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パーフェクト・ナンバー  作者: なつ
第一章 予告される先の物語
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 5

 前途多難ではあったが、こうしで無事に電車に乗ることができた。これにもおかしな(というか、普通ありえないような)エピソードが二、三あったのだけど、篠塚桃花の名誉のために省略させていただく。まさか、篠塚がこんなにも常識に疎いとは思わなかった、とだけ付け加えておく。

 今は名古屋から、中央線を東にむかって電車に乗っているところ。のんびり旅行ということにして、すべての駅に止まっていく電車に、甲斐雪人と篠塚は並んで座っている。篠塚は窓側に座り、窓辺に寄り添って外をずっと眺めている。

「もしかしなくても、電車に乗るの初めてなんだよね」

「本では読んだことがある。およそそうなのだろうということは頭では理解できる。が、思ったほど自分の行動というのは抑制がきかないということが分かった。大きな収穫といえるだろう」

 答えながら、まだ外の景色を目で追っている。その様子はまるで小さな女の子だ。ハスキーな声がもしも甲高かったとしたら、誰がどう考えても甲斐よりも年下だ。

「だから、僕が単に無能ってわけじゃないっての、分かってくれた?」

「わたしはお前を無能などと思ってはいない」

「あら、そうなの?」

「簡潔に言えば、無駄が多いということだ」

 そうだろうか、と甲斐は疑問に思う。だが、篠塚が言うのだから間違いないのだろう。

「どのような状況下にあっても思考は左右されない」

「無理」

「まあ、今のお前では無理であろう。だがいずれ分かる」

 それから篠塚は窓から視線を外すと前を向き直った。

「もう飽きた?」

「事象の観測は終わった。あとどれくらいこれに乗っていなければならないのだ?」

「まだ乗り始めたところだよ。あと三十分か一時間くらいじゃない?」

「何だその曖昧な表現は? くらいでくくれる誤差ではない」

「電車なんてそんなもんだよ。別に急ぐ必要もない」

「本当に急ぐ必要がないのか?」

 篠塚が甲斐を横から見上げる。

「どうだろう。僕が行ったところで、本当にどうにかなるなんて神田も考えていないと思うんだ。息抜きがしたいんじゃないかな」

「なるほど、それは面白い思考だ」

「でも、できることなら協力はしてあげたいと思うよ」

「その強盗事件というのを甲斐は知っているのか?」

「さあ、もしかしたら新聞に載ったのかもしれないけど、ちょうどその頃って、合宿に参加していたから。ももは?」

「新聞はほとんど読まない」

 つまり知らないということだ。本当に強盗殺人があったのならば、新聞やワイドショーで取り上げられそうであるが、テレビでも見た記憶がない。名前が伏せられていて、甲斐が認識できていないだけかもしれないが。

「退屈だぞ、甲斐。何か面白い話でもないのか?」

「はぁ?」

「そうだな、三十分くらい悩みそうなパズルでも隠し持っていないか?」

「んー、いきなりそんなこと言われてもなぁ」

 篠塚はぶぅぶぅと文句を言いながら時々外の風景を見ている。都会のビルの雑踏も少なくなり、遠くに田園があちこちに見えている。電車と集会は眠るに限る、というのは甲斐の持論だが、篠塚を無視して寝てしまうのは申し訳ない。

「甲斐よ、例えば同じ大きさの円が二つあったとしよう」

「何?」

「わたしが悩んでいるパズルだ」

「へえ、ももにも分からない問題があるんだ」

「一方が他方の円周を一周重なるように回るとしよう。分かるか?」

「同じ大きさの雪だるまを想像すればいい?」

「そうだ。外側の、回っている円はその間に何回転している?」

「うん? 一回転じゃないの?」

「考えてから答えよ」

 篠塚からの問題に甲斐は思考を集中する。雪だるまの接している点を思い浮かべ、上の顔の部分が下の体部分を四分の一回ったところを想像する。その時点で接していた点は上に来ている。

「あれ? 二回転しているの?」

「そうだ。この問題に関しては、正方形を考えたほうが分かりやすいかもしれない」

「それで、ももが分からない問題って?」

「今度は車輪を思い浮かべよ。二重の円だ」

「思い浮かべたよ」

「外の円を地面につけて、右に一回転進めたとしよう。そうなれば、当然進んだ距離というのは外の円のつまり円周になる」

 そうだね、と甲斐は相槌を打つ。

「そのとき、内側の円は何回転している?」

「二回転?」

「考えてから答えろと言っておろう」

「一回転でしょ、くっついているんだから」

「その通りだ。では、内側の円も同じようにして、一回転で同じ距離を進んでいる。空中ではあるが、それはつまり円周のことにならないか?」

「そう、だね?」

「つまり、この思考実験によって、あらゆる円の円周は等しいということが証明されてしまうわけだ」

「え、そんなわけないでしょ?」

「むろん、そんなはずない。だが事実だ。この矛盾に対する甲斐の回答を期待する」

「ももにも分かっていないのでしょ?」

「うむ。おそらく、そうなのだろいうという曖昧な回答しかない。この問題に対する本は色々と読んだがな。どれも納得がいくものではない。わたしたちの世界の常識が、当たり前のところで間違っていると証明されてしまうのだからな」

「これは退屈しないですみそうだ」

「さて、あと二十分くらいか?」

「三十分か一時間でしょ?」

「変わってないじゃないか」

「あわてない、あわてない」

 甲斐は目を瞑る。普段ならそのまま眠ってしまうのであろうが、どうやら思考がそうさせてはくれないようだ。横でももも大人しくしている。もしかしたら彼女は眠っているのかもしれない。

 電車の、ゆっくりとした振動が、心地よく続いている。


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