猛暑日
「あー……」
リンが半眼でがっくりと肩を落とす。
その額には噴出した玉の汗が浮かんでいて、止め処なく流れては店の床に落ちていった。
「あついねぇ……」
その隣ではユウもまた汗をにじませて半眼で店の中を見回していた。
「あづい……」
店の中は熱気で満ちていて、ゆらゆらと陽炎のようなものまで見えている。
外からは煌々と陽が射して、その光自体は暖かなもののはずなのに、今は暑さに拍車をかけるようで正直憎らしいといった面持ちでユウもリンも外を見ていた。
「はふぅ……」
床に寝そべったキャニもまただらしなく舌をだして、ぐったりとしていた。
本日も例によって客の姿は無い。が、それも無理は無いだろう。
普段は気候の変化が乏しい『小道』の周りでも、四季の影響を受けて突然今日のような夏日に見舞われたり、大雪に見舞われる事もない。
店内はうだるような暑さに包まれているし、外は日光がまるで出てきた生物を焼き殺さんとばかりに光線をギラギラと照りつけている。
これでは、通行人は愚か、馬車の御者や、馬でさえ数歩でばててしまっても誰も文句は言うまい。
「それはそれ」
ユウが汗をぬぐいながらポットを火にかける。その熱気でまた店内の気温が上昇したような気がして、リンは思わず店の窓という窓を開けて回っていた。
だが、窓を開けるだけ無駄だという事にリンが気付いたのは、全ての窓を開け終えた後であった。
窓を開ければ涼しい風が吹き込んでくる――などということは一切無く、外で熱せられた空気が店の中になだれこんでくるだけであった。
風もないから木々が涼しげな音をたてることもなく、むしろその木々でさえ、行き過ぎた太陽光線に今にも枯れてしまうのではないかと心配になるほどの暑さがそこにはあった。
「あづい……あづい……」
キャニがぶつぶつと呟きながら店中の床を転げ回る。どうやら少しでも涼しい場所を探しているようだ。が、日陰になっているところでさえ、店の気温で暖まっていて、どこにも涼しい場所をみつけられないでいた。
「リン、何飲む?」
カウンターに顎を置いて、キャニよろしくぐったりしているリンに、店の熱気に加え、ポットの熱気で汗だくになったユウが声をかける。
「ミルク……ホットで!」
「え……」
そして思いがけないリンの言葉に目を丸くするユウ。
「いいの?」
「まえにばーちゃんが言ってた! 暑い時は熱い物を飲む!」
「へぇ~」
「ぎゃく……ぎゃくこうか?」
ばーちゃん、とは、ユウの母のことなのか、それとも以前に訪れたあの老夫婦の事かはわからなかったが、ちょっとだけ半眼が解け掛けたリンの希望通りに、ミルクの入ったポットを火にかけた。
「はい、どーぞ」
「ありがと……あつい……!」
だが、先人の知恵のはずの逆効果は、リンにとってはさらに逆効果であったようだ。
火と気温の熱気にあてられていたユウよりもさらに汗だくになって、「あついあつい」とぼやきながらもリンはミルクを飲み続ける。
ふぅふぅ、とミルクのカップに息を吹きかけるリンの様子が可愛くて、ユウは破願して目を細めていた。勿論、汗だくで。
「うーん……海、いこっか?」
「お…おお!」
ユウの言葉にすぐに反応を示したのはキャニであった。ごろごろと床を転げまわるのをやめて、はっはっと舌を出しながらカウンターへとトコトコとやってくる。
「海? なんで?」
一方リンは、ユウが何故海と言い出したのか理解できずに首を傾げる。
「リン、泳ぐんだよ、海で。涼しいぞ!」
カウンターの上に飛び乗ったキャニが鼻息も荒く、短い手足をバタつかせて、泳ぐまねをする。
「こーら、キャニ。カウンターの上に乗っちゃだめだよぅ」
「キャニ、だめ」
ユウは諭すように言うが、けれどとがめる様子もなく、手足をバタつかせるキャニの様子を楽しそうにみている。リンはミルクを置いてカウンターの上で手足をバタバタとさせているキャニを掴むと膝に乗せた。
「うぅ……あつい」
「あつ……」
しかしお互いの温もりが暑さを助長してしまったようで、膝に乗せたリンも、膝の上にのったキャニもげんなりとしていた。
にもかかわらず、離れようとしない二人の仲のよさに、ユウは笑みを零す。
遠くから暑い季節にしか鳴かない虫の声が聞こえてくる。
風もなく、木々がざわつかないから、虫の声は遠いはずなのに耳に響くように伝わってくる。
その声は暑さを助長するだけで、ついにはキャニやリンに続いて、ユウもげんなりとしてしまっていた。
「行こう……」
半目で外を睨みつけながら、ユウがぼそりと呟いた。
その呟きにリンもキャニもまた半目のままユウを見上げた。
「海へ、行こう! 今すぐ!」