ユウへの手紙
「げっ!」
そんなユウの声を聞いたのは、キャニも、リンですら初めてだった。
今朝方顔を洗いに外へ出たユウが何かを携えて戻ってきた。それは手紙のようであったが、それを裏返して送り主を見た瞬間、ユウがそんな聞いたこともないような声を上げて固まってしまったのだ。
「ユウ? どうしたの?」
「なんだなんだ?」
初めて聞くような声、そして固まっているユウにリンもキャニもどうしたのかと駆け寄る。
「手紙?」
「てがみ? なんだそれ!」
ユウが固まったまま見ているそれをいぶかしげにみるリンと、ともすれば食べ物ではないかと目をキラキラさせている子犬のキャニ。
「っ…」
「?」
何事かいいかけて、パクパクと声にならない声をあげるユウに、リンが首をかしげる。
「うちから、なんかきた…」
「うち?」
はて、とリンはかしげた首をさらに傾げてしまった。
ユウの家はここ、喫茶店『小道』ではなかったのか?ユウとリン、そして新しくキャニが加わり、客がほとんどこないけれど、「狭いながらも楽しい我が家」がここのはずだった。
「あ、あはは…そっか…えっとね、私のお父さんとお母さんが住んでる家から、これ――手紙がきたんだよ…」
リンの様子に我に返ったユウが手にしていた手紙をくしゃくしゃと弄び始める。
「え、じゃあ、ユウのお父さんとお母さんからのお手紙?」
「うー……そうだけど……」
「くしゃくしゃにしちゃだめ!」
「あっ」
リンが突然ユウが手元で弄んでいた手紙をもぎとってカウンターまでいくと、皺を伸ばし始めた。
「あー、うん、いいんだよ、多分」
「だめ!」
必死で皺をのばすリンの背中に、何とも声を掛けられず、ただその様子を見守る事しかできない。
以前リンは手紙をやり取りする友情物語の本を読んで、いたく感動していた事を思い出したユウ。その時リンは、本の中の台詞を真似て、
「手紙はね、心とか、気持ちとかそのものなんだよ。普段はいえなくても、手紙にすればいえることもあるかもしれないね」
といいながら、自分に手紙と思しき紙を渡してきたことがあった。
リンからの手紙。それだけでとても嬉しくなったユウは思わずほろりとしそうになる。
内容はともかくとして、その事実がユウにとってはとても嬉しかった。リンの心を受け取ったような気がしたからだ。
だからこそ、ユウの両親の心をくしゃくしゃにしてしまったのは許せなかったのだろう。
リンも、ユウがわざとそうしたわけではない、とそう思いたいからユウから手紙を奪ってまで、今必死でその皺を伸ばしていた。
彼女にとって本当に手紙とは心そのもの。それをくしゃくしゃにしたり、あまつさえ破り捨てたりする事は、相手の心を破り捨てるような事と同義であり、絶対にやってはいけないことなのだ。
それは同時に自分の心も自分で破り捨てる事になる。リンがそう思っているかどうかはわからないけれど、ユウは自分の軽率さを恥じて、せっせと皺をのばすリンの背中に、何だか暖かいものを感じるのであった。
「はい、ちゃんと、読む」
一度しわくちゃになったものは元通りにはならないが、けれど出来るだけシワを伸ばしてくれたリンの手前、詠まないわけには行かなくなってしまった。
因みに、勇者として村を出て以来、帝都での謁見の直後に一度手紙をもらって以来、実に五年近くもの間音信不通であった。
その時もらった手紙には体に気をつけることと、怪我のないように、など娘を心配する母の気持ちがつらつらとかかれていて、思わず苦笑いした覚えがあった。その時こそ、今から自分が遂行する「勇者」という任務の事を何もわかっていない、と反発まではいかないまでも苦々しく思っていたユウ。
しかし、今となってはその母の気持ちもわかるというものだ。
ユウは手紙を受け取ったまま、目の前で眉を吊り上げている少女の顔をみて、ふっと微笑んだ。
「なに?」
そのユウの笑顔にさらに眉にシワを寄せるリン。
けれど、手紙を開け始めたユウに、その表情は段々と柔和なものに変わっていき、最後にはその目で、何が書いてあるの?と訴えかけ始めるのだった。
「だーめ、手紙は人にみせないものなの」
「えー!」
途端に柔和な顔が不機嫌に塗れる。唇を尖らせて、不満そうにユウを見つめるリン。
「なんてね、別に隠すような内容じゃないから…みる?」
そんなリンの様子に悪戯っ子のような笑顔を見せたユウの言葉に、リンは破顔してしきりにうなずく。
キャニもまた、頷くリンを見て「俺も俺も」と両前足を何度も上げていた。
「えっと?」
ユウから手紙を受け取ったリンが便箋を広げて読み始める。
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親愛なるユウへ
お元気でしょうか?私もお父さんも元気です。
先日、お隣のユリちゃんに第一子が誕生し、村総出でお祝いとなりました。
その席で、ユウの話になり、思い立って筆を取った次第です。
勇者を引退したと聞きましたが、一度こちらに顔をだしてはいかがでしょう?
お話したい事、渡したい物、など沢山あります。
貴女の帰りを心待ちにしております。
母より
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要点をかいつまめば大体こんな感じの内容であった。他にも村の近況や、ユウと親しかった友人の話など、多岐に渡っているのだが、便箋にして五枚ほどに渡るのでここでは割愛。
丁寧な字で書かれた手紙、長いとすらいえる手紙を、リンはその場で何度も何度も読み返していて、待ちきれなくなったキャニが「はやくはやく」と、リンの足に何度もしがみついては離れ、を繰り返していた。
やがてうっとおしくなったのか、リンはカウンターに座ると、膝の上にキャニを乗せて一緒に手紙を読み始めるのであった。
そんなリンとキャニの様子が、微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。
母の気持ちがわかる、とユウが思ったのは他でもない、今カウンターで子犬を膝にのせて一生懸命手紙を読んでいる少女のおかげだ。
自分はリンの母親を気取っているつもりはないが、もし、リンが独り立ちをして、自分と同じように冒険者となったら――
手紙も書くだろうし、なんだったら空から見守るくらいのことはしそうな気がして、それがばれてプンスカするリンの姿が思い浮かんだりして――自分の母親もまた、こういう気持ちだったのではないかと、そう思うのだ。
「お母さん、かぁ」
自分の母親が、何を思い、この五年を過ごしてきたのかはわからない。
勿論同じ気持ちかどうかもわかりはしないけれど、推し量る事はできる。
寂しいような、切ないような、誇らしいような。
自分とリンの関係をそのまま当てはめて考えると、なんとも言えない気持ちになってしまう。
(この子が独り立ちしたら――)
将来はパティシエ?それともシェフ?
もしかしたら喫茶店『小道』の二号店を出してくれるかもしれない。
そうじゃなくても、リンには様々な可能性がある。
読み書きもできるようになった、魔力の制御も徐々にできるようになりつつある。
リンは順風満帆に育っているのだ。これから先、もしかしたら貴族のマナー、魔族のマナー、そういったものも教える機会が来るかもしれない。
そして、自分と彼女を取り巻く人達は、自分では教えられない色んな事を彼女に教えてくれる。皆、癖のある人達ばかりではあるが、けれどユウを、リンを、このお店を好いてくれている人達なのだ。
皆がお父さんであり、お母さんであり、お兄さんであり、お姉さんであり、時に教師だったり、友人だったり――
なんて恵まれているんだろう――
何度も読み返しては目を輝かせるリンの姿を眺めながら、微笑むユウの頬を何故か涙が一滴伝った。
「ユウ?」
それに気付いたリンが心配そうな顔をして覗き込んでくる。
「ん…大丈夫、ちょっと欠伸しただけだよ」
「そう?」
納得したようなしてないような、そんな顔をしてまた手紙を読み出す。
「ねぇ、リン、キャニ」
「ん?」
「なんだー?ユウ?」
読んでいた手紙から目を上げると微笑んでいるユウの顔がある。
「いってみたい?その――私の村に」
「いいの!?」
「ユウの故郷か!いいな!」
リンが思わず立ち上がって、その膝の上のキャニはひらりと跳んでカウンターに着地する。
「いく!」
「俺も俺も!」
二人とも目を輝かせて仕切りに頷いていた。
「わかった、それじゃあ今度いこっか?」
リンは思い切り破顔して、キャニも嬉しそうに犬歯を見せて笑う。
「ユウの家!」
「ユウの家!」
二人はしばらく店内を駆け回って、何度も歓喜の声代わりにそう叫んでいた。
気軽な気持ちで実家行きを決めたユウだったが、その先に何が待ち受けているのかをまだ知らない。
今は、ただ歓喜して駆け回る子供達を見て微笑むばかりのユウであった。