授業を受けてみよう~先生の笑顔が素敵過ぎて授業になりません Part-Ⅱ-~
今日のユウはいつものようなワンピースでもなく、かといって勇者としての格好でもない。
真っ白なブラウスに、長めのタイトスカート、伊達眼鏡なんかをかけて知的さを演出しつつも、癖っ毛のある髪は整っていない。
けれど、ユウは鏡に映る自分の姿ににんまりとする。
ユウの想像上の教師像はそんな感じなのだろう。
唯一教師と呼べそうな、ユウの出身の村にいた僧侶は時々こういう格好をして子供達に魔法や字を教えていた。
とはいえ、その僧侶はブラウスにネクタイはしていたし、眼鏡も伊達ではない。髪も整えて化粧もして…きちんとした格好でいたのだから、ユウの想像とは大分異なるのだが。
準備も整い、ばっちり決めた、と自己満足のユウは服の上から厚手のローブを着る。
勿論、空を飛ぶ時のスカート対策だ。
タイトスカートゆえに、ワンピースの時のようにめくれる心配もないが、どこにどんな目があるのかわからない。
「空飛ぶぱ――」
いいかけたリンにジト目を送って言葉を引っ込めさせるユウ。
「そういえばユウ、俺にも服を買ってきてよ!」
「え…?」
そのリンの傍で子犬の姿のままのキャニが鼻息を荒くさせながら、
「ユウの服、胸はきついし、腰はぶかぶかなんだよ、人化できるようになったんだし、俺も服が欲しい!」
と無邪気に告げた。
「………」
無邪気ゆえの残酷さ、とでも言うのだろうか。
キャニの言葉は、意気揚々と出かけようとしているユウの出鼻を思い切りくじいた。
挫いたどころか下手したら骨折、むしろ命が危ないレベルでキャニの言葉はユウに突き刺さって言葉も出ない。
「ユウ、だいじょぶ。キャニがおかしいだけ。」
憐憫の目を向けるリンの視線は、それすらもユウにとっては追い討ちだった。
「うぅ…この子達怖い!」
涙をにじませて、ユウは逃げるように空へと飛び立った。
――と思ったら戻ってきて、
「じゃ、今日一日お願いね!」
と二人に笑顔を見せると、再び空へと舞い上がっていった。
「おし、人化してお店がんばるぞ!」
どんどん小さくなっていくユウの背中を見送りながら、子犬姿のままのキャニはその小さな拳を握り締める。
「いや、今日はそのままでいい。」
「えー?」
そのキャニを半目で見下ろすリン。
「でも、客が来たら、リンだけじゃ大変だろ?この姿じゃロクに手伝えないし、喋るのもユウに禁止されてるし…」
「大丈夫。」
見下ろしたままでリンはニヤリと笑う。
「今日も客は来ない!」
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帝都には貴族の子息向けの学校が設けられていて、読み書き計算から他国の言葉、貴族のマナー、護身術まで、貴族としての一般教養と言われている教育を受けられる。そしてその教育内容は高度なものとして認知されている。
多くの貴族が出資し、諸国の間でも名門とさえ呼ばれているその学校には、出資している貴族の子供は勿論の事、平民出であっても、将軍などの要職についているものの子供や、成績が優秀であるものについても広くその門戸は開かれている。
当然のようにノールも出資していたし、その娘であるアイナもそこの生徒の一人だった。
先日、そこで講師を引き受けていた元“人間代表勇者”の一人が老齢を理由に講師を引退したため、講義に穴が開いてしまっていた。
学校側も代わりを探していたのだが、これといった人物がみつからない。
募集を掛けても、出資の貴族に依頼しても、“人間代表勇者”の後を勤められそうな人物は中々見つからなかった。
その中で、ノールが連れてきた勇者ユウ。
元は単なる村娘であったが、勇者となる事で貴族との交流も増えたため、自然と身についた貴族のマナーは完璧。知識に優れ、何より知名度も抜群である。
ユウと面接した、校長であるキュリアー婦人は一も二もなく気に入ってしまい、すぐにでも常勤講師になって欲しいと依頼する。
が、それは受け入れられず、しぶしぶながら一月に一回という契約を交わす事になった。
そうして今日はユウの初出勤日。
「ユウ先生。一応ここは貴族のご子息達が多く集う場所。もう少し御髪の方を纏めてきてくださいませんと…」
学校へとやってきたユウを見たキュリアー婦人の第一声がそれであった。
どこからともなく櫛を取り出した婦人は手早くユウの髪を梳いて、こざっぱりとした感じに纏め上げる。
手鏡でその髪を見たユウが、
「これが…わたし…?」
と呟かないまでも、癖のあるショートの黒髪は少しふんわりとなっていて、前髪は真ん中からきっちりとわけられているものの、こちらもやはり少し“ゆるふわ”な感じになっていた。
「水系の魔法はこういう使い方もできます。よろしければ後ほど教えましょう。」
片手で自分の眼鏡の位置を直しながら、キリリとキュリアー婦人がユウを見据えた。
なるほど、どうやら水系の魔法でユウの髪型を整えたらしい。
そういう事には思い至らなかったユウが感心して、一種尊敬の眼差しで目の前の初老の女教師を見つめていた。
「今日はこちらの教室で座学の予定です。テーマは…なんだったかしら?」
教室の前までやってきて、婦人が手に持った冊子をぺらぺらとめくる。
「ああ、そうです。今日は魔物と動物について、です。」
「え…それはまた難解な…」
「そうですね。実際、動物と魔物の境界線はないに等しいものですから。」
難しい問題を目の前の婦人はさらりと言ってのける。
多くの研究者達が動物と魔物の境界を探しては挫折し、あるいは時に魔物によって命を落とし、それでもなおこの境界は曖昧なままである。明確な線引きの手がかりすらつかめていないのがこの分野であった。
「勿論、明確な答えを望んでいるわけではありませんよ?このテーマを通してきちんと考えさせる、あるいは自由な発想を引き出す、というのが目的です。」
そこまで言って、少しキツそうな印象すら受ける初老の婦人は、けれどニコリと笑った。
「教師は、生徒の可能性を引き出すのが一番の仕事です。あまり気負わずにね。」
その笑顔は、とても魅力的でユウもまた笑顔にさせられるような素敵なものだった。
初仕事という事で、少し緊張して、さらに難しいテーマを突きつけられて不安になっていたところに、不意をつくようなその笑顔は、その瞬間にユウの緊張を一気にほぐしてくれたのだった。
「がんばります」
ユウも目の前の素敵な女性に、心からの笑顔を返す。
その笑顔に、婦人は一瞬動きを止めて呆けてしまった。
頬が少し熱くなっているのがわかって、冷静さを取り戻そうとその笑顔から目を逸らしてユウの首元を注視し始める。
一体いつ以来だろうか、ただの笑顔に、しかも同性の笑顔にここまで引き込まれてしまったのは。
「そっ、それでは参りましょう!」
「はい!」
冷静さを装いながら、改めて目の前にいる勇者の、噂の笑顔の力というものを実感する婦人であった。
教室に入ると、生徒達はガヤガヤと騒いでいて、年相応の幼さや無邪気さを見せている。
その中で、何人かの生徒が入ってきた校長と、見慣れぬ若い女性に気付いて訝しげな顔で二人を見ている。
その視線と喧騒の中で、婦人が何かを言いかけるが、それを制してユウが壇上へと歩いていった。
「みなさん、こんにちは!今日から一ヶ月に一回特別授業をする事になりました、ユウといいます!」
壇上から声も高らかに挨拶し、笑顔を生徒達に向ける。
その瞬間、静寂が教室を支配した。
この時キュリアー婦人は、この人物を先生として読んだのは失敗だったのではないかと思ったという。
なぜなら、生徒達はユウの声に一斉に壇上を見上げ、そしてユウの笑顔に皆一様に頬を染めてしまっていたからだ。
悪い意味ではなく、この人物を先生として教壇に立たせた事を一瞬後悔する婦人。
自分ですら、耐え切れるかわからない極上の笑顔。それが何の準備もない生徒達に向けられているのだ。
生徒達がそれに耐えられるか――そんなものは自明の理のはずなのに。
ユウは一瞬で静かになった教室の様子に、うんうんと仕切りにうなずいている。
一体何をそんなに頷く事があるというのか。
ユウに視線を投げかけられてしまった生徒達は、その笑顔の視線に耐え切れずに下を向いて顔を真っ赤に染めているのが婦人からは見て取れた。
一方で、視線を投げかけるたびに下を向かれてしまうユウは段々不安にその笑顔を曇らせる。
(だめよ、先生が笑顔を曇らせちゃ。それにその笑顔は曇らせるにはとてももったいない!)
「はい!皆さん、そんなわけでこの時間は勇者でもありますユウ様が先生となります!きちんと授業を受けるように!」
自然と体が動き、手をぱんぱんとならし叫んでいた。
「それではユウ先生、お願いします。」
「あはは…はい…」
自信無さ気に答えるユウだった。
普段なら彼女はこんな風に動く事はない。
どんな先生であれ、給金を払い、生徒達を任せるのだから一端の人間として扱うから、たとえ生徒達が喚き叫んでも、授業にならなくても、決して助け舟などを出さないし、出すつもりも無い。
それなのに、今は体が勝手に動いてしまった。
それはおそらく生徒達を我に返らせるためが半分、そしてユウの笑顔を曇らせたくないのが半分だったのだろう。
そう結論付けてキュリアー婦人は、始まったユウの講義を見るために教室の後ろへと下がっていった。
ユウの講義そのものは可もなく不可もないものだった。
特別目立った特長は見受けられず、テーマそのものは難しいのだが、そつなくこなしている印象だ。
重要な部分を強調し、生徒に意見を促し、それに対して議論させる。
授業風景としてはよくある手順だが、そもそも本職は教師ではないのだから、よくやってる方だろう。
だが、校長として、一教師として、ユウの授業は舌を巻くものだった。
授業としての流れはまるっきりよくある風景にも関わらず、キュリアー婦人を驚かせたもの、それは――
「魔物と動物は、とても曖昧な線引きで成り立っています。そうですね。あ、そこの…カイトくん?どうしたのかな?」
「はい、とってもいい意見でした。私も同じことを思ってたんだけど、先に言われちゃいました。」
「それはとても難しい質問ですね…あら?えぇと…シャルロットちゃん。何か気になるの?」
「おお…凄い。私はそこまで思いつかなかったな…皆はどう思いますか?…ん?ミザリアちゃん?」
目と記憶力が尋常ではないのだ。
生徒達のかすかな所作を見逃さず、意見を引き出してくる。その過程で顔と名前を覚え、次からは間違う事がなかった。
そして生徒達の意見を決して否定する事がない。
それがたとえ間違っていたとしても、ユウはけっして否定せず、それを子供達に議論させる。
よいと思った事は素直に良いと言い、驚いて見せたり、褒めたり。
そうこうしているうちに、子供達はユウに聞いて貰いたくて、あるいは褒められたくて積極的に意見を述べるようになっている。そのうち議論そのものが楽しくなった生徒もいて、教室の中は活気に満ちていた。
中には引っ込み思案な生徒もいるのだが、それをもユウは掬い上げて来る。
自分ですら真似出来ない、まさに子供の可能性を引き出すかのような風景にすっかり見入ってしまっていた婦人。
そしてユウはその婦人ですら巻き込んで授業を進めていく。
しいて難点を一つだけ挙げるとすれば、ユウの笑顔か。
生徒達に意見を述べさせ、それを真剣な面持ちで聞いているユウが、生徒の話が終わると共に嬉しそうに笑顔を浮かべるのだが、その度に生徒達はその笑顔に見入って放心してしまう。
その度に、「あれ?」と首をかしげるユウなのだが、その仕草に我に返った生徒たちは、再び意見を述べるために手を挙げる。
たびたび授業が一瞬でも止まってしまうのは、難点といってしまえばそうなのだろう。
授業の終盤にはもはやユウの笑顔をみるために意見を述べているのではないかと思える生徒までいた。
そして終業を知らせるベルが響き渡る。
ユウの笑顔にうっとりとしては、我に返り、意見を述べ、またユウの笑顔にうっとりとする。
そんな事を繰り返して、すっかり夢うつつのような状態になっている生徒達は、ぼんやりとした顔で終礼を行う。
「何か質問があれば、休み時間の間受け付けるからね!」
そうして、再び生徒達を夢の世界に引き込む笑顔を見せるユウであった。