ぷちおめかしユウとコーヒーゼリー
『小道』のメニューは少ない。
・コーヒー(ブレンド)
・ロコモコパン
・フィナンシェ
・ベリーケーキ
これだけだ。
そのうち、フィナンシェを初めとした焼菓子は、リンの計らいによりほぼ無料で提供されてしまっている。
「御代は、“お菓子を食べるときのお客様の笑顔”で」
一体どこでそんな言葉を覚えてくるのだろう、とユウは苦笑いするしかない。
最近、パティやトリシャ、リリーなんかが持ってくる帝都で発刊されているファッション雑誌なんかを熱心に読んでいるようだから、年頃の女の子っぽくてよい、とか思いつつも、変な影響を受けなければいいのだけれど、とも思ってしまう。
ユウ自身そういう雑誌に興味がないわけではないが、やはり自分の容姿を鑑みたり、化粧だって上手ではないし、髪はいつもぼさぼさだし――
似合わないと思ってしまうのである。
その点で言えばリンは何を着せても、どんな髪型にしても映える。そんなリンの服を選ぶのも髪をいじるのもユウは大好きだった。最近ではキャニという新たな美少女犬も加わって、楽しさは二倍になっている。出費も二倍になっている。
カウンターで膝に子犬姿のキャニを載せて一緒に本を読んでいるリンの艶やかな髪を見ながらユウはふと思い出した。
「リン、キャニ、ちょっとだけここをお願いね」
「ん?うん」
「わん」
本に夢中な所為で二人とも生返事だった。ちょっとだけ心配そうに店内と外を見て、ユウはカウンターから出た。
「ええと…こうだったかな…」
一応寝室には鏡と化粧台が据え付けてあって、その鏡の前でユウは指先に意識を集中させていた。その指先には小さな水の雫が浮かんでいて、少しずつ大きくなっていく。
適当な大きさになったところで、その水球をそっと自分の髪につけてなじませていく。
以前学校でキュリアー婦人に教えてもらった髪を直す水の魔法。
その際婦人に直してもらった髪はリンにもキャニにも、何故かその時『小道』に訪れていたフーディにも好評だった。
次の日の朝にはすっかり元通りで、リンとキャニが代わる代わるに惜しむように髪をなでていたが。
肩の辺りまである黒髪に、流れに沿って指先に魔法でできた水をなじませていく。
すっと水が髪に染み込むように消えて、その部分が艶やかな光を持ち始める。同時に湿気を含んだ髪は少ししなっとして垂れ下がる。
さらに髪に指先の水をなじませていくと、どんどん癖っ毛のある髪はおとなしくなっていく。
櫛で梳いて、形を整え、最後になんとなく前髪にヘアピンなんかを刺してみると、そこそこ様になった。ヘアピンは、あの日フーディがたまたまもっていたのをもらったもので、飾りっ気のない地味なものだったが、それが逆にフォーマルさを出していて、ユウとしても気に入っている。
が、なんとなくフーディの前でそのヘアピンをするのは気恥ずかしい気がして、普段はつけてはいない。
じっと鏡をみて、髪を整えながら、何かいまひとつ足りないと思うユウ。
化粧台の上におかれた、普段は使わない化粧品をじっとみて、そのうちの一つを手に取る。
それを小指ですくって、唇へと乗せる。
艶のある黒髪、そして目立つ赤い紅をさしてみると、なんとなくバランスが取れたような気がするユウ。
「あれ!? ユウ!? ユウ??」
後ろから素っ頓狂な声が響く。
振り返ったユウと目が合う。その顔を見て、キャニは目を丸くした後、困惑の表情を浮かべた。
「ユウ……?」
艶やかな黒髪がややふんわりとして、肌の白さとコントラストを描き、口元の紅がそれに彩を添える。
そこにいたユウは、キャニが知っているユウとはまるで別人の様であった。
「り……リン! 大変だ!!」
はっとしたキャニが駆け出した。
「え? あれ? キャニ?」
目をぱちくりさせて、猛スピードでダッシュしていくキャニを見送るユウ。
間をおかず、スカートの裾を引っ張るキャニを窘めながらリンがやってきた。
「あ、リン」
そのユウの声にキャニから目線を上げたリンは――固まった。
「あれ? おーい、リン?」
その声に一瞬びくっとなってリンは我に返る。我にかえるやいなや、脱兎のごとく走り出して、本棚の中から一冊の雑誌を引っこ抜いてきた。
大仰な音を立てながら雑誌をめくり、たどり着いたページをユウに向かって突きつける。
「んん?喫茶店……メニュー大改革特集?」
眉間にしわ寄せて指し示された記事の見出しを読むユウ。
「えっ、ちがっ、こっち!」
リンが再びページをめくって、別の記事をユウに突きつけた。
「えーと…ことしのもてふぁっしょん、ゆるふわ――」
「そう!ゆるふわ!ユウの髪!」
ビシィっとユウに指を突きつけるリン。
「ちょうかわいい!」
「うん、きれい!」
キャニもリンの言葉にしきりに頷いている。
「え、いや、あの……なんか恥ずかしい……」
頬から次第に顔全体へと赤みが広がっていく。
二人の小さな子に、はっきりと邪気も無くそういわれてしまうと、お世辞とも取れないし、かといって自分がそんなに可愛いとも綺麗とも思えなくて、嬉しいような、恥ずかしいような、そんな気持ちが混ざっていって、それは頬の赤みで表れてしまった。
「そ、そんなことより、ちょっとこれ」
そこからユウは誤魔化すように突きつけられていた雑誌を奪い取って、先ほどリンが間違えて突きつけたページを開く。
「喫茶店メニュー大改革特集」
そこには帝都の有名喫茶店の店主がこぞって集まり、喫茶店向けの新メニューを開発すると言う企画が乗っていた。
「あ、ほら、みて。ここ、『朝月亭』。昔私がちょっとだけ働いたところだよー」
「聞いたことある」
「えっ、なになに?」
“まるで獅子のような見た目とは裏腹に、繊細で決め細やかなコーヒーや思わず舌鼓を打たずにはおれない美味しさのドルチェを作り出すのは、『朝月亭』のマスターである――”
「獅子…?」
「俺みたいなひとか!」
その言葉にリンは首をかしげ、キャニはニカッと笑って胸を張る。
「髭とか毛とか混ざらない?」
胸を張るキャニと、雑誌の記事を見比べながら浮かんだ、そのリンの疑問に思わずユウは噴出してしまう。
「あははっ、マスターは普通の人だよー、ちょっといかついけど」
「普通の人なのに、獅子みたい……?」
リンの中の想像上の朝月亭マスターはどうやら余計にわけのわからないものになってしまっているようだ。
「あはは、もうリンってば……あー……それにしても――」
朝月亭の事はともかく、メニューの大改革という言葉に考え込んでしまうユウ。
ここへ来て既に一年が経過したのだが、かつてフーディに指摘されて急ごしらえで造った木の板を掘り込んだメニュー板は、ほとんど使われていない。
来る客のほとんどがコーヒーと、リンが無償で出してしまう焼き菓子だけで満足してしまうのもあるが、いい加減余白を埋めてもいいかな、と思い立つユウ。
「リン、キャニ。久々に試作しようか?」
思い立ったが吉日なのだ。
ユウは立ち上がり、大改革の記事を読んで仕切りに首をかしげているリンと、その周りで飛び跳ねているキャニを供だってキッチンへと向かう。
ユウがレシピを考え、試作し、リンとキャニが食べる。
ここはこうしたら良いんじゃないか、と、今度はリンが試作し、ユウとキャニが食べる。
思わず舌鼓を打って、ユウが頭上に手を掲げて大きく丸を作ると、リンが少し顔を赤らめつつ得意気な顔をする。その隣では、キャニも真似して短い手を上げて丸を作っていた。
今度はキャニが――
「これもうすこしすっぱい方が」
というので、酸味を加えてみたら新しいレシピが完成したり。
「コーヒーにどれが一番合う?」
と、何種類かの見た目が同じ焼き菓子をリンが出してきて、ユウが試食する。
「これ」
指差した一つに、リンが「やっぱりな」と大きく頷いたり。
「コーヒーゼリーができました!」
ユウのコーヒーゼリーにリンとキャニが歓喜する――が、
「にがい!」
「にがいいい!」
「うふふ、大人向けでした!」
と、渋い顔をする二人に満面の笑みを向ける。
「ひどい!」
「ひーどーい!!」
リンもキャニもその悪戯にぷんすかして、ユウのスカートの裾を甘噛みしながら引っ張ったり、背中をポカポカと叩く。
「ごめんごめん、今度はちゃんと甘いのだよー」
そんな二人にまた笑顔を向けて、別のコーヒーゼリーを出すユウ。
「む……」
「ぬー……」
出されたコーヒーゼリーを一匙掬って、凝視してしまうリンとキャニ。
意を決してリンがパクリ――
「うまーーい」
「おお、俺も俺も!」
続いてキャニもパクリとして、リンとともに目を輝かせる。
「ふふっ、まだあるけど、食べ過ぎたらダメだからね?」
そういいつつも、大皿に乗ったコーヒーゼリーを二人の前にドン、と置いてしまうユウ。
もはやメニューの開発はどこかへ行ってしまって、三人でコーヒーゼリーパーティになってしまっていた。
けれど、これもいつもの風景。
三人が一緒にいれば、全ての事が楽しくて、いつでもパーティみたいなものなのだ。
今日のユウは少しおめかししていて、リンもキャニも思わずドキりとしてしまう時があるほど綺麗。
笑顔の素敵な店主は、いつもよりさらに素敵な笑顔で、子供達をドキっとさせてしまう。
笑って、笑って――家中に、店内に賑やかな声が響く。
――ここは喫茶店『小道』
今日のおすすめは、おめかし店主の素敵な笑顔。
素敵な笑顔に、コーヒーとコーヒーゼリーをそえて――