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 雨が降っている。


 店内に客の姿はない。

 雨にぬれたくないだろうし、傘を差しても、跳ねる水にどうしても足元が汚れてしまうし濡れてしまうから、出歩くこと自体を控えたくもなる。仕事やどうしても行かねばならない用事でもなければ、雨の日は家で過ごす方がよいだろう。


 だから客足は鈍る。客が来ないのも仕方がないことかもしれない。


「すいませんでした」


 だれとも無しに謝るユウ。

 雨だから客が来ないのではなく、もともと客が来ること自体が珍しいのだ。雨だろうが、晴れだろうが、雪だろうが、嵐だろうが、客は来ないのである。


「いや、でも、フードさんはたまにくるし、おやっさんだって今度は奥さんとギルドのみんなでくるっても言ってたし…」

「希望的観測」


 リンが、ぶつぶつと客が来ない理由を否定するユウをジト目で見た。


 リンとしては、せっかく覚えた接客、主に注文をとってメモする作業をしたいのだが、客が来ないのではそれもしようがない。

 もっと言ってしまえば、店で出すお茶請け用のお菓子はリンが作ったものだから、それを食べてもらえる機会が少ないのは


(少し寂しい)


と思うのであった。


 フードの客が大絶賛してくれたとき、今までにないほど気持ちが高揚して、同時に手放しで褒められる気恥ずかしさも覚えて、無表情を装いながらもドキドキしていたが、すごく嬉しかったあの気持ちをまた味わいたいと思うリン。


――だが、客が来ない。


 よくよく思い出せば、あの賑やかでたくさんの人間がいた場所――帝都に行った時に入った喫茶店はここより何倍も広くて、ほとんどのテーブルが人で埋め尽くされていた。

 髭を蓄えた中年の背の高い男がやってきてユウに頭をさげ、ユウは困ったような笑みを浮かべて立ち上がり、同じように頭をさげていた。

 どういう儀式なのかリンにはわからなかったし、目の前に出された目を奪われそうになるほどきらびやかな光を放つ甘味の方が大事だったので、あまり深くは考えなかったのだが。

 ともあれ、あの場所にはたくさんの人がきて、注文をして、甘味を食べたりコーヒーを飲んだりしていた。


 もし、あの人たちが自分の作った菓子を食べ、そしてフードの客のように褒めてくれたら…


 一瞬恍惚とした表情を浮かべるリン。




「凄い、美味しい!」

「ああ、コーヒーもさることながら、このケーキ! 甘いけれど、どこかさっぱりしていて、いくらでも食べれちゃう!」

「やだぁ、太っちゃう!」


 店のあちこちから絶賛の声が上がる。

 そして、そんな人々の注目と絶賛を浴びるのは、膝元まで長く伸びた暗い紫の艶のある髪に切れ長の目と長い角、赤い瞳は男女を問わず魅了してやまない。大きく育った胸に、細くくびれた腰、流れるようなナイスボディを持った美女オーガパティシエ、リンである。

 リンは、自分の作った菓子を食べてくれているお客のテーブルにいくと頭を下げる。

 そんなリンの口元にはなぜか立派な髭が蓄えられている。

 そして、客もまた困ったような笑顔を浮かべて、頭を下げる。2度3度頭を下げあうと、リンは別のテーブルにいき、また同じように2度3度頭を下げあうのだ。

 最後のテーブルにはユウとフードの客がいて、どちらもなぜか髭を蓄えていた。

 そして二人はリンにむかって頭を下げたあとで、大きく手を広げて叫んだ。


「素晴らしい!」

「こんな美味しいものを本当にありがとう!!」


 その言葉を合図にしたかのように店内に拍手が巻き起こる。

 店のあちこちから大絶賛の声があがっていた。


「本当に美味しい!」

「素晴らしい! 最高だ!」

「天才パティシエ現る!!」

「リン? リーンー?」




 ユウの呼ぶ声に、ハッとして気づくと目の前ににっこり笑顔があった。もちろん髭はない。


「どうしたの? ぼーっとして」


 ユウはいつもの笑顔でリンの頭をやさしく撫でていた。


「髭!」

「ひげ?」


 口元を指差して叫ぶリンの言葉に、ハテナマークを浮かべて首をかしげるユウ。

 そんなユウを尻目に、リンはあたりをきょろきょろと店内を一通り見渡し、


「はぁ」


と、ため息をひとつ。


「お客、いない」

「うっ」


 リンの一言がユウに突き刺さった。

 リンにしてみれば、今まで夢にみていた客たちがいない、ということだったのであるが、恒久的に深刻な客不足が蔓延している自分の店の現状を的確に指摘するリンの言葉は、ユウの胸に深く突き刺さるのであった。


「でもまぁ」

「?」


 ユウは目の前の小さくて可愛いウェイトレスの頭に手を伸ばして――


「――だからなぁ」

「???」


 そっとその頭を撫でる。髪を梳くようにして、優しくリンの頭をなでてやる。


「子供じゃないよ」

「わかってるよ」


 そういいながらもリンは目を閉じてされるがままにしていた。

 リンを膝の上に乗せて、髪を梳くように撫でていると、いつのまにかリンはユウに体を預けて、すぅすぅと寝息を立て始めていた。


「……あらら」


 ユウは目を細めて優しく笑うと、しばらくそのままリンの髪をなでていたが、やがて自分もまた、椅子にもたれかかるようにして、まどろんでいった。

 それでも、リンが落ちないように、しっかりと彼女を抱きしめて――


 かすかに雨音が聞こえる。

 水が葉や地面を打つ音が、サー、という音になって、家の中に流れ込んでくる。


 椅子に座る女性と、その膝の上の少女は、どちらも静かに寝息を立てている。

 少女はしっかりと抱きしめられているが、それは苦痛ではないらしく、安らかで幸せそうな寝顔だ。

 女性のほうも、少女を抱きしめて、零れるような笑みを浮かべて、幸せそうにしている。


 どんな夢を見ているのだろうか。


 明日起きたら、お互いに夢の報告会をしよう。


 きっと幸せな夢を見ているに違いないから。

 もしかしたら同じ夢をみたのかもしれないから。


 雨は降り続いている。

 雨音に、静かな寝息と夢が混じって流れていく。




――喫茶店『小道』


 そこにはとびきり寝顔の女性店主と小さなウェイトレスがいる。


 お勧めは小さなパティシエの作るお菓子。素敵な夢に笑顔を添えて――


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