喫茶店 『小道』 の仕入れ事情
朝もやが朝日を柔らかく遮り、ついでに視界の方もやんわりと遮ってくれる。
ユウはそれこそ陽が昇るのと同時に目を覚まして、いそいそと寝巻きから着替え始める。いつものワンピースではなく、チュニックに短パン、腰には愛用のホルダーベルトをつけて、あとは上からポンチョを羽織って。
ベッドに視線を移せば、リンとキャニがまだ静かな寝息を立てていた。
大きな音を立てないように、そっと部屋を出て、そのまま外へ。
陽が山間から顔を出してまだ時間が立っていないから、辺りは薄暗いが、視界ははっきりしている。この朝もやが無ければ、だが。
いつものように魔法を発動させると、ユウの周りの大気が対流して一気にもやが晴れた。と、同時に空を斜めに切るような一閃。
モヤをはらして、雲をつきぬけ、ユウが一直線に空へと飛んでいった。
それから間もなく、風を切るような高い音をさせてユウが再び姿を現した。その手にはユウの背丈くらいはありそうな大きな瓶を抱えている。
とてつもない速度で戻ってきたユウは、しかし地面手前でピタリと動きを止めて、着陸は慎重に行う。地に足がついて、ほうと一息つくと、抱えていた瓶を見回してひとしきりうなずいた。
そのまま店内に入っていったかと思うと、すぐにまた飛び出して行ってしまう。
次に戻ってきた時にはまたユウの上半身が隠れるくらいの麻袋をもって帰ってきた。
運んでくる品を変えながら、何度か繰り返すうちに、陽が高くなって朝もやもすっかり晴れていた。
「あ、そうだ」
最後の荷物を店内へと運ぶ途中、はたとその足が止まる。それから荷物を手近なテーブルに置くと慌しく店の奥へと駆けて行った。
「リンー! キャニー!」
まだ寝ているはずの二人の名前を呼ぶユウの声、少しして、慌しくも軽やかな足音と、遅れてゆっくりと階段を下りてくる足音が聞こえてくる。ユウの何事か問う声に、二つの足音が階段を駆け上がり、今度は二つ共慌しく駆け下りてくる音が響いた。
それから、店から出てきたユウの後ろにはすっかり身支度を整えながらも、眠気を頭に残したリンと、すっかり元気溌溂なキャニがハッハッと鼻を鳴らしていた。ユウがリンを、リンがキャニを抱きかかえるいつものスタイルで三人は大空へと飛翔して行った。
「あれぇ……?」
しばらくして、喫茶店『小道』の前で間抜けな呟きを漏らす男が一人。
「まだ早かったかな? それとも今日も休みなの?」
静まり返った店の入り口で、ぽかんと口を開けてドアに掛かった準備中の札を見つめているのは、フードを深く被った見るからに怪しい男――フーディだった。
※
「どこいくの?」
風を切って進む三人、問いかけたのはリンだった。けれど、風を切る轟音でかき消されてしまうから、ユウまでその声は届かない。
けれど、進む先に見えてきたものに、リンは目を輝かせていた。
三人が降り立ったのは遠い異国の東の地。
そう、ツクシのいる東国だった。
「おっ、おっ、何だここ!」
つくなりキャニがあたりをキョロキョロと見渡す。リンはというと満面の笑顔で、キャニにあれこれと土地の講釈を垂れ始めていた。
陽が昇ったとはいえ、まだ朝も早い時間。
けれど、ユウ達が降り立った場所からすぐのところで、活気に満ちた声が響いていた。
「らっしゃい! いい山菜入ってるよ!」
「今朝水揚げした魚だよ! 早馬で飛ばしてきたからもう新鮮そのもの!」
「あんた、腹減ってないか!? 朝の味噌汁サービスだよっ!」
老若男女、様々な声が飛び交ってお祭りのような騒ぎだ。
以前帝都近くの港の市にいったこともあったが、そことはまた赴きが違う。
あちらは屋台や天幕でもって各個のスペースが決められていて、同じような業種が一塊になって分けられていたが、ここ東国では魔法で冷凍された魚は地べたに並べられ、その隣では野菜を売る人、反対隣では味噌汁という名のスープを配る人、と各個のスペースが決められておらず、ジャンルわけもされていない。一見無秩序に見える配置なのだが、行き交う人は野菜を買い、魚を買って、最後に味噌汁をもらって帰っていく、と順番に必要なものが買える、合理的な買い物が出来ている。
まるでワンセットと言った風情で、違う業者の出店が大体三、四店舗一まとめになっていた。どうやら親和性の高いお店同士が並んでいるらしい。
その中で一際人だかりの出来ている場所がユウの目に止まった。
そして、その人だかりの中で押し合いへし合い、歯を食いしばり、顔を変形させながらもその集団でもがいている、よく知る人物を見つけた。
「あー」
「ツクシ!」
その人物の様子に少しばかりあきれたユウと、同じく傍らにいたリンもまたその人物を見つけ、その名を呼ぶ。けれど、その人物――ツクシは、人の波に揉まれてリンの声は届いていないようだった。
「むー」
そんなツクシの様子に少々不満なのか、リンは頬をぷくっと膨らませた。と、思ったら勢いよく息を吸い込み始める。
「ちょ、まって」
大声でツクシを呼ぶ――そのためのリンの深呼吸は、ユウによって止められてしまった。
「ユウ?」
訝しげにユウの顔を見上げて睨むリン。
「まあまあ、見てようよ」
そんなリンを諭すように優しい笑顔を向けるユウ。まだ不満そうなリンではあったが、吸い込んだ息をゆっくり吐き出して、ツクシのいる人だかりに目を向けた。
この時、ユウの横顔に呆けて足を止めた通行人が多数いたのは余談である。
さて、件のツクシであるが、人の波にもまれて、時折はじき出されては、再び人だかりに突っ込み、またはじき出されては突っ込み、を繰り返していた。
既に肩で息をしているものの、再びトライ。
「おっ……」
今度は人の波に呑まれて姿が見えなくなったツクシに、二人は思わず声を上げていた。
はじき出されることもなく、しばらくして、何かを抱えたツクシが――やっぱり弾き出されてきた。
けれど、再度人波にトライすることもなく、抱えた何かを見ては不適な笑みを浮かべている。その不適な笑みを浮かべたまま、ユウ達に気付くこともなく、三人のいる方向とは逆の方へとふらふらとした足取りで歩いていく。
「ツクシさーん」
「ふえ?」
手元に抱えた紙袋をニヤニヤとしながら自宅でもある「天花菜取の銀狐」という宿へ、ふらふらと行く道すがらに、後ろからどこか聞き覚えのある声が自分を呼ぶのを聞きつけて、気もそぞろではあったものの間の抜けた返事と共に振り返るツクシ。
「あらぁ……」
振り返ったその先に居た三つの影に普段から細い目をさらに細くして微笑むツクシ。
「おこしやすぅ、ユウちゃん、リンちゃん、わんちゃん……ほなね~」
「えっ」
ここ東国で『天花菜取』と呼ばれる極上の笑顔をユウたち三人にむけたかと思うと、すぐに踵を返してまたふらふら歩いていくツクシ。
ツクシの笑顔と、そこから即立ち去ろうとするツクシに、ユウもリンもぽかんとしてしまう。
「ちょ、ツクシさん?」
我に返って少し離れたツクシに声をかけてみるも、ツクシはびくっとしたかと思うと歩く速度を上げた。
「あ――」
ユウが止めるまもなく、ツクシは速度をあげて――目の前の人物に思い切りよくぶつかってしまった。
「ああ~」
ぶつかった反動で尻餅をついてしまったツクシだったが、同時に抱えていた紙袋を落としてしまい、それが地面に落ちると同時に情けないような声を上げる。
「姐さん……またですか?」
ツクシが起き上がるより早く、ツクシがぶつかっていった人物が紙袋を拾い上げ、ツクシに手を差し伸べる。
「お客様をお迎えもせずに……」
「ちゃうもん、ユウちゃんはお客さんやのうてお友達やもん……それにうちのお菓子…一人分しか買えへんかったんよぅ……」
「姐さん」
「ヨーくん、あんな、これようやく買えたんよ? おぶうにようあうんよぅ……」
「姐さん」
「いっつも買えへんもん、うちにあるのはお客さま用やから、うちも食べられへんし……」
「姐さん」
「あーもう、よーくんにはかなわんわぁ……」
そんなやり取りをしながら、立ち上がったツクシは再び踵を返し、ポカンとしているユウ達の前にやってきた。後ろではツクシの幼馴染でもあるヨギが腕を組んでそんなツクシの背中を見守っている。
「かんにんな、ユウちゃん、リンちゃん、わんちゃん……おこしやす~」
そうしてペコリとお辞儀をし、笑顔を見せてくれた。目の端に涙が浮かんでいたのはきっと見間違いだろうとユウは思うことにした。
「そんで、今日はどないしたん?」
「あ、今日はお茶を仕入れにきたついでに、和菓子を買っていってみようかな、って」
「お茶を? ユウちゃんのお店でだすん?」
「いえ、仕入れるにもちょっと遠いですし、まずはうちで飲む用を、って」
「そんならうちでつこてる茶葉もってき~、ヨーくん?」
「わかりました。準備させておきます。ユウさん、後ほど銀狐までお越しください。それでは」
「あれー?」
ツクシの言葉に頷いたヨギは、ユウにそう告げると、今度はツクシの首根っこを掴んで引きずるようにして帰路に着いた。
「あーれー?」
一連のやり取りにまたも呆気に取られたユウ達を尻目に、ツクシの間の抜けた叫び声だけが青空に残響していた。
その後、袋一杯に詰められた茶葉と、同じく様々な和菓子が詰められた袋を持たされた三人。
キャニの紹介も終えて、ツクシとお茶をして喫茶店に帰った頃には陽もとっぷりと暮れてしまっていた。
「ん?」
玄関前に降り立ったユウは、玄関前の地面だけが湿っているような気がした。
小首を傾げるも、和菓子とお茶を催促するリンとキャニに急かされて、気に留める間もなく店の中へと入っていった。
――ここは喫茶店『小道』
時々仕入れのため、臨時休業することもあります。
もしお待ちいただいたお客様がおりましたら大変申し訳ありませんが、後日ご来店ください。
「ってくらい書いててくれてもいいのに」
夕暮れに向かって歩くフードの男が寂しい背中でぼそりと呟いていた。




