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おまじない

 おまじない。

 祝福とか、魔法とか、そういうものではなくて、単なるおまじない。

 まじないとかでもなくて、おまじない。


 それは魔法のような、祝福のような、まじないのような、でも、そのどれとも違っている。


 なんとなくそれっぽい言葉で、なんとなく呪文みたいなものをかけて、なんとなく効いてくるような気がする。おまじないをかける人も、かける相手も、なんだか不思議な暖かい感覚に包まれて、やっぱりそういうおまじないは効く様な気にさせてくれる。

 

 これがユウのおまじないに対する考え方だった。


 もっといってしまえば、結果がどうなってもどうでもいい。そういうと聞こえは悪いかもしれないが、ユウはおまじないをかけて、相手がそれを切欠に動く事が肝要だと思っている。

 その結果が成功しようとも失敗しようとも、結果を得るために行動した事実は消えない。そしてその行動は必ず次へと繋がっていくのだ。

 おまじないという小さな波紋が、相手の心に小さな波紋をいくつも連鎖させて、最後には大きな波紋となる。それは、しかし成功したとか失敗したとかいう結果ではなく、動いた、という結果を残す。あるいは動かなかったという結果を残す事もあるだろうが、それだっておまじないが起こした結果である。


 そして、おまじないをかけた自分はその結果を一緒になって受け止める義務と権利を得られるのだ。


 けれど、「成功か失敗か」なんて、それをすぐに決める必要はない。


 だって、「そのうちわかる」のだから――



 リンの額に口付けをして、おまじないを終えたユウが、とびきりの笑顔を見せる。


「大丈夫かな……」


 それでも不安そうに口をへの字にまげるリンは、懐のキャニをぬいぐるみ代わりのように、キュッと抱きしめた。


「ぐえぇぇっ!!」


 あまりにもきゅっと抱きしめすぎたらしく、キャニが女の子とは思えない悲鳴を上げていた。


「でも……」


そんなキャニの様子を全く気にも留めず、目を伏せて、その胸の人物をより強く抱きしめた。


「ぐ……が……も、だめ……」

「あ、え! キャニ!」

「へ!?」


 キャニは、ついにくたりとリンの腕に首を預けて白目を剥いてしまっていた。

 慌てて駆け寄るユウと、思わず腕からキャニを離すリンだったが、すでに意識を手放している子犬は、そのまま床へと力なく落ちた。


「キャニィィィ!!」

「キャニ! キャニーー!!」


 ユウもリンも思わず叫んでしまうのであった。



「今は授業中ですので、なるべく騒がないでいただきたかった」

「えへへ、すみません」


 白目を剥いたキャニを介抱したところへ、その叫び声を聞きつけたキュリアー婦人がひょこりとドアを空けて顔を出した。

 それからキャニの手当てを保健医に任せ、ユウとリンは彼女の公務室でもある、校長室へと招かれていた。


 ここは帝都の学園。ユウが臨時講師を務めている職場である。

 故郷の村からの帰りに、ユウがとある決意と共にここへと寄り道をしたのであった。


「で、アイナ=アールでしたか? 確かに彼女はここの生徒ですし、そもそもユウ先生を紹介してくださったのがノール様ですから、てっきり聞いているものだとばかり」


 キュリアー婦人がティーセットを出しながら、ユウとその隣で伏し目がちにちらちらと自分を見ているリンを一瞥して、正面のソファに腰掛けた。


「ノール様からの紹介の一見で、護衛任務の話は聞いております。そちらが?」


 キュリアー婦人がユウの隣の小さなオーガの娘に視線を送る。

 彼女は、見た目は如何にも教育熱心といった雰囲気に、少し釣り目がちな所為で、厳しい目線に捉えられることがしばしばある。本人としては、あくまで礼儀とマナーに則って、かつ自分の責務に忠実にした結果で、子供達を優しく見守っているつもりではあるのだが。

 そんな彼女の視線に、リンの伏目はさらに深くなっていく。


(はぁ……)


 そんなリンの様子に思わずため息のキュリアー婦人。


 自分はいつから子供達に怖がられるようになったのだろう。確かに厳しくしているとは思うが、それは子供達のためであり、自分のためでもある。できることならば、優しく接してあげたい、甘やかしてあげたい、と彼女自身思うのだが、それは教育者としては失格である。そして彼女は、ただ甘やかすだけというのは、優しさではない事を知っている。厳しいだけでも、優しいだけでもだめなのだ。

 その結果、生徒達どころか、教師達からも恐れられるようになっていった。多くの教師や、ここの卒業生でもある今の生徒の親からは「まだあの怖い先生いるんだ?」といわれている事も知っている。

 けれど、歳を経た教師には理解を得られている部分もあるし、巣立っていった生徒達が大人になって、態々感謝の言葉を述べに来てくれることもある。そういう人たちがいるから、自分の教育は間違っていない、と自信をもつこともできた。


 けれど、本来優しさにあふれるキュリアー婦人にとって、視線だけで生徒達に恐れを抱かれるのはどうしても不本意で、そこだけはどうしても割り切れないでいるのであった。


 そして今もまた、今度は人間ではなくオーガの娘にまで恐れられている。

 その隣の勇者は、相変わらず凶悪な笑顔を振りまきながら、婦人の視線に頷いた。


「はい、アイナ……様を一緒に護衛した、私がとある事情でお預かりしているリンです」

「ふむ」


 婦人がじっとリンを見定めるようにしてみていると、それに気付いたリンが視線を返してきた。

 真正面から返って来る真剣な眼差し。

 それは婦人にしてみればしばらく得られなかった懐かしい眼差しだった。だから、思わず小さく微笑んでしまう。そしてそれに気付いたリンもまた、微笑を見せた。


「……で、では、アイナをここへおよびいたしましょうか?」


思わず目をそらして、眼鏡に付着したほこりを取る振りをする婦人。


(なんてこと……ユウ先生に勝るとも劣らない……)


 頬が熱を帯びてはじめているのを感じた婦人は、眼鏡を掛けなおす振りをして、そっと自分の頬に触れてその赤みを誤魔化そうとした。それほどまでに、リンの微笑みもまたユウに負けず劣らず凶悪なものであった。何よりもまだ子供でありながら美少女たるその端正な顔立ちが、微笑を見せるのだからその破壊力といったらない。いわんや子供好きのキュリアー婦人をや。


「いえ、まだアイナ様も、リンもそこまで心の準備ができていないでしょうから、今日は第一歩として姿だけでも見ておきたいな、と」

「そういうことであれば、わかりました」


 するとキュリアー婦人は立ち上がり、一度部屋から出て行った。

 残されたユウとリンはその様子を見送って、扉が閉まるとまた先ほどまでキュリアー婦人が座っていた場所を見つめる。


「リン、大丈夫?」

「……たぶん」


 また伏目がちになってしまうリンを見ながら、ユウは物憂げな顔になってしまった。


――自分の決断は間違っていないのだろうか


 そもそも、今回の決断はユウの独り善がりのようなものだ。

 リンがユリの子供を抱く姿を見て、同い年くらいの村の子供と遊ぶ姿を見て、そして、村の人達の笑顔を見て、決めた事だった。


 リンにアイナを引き合わせる。


 けれど、ユウはアール家の場所を知らない。そこで思いついたのが、彼が出資をしている学園の事だった。ここでノールの居場所を聞くつもりが、アイナはここに所属しているという話を聞かされた。

 このまま引き合わせることが出来るかも、と思うユウであったが、最初にリンにこの話をしたとき、リンは戸惑う様な不安そうな表情を見せた。戸惑いながらも無言のまま頷いてくれたからここまで来たのだが、職員用の通用口まで来たところで、その戸惑いと不安は頂点に達してしまう。


「おまじないをしてあげる。それでもだめだったら一回帰ろうか?」


 そうして少しばかりその不安は和らいだようだったのだが。


 リンは、と言えば、最初にユウからその話を聞かされたとき、戸惑いと不安、そして同時に、会えるんじゃないか、仲直りができるかもしれない、という希望も抱いていた。

 けれど同時に思い出してしまう。


――アイナの怯えた顔、そして拒絶


 それが何故なのか、今でもわからないでいる。

 その瞬間までは笑いあっていたはずなのに。


 初めて自分を襲った感情、心の中に酷く霞がかかってモヤモヤとして、それからしばらくユウに抱きついて離れる事ができなかった。誰かの温もりが欲しくて、それがなければ心がバラバラに砕けてしまいそうだった。

 最後に彼女を見たのは、馬車の窓越しに、口を固く結んで、最初に出会ったときのように微動だにせず下を向く姿。

 膝の上で握り締められた拳は、微かに震えていた。自分と同じように。


 どうしてこうなってしまったのか、リンにはわからない。

 リンは理不尽を理不尽と理解する事ができずにいた。


「今、彼女は剣術の修練に出ています」


 間もなく戻ってきたキュリアー婦人は一枚の紙を持って二人に告げた。



 多くの生徒達に混じって、一人の少女が流れる汗を気にも留めずに、真剣な面持ちで木の剣を振るう。


 何人もの生徒達が均等に並べられたそこで、彼女は誰よりも真剣な表情で、黙々と剣を振るっていた。


 それは、初めて見る表情で、あの時の彼女からは想像も出来ないほど、凛々しい顔であった。


 そこには強い意志のようなものが感じられる。


 長かった髪は短く切られていて、少し背も伸びただろうか。


 けれど、確かにそこにいたのは間違いなく彼女であった。


 それを見ているリンもまた真剣で、そこに怖れとか戸惑い、不安なんていうものはすっかりなくなっていた。


 ただまっすぐに彼女を見つめて――


「行こう」


 しばらくして、リンは踵を返す。

 

 赤い瞳に新たな決意を秘めて、リンは学園を後にする。

 その表情は、彼女と同じ、凛々しいものであった。

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