その切先が映すものは
いくつもの山を越え、谷を越え、村々を渡り歩いてはや半年。
たどりついたレッドフォックスという、村の名を冠する、かつて勇者が利用したという宿屋で食事をしている時に、その話が耳に飛び込んできた。
「今日はパティちゃんいないのかい?」
「ああ、そういやいないな。また勇者様のとこにでもいってるんじゃないか?」
「娘は今トリシャと一緒だよ」
隣のテーブルの、常連客と思われる男達と、いかつい店主の会話。
「ちょっといいかい?」
思わず声を掛ける。それはもしかしたら探し人かもしれなかったから。
詳しく話を聞いてみれば、やはり探している人物に間違いはなかった。
思わず口角が吊上がる。
「ありがとな、ここはおごらせてもらうぜ! 店主!」
金貨の入った小さな袋を、無造作に投げ渡すと、はやる気持ちを抑えて宿屋を出る。
(ようやく会えるかもしれない!)
教えられた通りの道を進み、けれど、その先でまずいものと出会ってしまった。
「なんでこんなところに……」
まずいもの、というより厄介事、というべきか。職業柄厄介事が付き物にせよ、こんな僻地ですらぶつかってしまう事に辟易してしまう。ようやく件のログハウスに辿り着いたと思えば、目の前では、豪華な馬車の横で、魔族の子供と人間の少女が相対している。
もし、探している人物が本当にここらにいるのだとしたら、この目の前にいるものの存在を許すはずがない。
あるいはハズレを引いたか。
すでに目的の人物はここにはいないか、もしくは人違いか。
「ま、しゃーねーか」
一瞬ため息をつくが、すぐに腰の得物に手をそえると、自身の使命を果たすため、放たれた矢の様に飛び出す。
息をつく間もない高速で飛び出し、その速度をさらに上回る速さで腰の剣を抜き、それはそのまま魔族の首に吸い込まれていく。
突然の出来事、驚愕にその紅い瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間には、魔族は声を出す事も出来ず絶命する、はずだった――
*
「冒険者になろうと、思っています」
雷光が、アイナの顔を照らし、決意にみちたその表情を浮かび上がらせる。
ああ、そういうことか、と、ユウはアイナを任された時のノールの念押しの理由に辿り着いた。
要は、何を思ったのか、アイナが冒険者になると言い出して、ノールが説得をしたが失敗に終り、今度はユウに説得をして欲しい、という事なのだろう。しかし、アイナの決意に満ちた表情を見る限り、そして海千山千のノールが説得に失敗したとあって、この決意を崩すのが容易でない事は、想像に難くない。
何故、と問うのは良い手ではない。どんなに内気で引っ込み思案な少女であったろうアイナでも、あのノールの娘だ。冒険者になる理由などいくらでも用意してきているだろう。何より、ユウの知ってる中でも、貴族から冒険者になった例は少なくは無い。
前例がある事もさることながら、そもそも、何故と聞かれてしり込みしてしまうくらいなら、ノールは説得に失敗しなかっただろう。
それでは、何故彼女は冒険者になりたい、と言い出したのだろう。
本当の理由は想像が着く。
――リン、だ。
あの日、馬車から見せたアイナの表情は、決して何かに怯える少女の表情ではなかった。
想像の域を出ないにせよ、あの時、リンの姿に怯えた少女は、けれど、すぐに何かを決意し、そしてそれを実行に移すために最も手っ取り早い手段をとろうとしているのだ、と。
そして、その想像は大方において正しかった。
アイナは『貴族の嗜み』として、礼儀作法から剣術、魔術にいたるまで専属の教師がついて教育を受けさせている。それは引っ込み思案を直すきっかけにならないか、というノールの親心でもあった。
結果として引っ込み思案を直すきっかけを作ったのは、その誰でもない、ユウとリンという人物だった。
ほんの僅かな時を、共に過ごした人物が、アイナの心を揺さぶり、変化をもたらしたのだ。
あの一件から、アイナは以前とはより一層、学問、武門に励むようになっていた。流石に、初対面の人間にはしり込みする場面もあったが、それでも以前と比べればまるで別人のようだ。
社交界へのお披露目も済み、方々から縁談の話も舞い込むようになってノールとしても一安心、という所に、アイナの口をついて出た言葉が「冒険者になりたい」だった。
これにはノールも面食らってしまった。
立派な貴族として恥ずかしくない、同時に引っ込み思案も治せるならと思い、受けさせた礼儀作法も、学問も、武術も、アイナにとっては目的を達成する――冒険者になるための手段になっていたのだ。
ノールが説得を試みるも、アイナは決して聞き入れることはなかった。
何故か。
あの時アイナは、確かに得体の知れないリンの力に恐怖した。
けれど、それからアイナは考えていたのだ、幼いながら、どうすれば良いかを。
リンが特別だということは、その容姿をみてもすぐにわかった。けれど、そんな事は途中からどうでもよくなっていて、一緒にいたのはたったの数日だったけれど、アイナにとっては最早かけがえのない友人になっていた。
そして自分はそんな友人の姿に恐怖した。
それが許せなかった。アイナは自分を許すことができなかった。
そんな自責の念の中、自分がリンに恐怖したのは、自分が弱いからだ、とそう思い至る。
リンの変貌を迎えても、等身大の彼女と並び立てる力を手に入れたい。そのためには知識、研鑽、経験が必要だった。
最も効率よく、それを手に入れられるように見えたのが、冒険者。
それがアイナの出した結論だった。
硬く握られた拳、真一文字に結ばれた口。そして真っ直ぐに前を向く瞳。
それは決意を表すと同時に、例えユウの説得でも聞きいれる事はない、という断固たる姿勢をも表していた。
「冒険者に、なりたいんです」
「そっか」
けれど、ユウは、アイナのその言葉を受け止めて、ただ一言。説得をされるものだとばかり思っていたアイナは、ただその一言に、牙を抜かれたかのように一瞬呆けてユウを見上げた。
そこには、あの笑顔があった。
料亭で、馬車で、宿屋で、そしてあの事件の後も見せてくれた、優しい、包み込んでくれるような、柔らかな笑顔。
目頭が熱くなって、思わず引き込まれそうになるほどの、優しいユウの笑顔。けれど、アイナはそれを突っぱねるように、より堅く口を結んでユウを睨むように見上げた。
「私は、反対はしませんよ。アイナ様は、アイナ様のなりたいもの、目指すものがあって、そのために努力を続けているのでしょう。その決意が堅い事もわかります。けれど――」
少しだけ悲しそうに、眉尻を僅かにさげるユウに、一瞬たじろぐも、歯を食いしばってアイナはユウの言葉を待つ。
「けれど、決して独り善がりには成らないでください。アイナ様、あなたにはノール様や、あなたを大切に思っている人がたくさんいるのです。今はまだ、わからないかもしれません。けれど、いつかわかる時が着ます。その時に後悔しないよう、アイナ様自身と、周りを、大切にしてください。あなたが大切に思われているように」
そうして、下がった眉尻に悲しみがなくなって、ユウはほう、とため息をついた。それから、また、笑顔――
より一層優しさが溢れた眼で、表情で、ユウは、睨むように強張った顔のアイナを見つめた。
「わた……私は、冒険者に……なる……です」
頬が熱くなって、思わず目を背けるアイナは、下を向いて縮こまりながらも、ひねり出すように呟いた。
「はい」
その呟きにも、ユウは短く応える。それから『小道』につくまで、二人は言葉を交わすことはなかった。
馬車が小道に辿り着く。
さっきまで轟いていた雷鳴は収まっていて、雨も上がっていた。
けれど、黒い雲は相変わらず頭上で微かに音を鳴らしている。
突然の雨にぬかるんだ地面に降り立ったユウとアイナ。
「あ……」
『小道』の玄関のガラス戸から、カウンターで話しているリンとフーディ、アール家の使いの男の姿が微かに見て取れる。そのリンの姿に、アイナは小さく声を漏らした。
「どういたしますか?」
まだ引き返せるタイミング。ユウが聞いたところで、リンが玄関の外の人影に気付いた。
「おかえ……り……」
飛び出すように勢いよく出てきたリンが、ユウの隣の人物に気付いて、言葉を失う。
「…………リンちゃん」
「……アイナ」
見つめあって、時々視線を外して、宙を泳いだその視線が、またぶつかり合って見つめ合う。
そんな事を何度か繰り返して、ようやく出てきた言葉が、お互いの名前。
それから、二人とも同じように下を向いて黙りこくってしまった。
そんな二人を、何も言わずに黙って見守るユウ。
二人は下を向きながらも、時々ちらちらとお互いを確認するように見ては、言葉を探しているようだった。
「とりあえず中に――」
いつまでも動かない二人を店の中に入れようとユウが口を開いた瞬間、物陰からそれが、とてつもない速度で躍り出てきた。
腰に下げた刀をすべるように抜き放つ、ツクシの国、東国に伝わる剣術『居合』。
それがリンの首目掛けて放たれようとしていた。
飛び出てきた瞬間に気付いたユウが、即座に腰の短剣を抜き放ち、その軌跡にぶつける。
剣戟。
甲高い金属音が響いて、驚いた森の鳥達が一斉に羽ばたく。
「なんだと!?」
渾身の一撃を防がれた、その人物は驚愕の声をあげた。