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この夏休みであるという学校が長く休みである期間は、およそ無駄であると思うわけだが、わたしからしてみれば、この期間ほど有意義なものはない。
図書棟を訪れる生徒の数は普段に増して少ない。芹沢雅から注意を受けはしたが、この時期であれば、日中に本を探したとしても、誰も怪しむものもいない。多少明るい光の中で、自分が読みたい本を好きなだけ探すことができるのだ。それに、生徒の数が少なければ、それだけ物音も響かない。本に集中していられる時間が長くあるというものだ。
そんなわけで、篠塚桃花は、いつも長期の休みを重宝していた。のにである、今年の夏休みはなぜかイベントが多い。自ら招こうとしている事象もあるのだが、それ以外の、つまり予定外のイベントが重なる。
夏休み初めの合宿にしてもそうだ。芹沢も、今年の夏休みはやたらと図書棟に現れる。確かに高校も三年、最後だというのも分かる。が、それにしても多い。
それにもまして、今日もきっと甲斐雪人は無遠慮にここへやってくるだろう。
あれがいると自分のペースが乱れてしまい、どうも落ち着かない。もともと、あれの選別に篠塚が関わっていたのも理由であろうし、それ以降も、ちょくちょくと遊びに来る。望んでいたことではあるけれど、どうも最初の目的とずれてしまっている。篠塚自身、どうすればいいのか分からなくなるし、本も、最近すっかり読めていない。
どうしたものか、などと思い悩むことなんて今まで一度もなかったことだ。
本当に腹立たしい。
なのに、
どうして、わたしは待っているのだろうか。
「ももー、入るよー」
いつもより少し遅い時間に、甲斐の声が響く。篠塚は一瞬身をビクンと震わせると、何食わぬ様子でベッドの縁に座り、本を膝の上に置いた。
「また来たのか?」
「本でも読もうと思って」
「別にここで読む必要などないであろう」
「別にここで読んでもいいでしょ?」
「まあ、そうだな」
「それに、今日の用事はそれだけじゃないんだ」
甲斐がベッドに座ると、篠塚の視界は大きく歪む。すぐに落ち着きと取り戻すと、隣に座った甲斐を見上げる。
「なんだ、また厄介ごとか?」
「どうだろう、そうかもしれない」
そういいながら、甲斐は胸のポケットから紙を取り出した。それを覗き込むが、見たこともないような横文字が並んでいる。もしかしたら縦書きなのかもしれないと考えるが、やはり見覚えはない。筆の進み具合から考えて、やはり横に文字は連なっているように思うのだが。
「ももでも読めない言語があるんだ」
「わ、わたしだって万能ではない。暗号か? 得意分野ではないが、一つずつ解読すればできないことも……」
「冗談だって。これ、日本語だよ?」
「日本語?」
「そう。下手な字だけど、一文字ずつ考えていけば読めなくはないよ」
改めてその文字を眺めると、確かに日本語として認識できなくはない。
「この手紙を読んでいたから今日は少し遅くなっちゃったんだよ、ごめんね」
「別に待ってなどいない」
「だけど、今日はこれの読み方講座なんてやってる時間はないから、簡単に説明してあげるよ」
「お前、まるでわたしの話をきいてないな」
「何か言った?」
「……いや、何でもない。それで、どんな厄介ごとが書かれているんだ?」
「僕のクラスにね、神田隆志って、まあ、友達がいるんだけど、これは彼からの手紙。夏休みを利用して帰郷しているらしいんだけど」
手紙の内容は、思ったよりも重大なことのようだ。
神田隆志の実家に強盗が押し入り、彼の姉を殺して逃げてしまったそうなのだ。事件そのものは夏休みに入ってすぐのことだったらしい。ようやく落ち着きを取り戻してきて、こうして手紙を送ってきた、とのことだ。甲斐を呼ぶ、というのは、要するにまだ犯人が捕まっていないので、その犯人を名指しして欲しい、というのだ。非常に、恐ろしい依頼ではある。が、一般的に最初の、芹沢雅の事件の解決に甲斐が関わっていたという噂が流れているのだから仕方がないことである。
「それで、これから神田の実家に行こうとしているところなんだ」
「わざわざここに寄る必要などないではないか」
「うん。でも、明日から来られなくなるから、断っておいたほうがいいだろ?」
「全く、お前の行動は支離滅裂だ」
「それってこの本のこと?」
「それもだ」
「これはももに薦めようとして持ってきたんだよ」
「わたしがシンデレラなんて、しかもそれ、絵本じゃないか」
「読んだことないでしょ?」
「原典で読んだわ」
「こっちのが面白いって」
「わたしを馬鹿にしておるだろう」
「まあまあ、そういうことだから」
「ちょ、ちょっと待て」
立ち上がろうとする甲斐を呼び止める。
「それでお前、のこのことそこへ行くのか?」
「そのつもりだけど?」
「……雅お姉さまの誕生日は?」
「聞いたよ?」
「……わたしも行く」
「は?」
「わたしも行くと言ってるんだ」
「誕生日の話? 芹沢さんから聞いたよ、ももも来るって」
「そっちじゃない。その神田って奴の家にだ」
「は?」
「お前、わたしを馬鹿にしておるだろう」
「い、いや、してないしてない。だけど、え?」
「甲斐一人で行ったところで、何の足しにもなるまい。それなら初めからわたしが行ったほうが早く済む」
「それって、僕一人じゃ芹沢様の誕生日に間に合わないってこと?」
「それもある」
「それ以外に何がある?」
甲斐に会えなくなる、という言葉をとっさに篠塚はかみ殺す。思うよりも先に、口から出てしまうところだった。それに、それだけではない。神田隆志といえば、あの神田勇治郎の孫に当たる。
「それに、ももってここから出ても大丈夫なの?」
「だからお前はわたしを何だと思っているのだ」
「何って……」
甲斐は何かを言いよどむ。けれど、それはまだ甲斐が核心にたどり着いていない証左にしかならない。そこにたどり着いていれば、言いよどむ理由などなくなるのだから。
「まあいい。それは今度の誕生日に明らかになるだろう。それよりも行くといったら行くぞ」
「わ、分かった。それは分かったよ。でも、問題が残るよな」
「何だ?」
「それを解決するにはこうするしかないんだけど」
「何だ?」
「ももは僕の妹ということで」
「は?」
「そういう理由がないと連れて行けないんだよ、世間一般的に」
「そんなことは分かっている。だが、姉の間違いだろう?」
「どう見ても妹だろ?」
「わたしのが年上だ」
「信じてもらえないって」
「信じてもらう必要などないであろう?」
「それができないのなら、連れて行かない」
「……分かった」
何という屈辱であろうか。




