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故郷からの贈り物

 コーヒーの黒い湖面にユウの顔が映りこむ。


 その顔はいつものような笑顔ではない。

 少し憂鬱な顔だった。


 外は雨。

 朝からしとしとと、降り続いている。


 雨だから憂鬱な顔をしているわけではない。いや、ある意味で雨の所為でもある。

 黒い湖面に映った自身の憂鬱な顔をみて、ため息を一つ。

 何とはなしにマドラーでかき混ぜると憂鬱は歪んで消える。


 けれど、波が収まれば、さっきと変わらぬ憂鬱がそこにあった。


 ユウは勇者である。

 ある日神のお告げ――神託を受けて膨大な力を得て、数多の冒険をしてきた。

 色んな人々、村々の事件を解決し、その英雄譚といえる所業は各地で語り継がれている。


 勿論、全てが全て上手くいっていたわけではない。人一人の力などというものは高が知れている、それが例え神託を受けた勇者であったとしても、だ。


 救えたかもしれないけれど、救えなかった事。

 防げたかもしれないけれど、防げなかった事。


 上げれば枚挙にいとまがない。

 けれど、人々はそういうものを乗り越えて生きて行く。


 あるいは親しいものの死だったり、あるいは自身の治癒のできぬ怪我だったり、病気だったり。

 悲嘆にくれて、けれどそれでも自分は生きているんだと叫ぶ。


 人間のなんと強いことか。


 そしてユウもまた、人間である。

 少しばかり人智を超えた力を手にしてはいるが、人間である。


 だからこそ、多少憂鬱になっても、越えていける。ユウは人間の、人間である自身の力を信じているのだ。


 それにしても、後悔はつきない。


 あの時魔法が上手に使えていたら、あるいはもっといい方法があったかもしれない。


 けれど後悔は先に立たないものということを現実として突きつけてくる、目の前にある一冊の本を撫でてやる。


「…………お母さん、あけちゃだめですよぅ」


 ユウが目頭をつまみながら呻くように呟いた。

 その本には魔法による施錠がしてあったはずなのに、しっかり解錠されていて、おそらくその中身も既に判明している事だろう。


 少し厚めで、立派な装丁の留め具と鍵の付いた本。


 その表紙は青の染料で彩られ、その中央には整った文字でこう書かれていた。



『私の日記帳』





 事の発端は、ギルド経由で送られてきたユウの母からの手紙と、そして荷物だった。

 手紙には、村の事、ユウの事、そしてリンやキャニの事が書いてあって、最後にいくばくかの物を届けます、と締めくくられていた。


「おばあちゃんから?」


 その事を知ったリンがひったくるようにユウから手紙を奪って、キャニと一緒に何度も何度も読み返しては目を輝かせていた。


 荷物には、日持ちするようにと乾燥させた肉や穀類、村の僧侶先生が調合した薬の他、かつてのユウの愛読書などが詰め込まれていて、ありがたいと思いつつ荷解きをしていたのだが、そこから転がり出てきたのが――『私の日記帳』だった。


 青い本・・・が荷から転がり出たとき、ユウは固まった。しかし、次の瞬間には人智を超えた速度で転がり落ちた本を拾い、懐に収める。


 どうしてこれが荷物に入っているのか、確かにあの日いつもの・・・・場所へと置いてきたはず。にもかかわらず、何故ここにあるのか。そして施錠したはずの本が解錠されているのは何故か。それにしてもこれを人目に触れさせるわけには、リンやキャニに見られるわけには行かない。即時回収、即時封印。

 そこまで考えてほろけた本を拾う。


 ――この間、一秒もない。


 ユウにとって、これは決して人目に触れてはいけないもの。いや、既に見られている可能性は高いのではあるが。

 母親が解錠を使えるわけがないので、恐らく解錠したのは僧侶先生。

 けれど、あの女神のような聖人君子のような人が、のぞきのような、盗み見るような事をするだろうか?


(するなぁ……しかも悪意なく……)


 満面の笑顔を浮かべ、「勇者にあるまじき」ことはないかと、悪意もなくチェックしている場面がありありと思い浮かばれる。ユウをどっと疲労感が襲い、懐に入れた本がやけに重く感じた。


 ともあれ、荷物を片付けていつも通りの喫茶店営業をすることにしたユウだったが、しかし、懐の本が気になってどうにも落ち着かない。

 この家にはユウの個室はないから、この本を安心しておいて置ける場所がない。寝室の本棚に置いておくにしても、本好きなリンがいずれ見つけてしまうだろう。


 まだ日記帳とかそういうものに興味はなかろうが、将来はわからない。キャニにしても、日記というものがよくわからないだろうけれど、無駄に勘の良い獣娘であるから、目に触れさせるのは危険だ。


 ふと店内を見渡して、いつものことなのだが客がいないのを少し寂しいような、それでも今は渡りに船といった体で、リンとキャニにちょっとだけ店を任せて、ユウは寝室へと向かった。


「さて、どうしよう」


 部屋の椅子で腰を下ろしたユウが懐の本を取り出してじっと見つめる。

 見つめた所で何が変わるわけでもないのだが、とにかく真剣な眼差しでじっと見つめていた。

 やがて、おそるおそるその本を開いて――すぐに閉じた。


「………くっ」


 一瞬呻くも、また危険な物でも扱うかのように慎重に本を開く。


 時にページを飛ばしたかと思うと、恐る恐る戻して読み、顔を赤くさせたり、時には頭を掻き毟る様な動作をしつつ、読み進めていくユウ。

 一体『私の日記帳』の中には何が書かれているのか。


 ある時ユウの手が止まる。


 そのユウの顔ははっとさせられたような、懐かしいような、けれど見た事もないような微笑に満ちている。

 そのページに書かれていたのは勇者のお告げを聞いた日の事。


 母と僧侶先生にその事を告げ、激励を貰った事、困惑するばかりの自分を優しく受け止めてくれた人たちの事。そして、半信半疑ながらも剣や魔法を教えることを申し出たくれた人たち。

 そのページには自分の困惑する様子がありありとかかれてあるから、そのおかしさと気恥ずかしさも手伝って、同時にそのときの人々の優しい顔を思い出して、ユウは微笑を禁じえない。


 そのページはこう締めくくられていた。


「皆が笑顔で私を守ってくれる。だから私も皆の笑顔を守る」


 単純だったなあ、とユウは当時を思い起こす。それでも、これは本気の決意だったし、勇者になって初めての決意表明がそこにはあった。

 かつて少年冒険者に語った、自身が冒険者になった理由。

 あれはこれまでの経験も加味されての話でもあったが、何の事はない、ユウの根っこにはこの決意があったのだ。


 ――笑顔を守りたい


 だから勇者として必死にやってきた。出来ない事もたくさんあった。後悔する事もたくさんあった。人々と笑い、悲しみ、そして戦い、勇者として役目を果たしてきた。


 そして今、一番守りたい笑顔がある。


 勇者を引退してまでも守りたい笑顔。


 女神エリシャは怒るだろうか?


 あの女神様はきっと怒ったりはしない。と、ユウはお告げを聞いたときの彼女の声を思い出していた。


 本を閉じて、目を瞑る。これまで出会った人々の笑顔が脳裏をよぎって消えていく。最後に満面の笑顔のリンが夜空に浮かぶ星のようにユウの頭に焼きついた。


「……よし」


 ユウは立ち上がって店へと歩き出した。

 そこにはリンがいる。キャニもいる。そしてユウ自身が笑顔で、時々やってくるお客さん達も笑顔で。


  ――ここは喫茶店『小道』


  笑顔を守る、笑顔の勇者の喫茶店


  お勧めはコーヒー、三人の素敵な笑顔をそえて――

『私の日記帳』

ユウさんの日記です。その中身はユウさんの顔色を見れば大体想像できるのかもしれません。


ちなみに……

この本は勇者の死後、勇者の伝記として出版される事になりま――

「やめて!」

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