皇帝
現皇帝にしばらくの間后はいない、それどころか女性の影すらない。
前皇帝である父や、側近、もしくは隣国諸国からはたくさんの見合い話が来ていたのだが、頑としてそれを受け付けようとはしなかった。
玉座に座り、まるで夢見る乙女のような眼差しで、だれもいない部屋を見渡す。
謁見の間。皇帝は玉座に座り、そこを訪れたものは、皇帝の前に跪く。
玉座に腰をかけたその若い皇帝の目に映るのはいったい何か。
「はぁ…」
頬杖をついて、首をかしげ、虚空をみてはため息をつく。
かつてここには、父が座り、自分はその横でとある人物の謁見を受けたことがあった。
跪き、かしづいているその人物は、年の頃は十五歳ほど。こざっぱりしたショートカットの黒髪に、どこにでもいそうな器量の、田舎の村娘といった雰囲気をもった少女だった。
青いローブに身を包んだその少女の背丈は、女性の平均より少し高いくらいで、目立つほど高くもなければ、ローブから見え隠れする肉付きも、可もなく不可もない。
美少女とか美女とか、そういうのでもなく、何か魅力的な雰囲気をもっているわけでもなく、特徴と呼べる特徴は見当たらなかった。
しかし、それでいて、彼女は『勇者』だった。
勇者とは、ある日お告げを受けて力を授かる、神の代理人のようなもの、と考えられている。
精霊たちに愛され、様々な魔法を行使することができ、お告げとともに肉体の強化もなされるため、剣など武器の扱いすらも容易に習得できるようになる。
肉体が強化されるという事は、全身の能力が底上げされるという事だから、反射神経や動体視力はもちろん、脳の回転も速くなり、コツをつかんだり、飲み込みが早くなるから、普通は何年もかけて収める剣術を1年や半年で収めてしまう事もできる。
何故勇者が生まれるかはわからないが、主に魔物や魔物の王に対するバランサーとして生み出されるのではないか、というのが通説だった。
歴代の勇者が人類に仇なした事はなかったし、お告げの人選も慎重に行われているのだろう。
ともあれ、勇者というのは人類の守護者である、というのが人々の認識であった。
そして目の前の、何の変哲もない少女が勇者である。
かつて魔王を倒したり、危険な魔物を退けたり、あるいは戦争を終結させたりと、さまざまな伝説に残る勇者は、時に美丈夫であり、また女性の場合は美女や美少女であった。
もちろん、その姿を実際に見たことはないが、伝え聞くところの勇者像というのは、必ずといって良いほど容姿に言及していた。
本当か嘘かはこの際どうでもいいのだが、先代勇者はやはり美丈夫であったという話しであるし、今代の勇者が女性ということもあって、少しは期待してしまうのも無理もないというものだが、実際に勇者だと名乗り出た人物が十人並みの器量であったのは、少々残念な気もするのであった。
貴族でもなく、王族でもない、本当に田舎の村娘だったユウが、ある日夢を見て、目が覚めたら勇者になっていた。
最初は戸惑った。
村の皆がお祭り騒ぎになり、あれよあれよというまに伝説の存在として扱われることになってしまった、それまでごくごく普通の少女だった彼女が、困惑しないはずもない。
自覚もなければ覚悟もなく、しかし、ある時村周辺に出没したはぐれモンスターを難なく退治したときに、すんなりと自分の力に納得して、勇者として生きていこうと決心した。
そして、勇者としての旅立ちの日。
彼女は勇者になってから初めて、笑顔を浮かべた。
彼女の笑顔は村の中でも有名であったが、勇者になって尚変わらぬとびきりの笑顔を見せたユウに、村人は安堵し、そして村人たちもまた笑顔で彼女を見送った。
ユウが最初に訪れたのは村から一番近い都市、そこで冒険者登録をした。いきなり自分が勇者だ、と公言しても誰も信じてはくれないだろうし、まずは実績を重ねることを重視したからだ。
そしてそこから彼女の英雄譚が始まった。
突如として現れた、謎の美少女。
彼女の名前はユウ。
ただの村娘だった少女が何故冒険者となったのか。
美少女冒険者の出現に誰もが疑問を覚えた。
誰も信じないかもしれないけれど、彼女は特別。
そう――彼女は勇者だったのです。
これは最も早く語られた彼女の英雄譚の序文である。
ユウが村を旅立ってから、勇者として認められるまで、そう長くはかからなかった。語られた英雄譚、最初の彼女の活躍は、やがて帝都にまでその名を轟かせた。
そして時の皇帝に彼女は呼び出されることとなる。
「えっと、あの美少女とかじゃないので、その、困ります!」
語られている英雄譚をはじめて聞いたときの彼女の言葉だ。
それはとある酒場で吟遊詩人が歌っていたのをたまたま聞いてしまったのだが、彼にしてみれば、何故目の前のごく普通の少女が顔を真っ赤に染めてあわあわとしながら自分の歌を止めに入ったのか、まったくわからなかった。
話を聞いてみれば、その少女が件の勇者だという。
顔を真っ赤にして、困った顔の少女は可愛い。可愛いのだが、やはり普通だ。伝聞なんてそんなものか、と詩人はため息をついた。
ともあれ、本人からクレームが入ってしまったからには歌の内容を一部変更しなくてはなるまい。
本人としては美少女とか言われてしまうのは困る、ということだったので、普通の少女、とすることにした。
突如として現れた、謎の少女
彼女の名はユウ。
普通の村娘として育った彼女は、普通に冒険者となって、
普通に実績を重ねて、普通に帝都にまで名をとどろかせました。
でも、ただひとつ違っていたのは――彼女は勇者だったのです。
「うん、うん」
何だか投げやりな内容になってきた気がするが、ユウにしてみれば美少女とかでなければ何でもいいらしい。
新しい歌を聴いたユウは満足げにうなずいて、詩人に向けてニッコリと笑った。
「ずぎゅーん!」
「?」
余談ではあるが、この新しい英雄譚は謎のいわくが付いて語られることはなかった。
その後、この吟遊詩人は勇者笑顔という言葉を作って一躍時の人になるのだが、それはユウの知るところではない。
閑話休題。
皇帝に呼び出され、謁見の間へと連れて来られたユウ。
それを見て、一瞬がっかりした顔をしたのは皇帝の左に控えていた、皇帝の嫡男であった。
皇帝はというと、眉のひとつも動かさずに目の前の少女を見る。
「面をあげよ」
厳かな声でそういうと、目の前の少女は顔を挙げ、真剣な表情でまっすぐ皇帝の顔を見ていた。
「ほう…」
迷いのない目、まっすぐできれいな目をしている。
勇者とよばれる少女。なりは普通にしか見えないが、その目には力が宿っている。
様々な噂や譚を集めさせ、聞いていた少女勇者に間違いはないだろう。
皇帝は鋭い視線で、目の前の少女を見据えた。
少女はそれにまったく動じることなく、それどころか――微笑んだ。
「うぉ…」
皇帝の傍にいた嫡男が思わず声を漏らした。
それは皇帝自身にとっても、同じく感嘆の声をもらしそうになるほど、素敵で凶悪な、極上の笑顔だった。ここで呆けてしまえば、威厳を損なうことになる。だから皇帝は必死で耐えたのだが。
嫡男だけでなく、皇帝の傍に控えていた者全てが彼女の笑顔に魅入ってしまっていた。
「うむ…それでは勇者ユウよ、これからも励むが良い」
どうにかこうにかそれだけを言うと、ユウを下がらせた。
ユウが下がった後の謁見の間では、誰もがため息をもらしていた。
皇帝でさえも――
そしてユウの笑顔をみたその日から、彼は行動を開始した。
彼女の拠点を調べさせ、ある時は花を贈り、ある時は直接出向き、愛の言葉を語った。
次期皇帝でもあるから、なかなか時間は取れなかったし、出向いても留守だったりすることもあった。
それでもめげずに彼は通い続けたのだが、彼女はついに求婚を受けることはなかった。
これは、市井の間でも有名な話になっている。
もっとも、それは彼女の天然っぷりと皇帝の健気さと可哀想さを伝えるために、より脚色されていたりする。
「あれは、やばかったな」
皇帝が玉座で頬杖を突きながら、自嘲気味にぼそっと洩らした。
男だと思っていたら美少女でした、とか
めがねを外したら美少女がいた、とか
いつもと違う彼女の格好についついどっきり、とか
いつもはツンツンしているのに、二人きりになるとデレデレしてくれる、とか
良くある娯楽芝居のギャップ展開を遥かに超える次元の何かを味わった。
――普通の少女だと思ったら、笑顔は女神でした。
皇帝となった彼は、勇者の事をそう評した。
それに異を唱える者はいなかったという。
彼女の笑顔の虜となってしまっていた皇帝が、后を娶るのはまだまだ先の話である。