解するまで別のテストでやり直しさせられ続けられる。そのせいで、一晩明かしたこともあった。
他にも剣術で防ぎ方をわかるようになるまでボコボコにされ続けたり、馬術では馬を変えつつ1日中全速力で走らせたり、数え切れないほどの嫌な思い出がある。
ダメだ、思い出したら目元が濡れてきた……
「拷問とは心外です。愛故にです。クリス様は強制しないと楽するじゃないですか。むしろ、私の教育した成果が領主として最低限の能力を与えただけなのはクリス様の責任です。謝ってください」
「……ごめん」
謝りたくないのに、つい謝ってしまった。
「分かれば良いのです。それでは領主になって頂けますね?」
「はい……」
こうして、俺は領主になってしまったのであった。