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パーフェクト・ナンバー  作者: なつ
第二章 三十六枚銅貨
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 2

 甲斐雪人と篠塚桃花は無人の駅を降りた。結局一時間半近く電車に揺られていたことになるのだが、その大半を二人とも眠っていた。

「何だ、切符を買う必要などないではないか」

 と篠塚は毒づいた。未だにこのようなシステムが機能しているというのは、確かに遅れているが、すばらしいことなのかもしれない、と甲斐は思う。が、実際これを悪用するものもたくさんあるだろう。

「おい、こら、甲斐、日傘を持て」

 夏の日差しは確かに強い。けれども、それも大きく西に傾き始めている。傘を広げて駅を抜けると、陰になりそうなところなどほとんどない広場に直結していた。甲斐は篠塚から日傘を受け取るとそれを広げる。神田隆志と、この広場を越えた先にあるコンビニで待ち合わせをすることになっている。なので、甲斐はその広場を篠塚と並んで歩いた。遠くに走り回る子供たちが、それをやめてこちらを時々見ている。甲斐をではない、篠塚が注目を集めている。けれど、篠塚がそれに気がついている様子はない。

「ここから神田の家までどれくらいかかるのだ?」

「さあ、聞いてない。けど、そんなにかからないんじゃないかな」

「根拠のない話だな」

 確かに全く根拠はない。広場の周り四方にはそれほど高くないビルがいくらか見えているが、それも駅の周りだけのようだ。程近い場所には山さえもその姿が迫っている。まさか、山の向こうまで行くなんてことはないと思う。思うが……いや、まさか、歩いて山を越えるなんてことは、ないだろう。

 その広場の、甲斐がまっすぐ向かっている出口の先を、けたたましい音を響かせながらパトカーが通り過ぎる。続いて、救急車。

 田舎にそぐわない雰囲気に、甲斐の意識がそこへ向かう。けれど、それも一瞬のことだ。音はやがて遠くへ消えてゆく。広場の遠くではまだ子供たちが走り回っている。

「甲斐よ、どうしてパトカーの色が黒と白なのか知っているか?」

「目立つからじゃないの?」

「……何だ、知っておったのか、つまらん奴だ」

「知らないふりをしたほうがよかった?」

「だが、それは文章化されることによって理由が変わることもある」

 甲斐はよく分からず首を捻った。

「古いタイプの文学に特に多いことだがな。ある事象に二意を持たせることはよくあることだ。現実世界においてパトカーの色は、あれが現れ始めた頃によく目立つようデザインされたものであろうが、文章化されることによって、悪を抑圧する正義にもなるし、二分化された世界にもなる」

「なんだか嘘くさいね」

「つまり文学において、それが表現されるということは、別の意味を持たせているのかもしれないということだ。パトカーを説明するときに、下辺の黒が、上辺の白に圧迫されているような文章であれば、それにより悪が封じ込められた、と読み手が感じるかもしれない。まあ、雨が降っている文章によって、晴れていない心の内を表現するようなものだな」

「……それって、退屈ってこと?」

「その通りだ」

 ようやく広場を抜けると、一車線の道路の向こう側にあまり見かけない名前のコンビニらしきものがある。というより、他にコンビニらしいものが見当たらない。小さなビルが複数並んでいて、その一番下に学習塾やら、飲み屋らしい飲食店などが並んでいて、その一番隅にコンビニが入っている。中の様子が見えないので、道路の左右を確認してから渡ろうとすると、篠塚の手が甲斐の腕を掴んだ。どうしたのだろうかと思い振り返ると、篠塚はもう一方の手で離れた場所を指差している。

「道路を渡るときは横断歩道を通るものじゃないのか?」

 確かに篠塚の指の先に横断歩道がある。が、遠くにさえ車の影もない。

「別に大丈夫だよ、渡るよ」

「ま、待て」

 慌てるように、篠塚は日傘をさしている甲斐の腕にしがみつくようにしてついてくる。

「なるほど、なかなか厄介なものなのだな」

「横断歩道じゃなくても道路は渡れるよ?」

「理屈は分かるし、可能なことも選択肢の一つではある」

 口を尖らせているが、その顔は横を向き頬が赤い。その様子は本当に幼い子供みたいでかわいらしい。口に出してしまえば殴られそうではあるが。

 小さな駐車場の先にあるコンビニに甲斐と篠塚は入った。けれど、外から見て分かっていたことだが、神田の姿はまだなかった。やる気のなさそうなコンビニの店員がちらちらと篠塚の服を見ている。

「その神田とかいう奴はどこにおるのだ?」

「うーん、まだ来てないみたいだね。バスのターミナルが近くにあるわけでもないし、電車の時間とシンクロさせるのは難しいんじゃないかな。遅れてるのはこっちだし、一度着いてから、遅いからって他の場所に行っちゃったのかもしれないし」

「わたしたちが遅かったのか?」

「各駅停車の電車を使ったから。電話をした時間から逆算して、一時間くらい余分に時間がかかってるんじゃないかな?」

 篠塚は首を捻る。よく理解できていないようだ、珍しいことだ。

「まあいいや。そのうち来るだろうけど、何か飲む?」

「何かとは何だ?」

「ちょっと待ってね」

 そのコンビニは都合がいいことに、飲食スペースが小さくあった。買ったものをその場で食べられるようにしているのだろう。それにカウンターに直接注文することで、ポテトやハンバーガといったものも出してくれるようだ。

 甲斐はコーヒーを二つ注文して、窓際の椅子に篠塚と並んで座った。少しして店員に呼ばれ、甲斐はコーヒーを受け取った。

「砂糖いる?」

「甲斐は?」

「ブラックでいいけど」

「ならわたしもそれでいい」

「苦いよ?」

「そうなのか?」

 プラスチックのコップを両手で支え、篠塚はコーヒーに口をつけた。

「!!?」

 途端、テーブルにコップを置くと、甲斐を睨む。

「な、何だ、この毒のような液体は?」

「コーヒーだって。飲むの初めて? 毒みたいって形容詞は当たってると思うけど」

 甲斐は慣れた手つきで篠塚のコップに砂糖とクリープを注いだ。色は緩和され、薄くなる。

「これでだいぶ甘くなったと思うけど」

 恐る恐る篠塚は再びコップに口をつける。一口、二口、と今度はゆっくりとではあるが飲んでいるようだ。甲斐も自分のコーヒーに口をつけた。が、うん、まあ、あまりおいしくはない。コンビニのコーヒーに求めるのは酷かもしれないが。

 そのまま甲斐は通りを見つめる。それなりに大きい道ではあるが、やはりほとんど車は通っていない。その先にある広場は周りが木々に覆われていて、その木々の間から子供たちが走り回っている姿が見える。

 夏休みのお盆が過ぎたところで、まだ穏やかな日常だ。何事もなく過ぎていけば、それはそれで素敵な日々なのだろう。けれど、神田隆志からの手紙を考えると、そこまで穏やかなまま過ぎてはくれないのだろう。強盗犯が近くに潜んでいるのだから。

 ふっと意識を戻すと、窓の近くで神田が手を振っているのに気がついた。甲斐も手を振り返すと、神田はコンビニに入って来る。

「悪いね、待たせた?」

 短く切りそろえられた髪に、丸いめがねに愛嬌がある。その奥で目は小さく微笑むように閉じられている。

「いや、こっちも来たところだし。むしろ、到着が遅すぎたかなって」

「そうか? まあ、普通じゃないと止まらないような駅だし、もう一本くらい遅いかな、と思って出てきたからね」

「もも、飲み終わった?」

 篠塚のコップにはまだコーヒーが残っていたが、最初からあまり量が減っていない。おいしくなかったようだ。ぴょんと椅子から飛び降りると、篠塚は甲斐の後ろに回る。

「ああ、いいよ、急がなくても」

「もういらない」

 小さな声で篠塚が答える。

「えっと、電話で話した妹、桃花っていうんだけど」

「よろしく」

 神田の挨拶に篠塚は甲斐の後ろから頭だけ下げた。

「ほら、きちんと挨拶しなよ」

「うるさい、だまれ」

「悪いね、普段はあんまり人見知りなんてしないんだけど」

「ははは、いいよ、ちっちゃくて可愛いね、よろしく」

 神田は体を屈めるようにして、篠塚に挨拶を繰り返した。けれど、篠塚は甲斐の背後にさらに隠れる。

「このまますぐに家に向かうの?」

「ああ、そうだね。歩いて三十分くらいかかるけど、大丈夫?」

 三人揃ってコンビニを出る。

「歩いて五十分くらいのペースでお願いするよ」

 甲斐は日傘を広げながら答えた。


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