空を眺めて
真っ青な空を眺めていると、どこから流れてきたのか、小さな雲がゆっくりとユウの視界に入ってくる。
今日は天気がよかったし、前に思いつきで店の外に設置したテラス席で、一人優雅にコーヒーブレイク。
なんて思っていると、リンがジト目をさせて言うのだ。
「コーヒーブレイクタイムフォーエバー」
余計なお世話である。
そのリンは今日もキャニと店の隅っこで勉強会を開いている。
午前中にちょっとだけ鍛錬を行って、お昼ご飯を終えてまもなくその勉強会は始まっていた。
店の外からでもその様子が見て取れる。
相変わらず二人は仲良く本を読みあったりしているようだった。
ここまででおわかりいただけると思うが、今日も喫茶店『小道』に客影はない。
そんなだからユウもテラス席でぼんやりと空を眺める事ができるのだけれど。
暖かな湯気を放つコーヒーを、一口。
そうして空を眺める。
さっき流れてきた雲がゆっくりと形を変えて、また流れていく。
雲が流れていく様子は見ていると意外と飽きない。
何かの形、何かに似ているとか、そういうこともなくただその雲はそのまま雲という感じで、少しずつ形を変えながら、流れていく。
あの雲の高さまで登ったら、何か別の形に見えるのだろうか。
それとも、やはり同じにしか見えないのか。
ただただ、ぼんやりとユウは雲を眺めている。
眺めながら、いつかどこかで聞いた事のある旋律を思い出して、なんとなく口ずさむ。
ユウの口ずさんだ旋律を運ぼうとしてくれているのだろうか。
穏やかな風が木々を微かに揺らしながらやってきて、ユウの後ろから通り抜けていく。
旋律は風に乗って、運ばれていく。
あの雲まで届いたのだろうか、呼応するかのように雲は形を変えていく。
口ずさむと、また風が吹いて、雲がまた形を変えていく。
そんな事を繰り返す。
いつどこで聞いたのか、何故歌えるのかはわからずに、ユウは口ずさむ。
風に乗って届いたその歌が呼んだのか、いつのまにか森から小鳥たちがやってきて、テラスを囲っている柵に止まって口ずさむユウを眺めている。
ユウの歌は続いていく。
小鳥たちは鳴き声を発する事もせずに、ユウの声に聞き入ってるかのようにじっとユウを見ている。
森の木陰から、4本足のおとなしい獣がその様子を覗いている。
まるでユウの歌に引き寄せられたかのよう――
小さな動物は木の上から、大きな動物は身をちぢこませて、はては魔物までも現れて『小道』のテラスへと視線を送る。
木の枝を踏んでしまった動物に、他の動物の視線が、まるで静かにしろと言わんばかりに一気に集まる。
そこはまるで動物や魔物でも不可侵の領域か何かのように、動物同士の争いすら起きなくて、皆ただユウの声に耳を傾けている。
風や雲、動物たち。
ユウのあずかり知らぬところで、ユウのソロコンチェルトは始まって、知らぬうちに終わりを告げる。
ユウの歌が終わると動物たちは音もなく森へと姿を消していった。
「んー!」
歌い終えて背伸びをすると、柵に止まっていた小鳥が驚いて羽ばたくと、空へと飛び去っていく。
「ふぅ。」
そうしてまたコーヒーを一口。
すこし温くなってしまっているが、けれど新しく淹れるにもここをなんとなく動きたくないユウであった。
「やぁ、ユウちゃん。」
そんなユウに声をかけてくる一人の男。
「えっ、フーディさん?」
「こんにちは」
「あ、こんにちは…いらっしゃいませ!」
怪しげなフードの男、フーディが店先に立ってユウへ向けて手を振っていた。
「いや、上手ですねぇ。思わず聞きほれてしまいました。」
「え…あ。」
どうやら歌っていたところを聞かれてしまっていたらしい事に気がついて、ユウは恥ずかしさで頬を染めた。
「やだなぁ、もう、声かけてくれても」
「そんなもったいない。」
フーディはそのままユウの正面までやってきて、
「ここ、いいですか?」
と、大仰に一礼する。
「あ…どうぞ。ってコーヒーでいいですか?」
「おかまいなく。では、ちょっと失礼して。」
フーディがユウの正面の席に座って、なんとなく上機嫌な様子でユウの方を向いている。
「おかまいなくって…一応ここ喫茶店なんですけど…」
「あはは、一応、ですか?そうですねぇ、それじゃあ、そのサーバーのコーヒーをいただけますか?」
「え…ぬるいですよ?」
「かまいませんよ。」
「うぅん…じゃあ、今日は私のおごりで。」
ユウはそういうと一度店内に戻るとカップを1セット用意した。
ドアベルが鳴ったので一瞬リンとキャニが玄関の方に目線をやるが、そこにはいつもの店主の姿があっただけだったので、また勉強会へと熱中し始めていた。
(ん…ま、いっか。)
勉強に再び熱中しはじめた二人には声を掛けずにそのまままた店を出て行くユウ。ドアベルがなるが、二人が再び目線を送る事はなかった。
「おまたせしました。どうぞ~」
「ありがとう。」
出されたぬるいコーヒーを一口飲んで、フーディは「これはこれで。」とつぶやいていた。
「で、何してたんです?」
「あはは…天気が良かったので空を眺めていたんです。」
「ふむ…」
ユウの話に、フーディもまた、空を見上げてみる。
釣られてユウも空を見上げた。
さっきまで漂っていた雲はすっかり流れていってしまって、今度は遠くから僅かに紅を背負った雲たちがこちらへと向かって来ているようだった。
フーディはただ無言で空を眺める。
ユウも何も言わずにただ見上げている。
時間がゆっくりながれているように感じるが、二人でただぼんやりと眺めているはずの空は、しかし段々と紅く染まっていく。
紅と青が交じり合って、その境目が曖昧になっていき、それはやがて紫から黒へと変わっていく。
ただ、黒はぽつぽつと白をそえて、完全な闇とはならないけれど。
そんな境目の時間。
鳥たちが迫り来る夜に怯えるように鳴き声をあげながら、まだ残る紅の方へと飛んでいく。
すっかり冷め切ったコーヒーにも気付かずに二人はただ何も言わずに空を眺めているだけだ。
お互いがお互いに、そこにいる事を忘れているのではないかと思うくらい、無言で。
けれど、そこにはただ悠々とした雰囲気だけがあって、お互いがお互いを気にせずにただただぼんやりと空を眺めているだけ。
紫と黒が交じり合う頃、「ごちそうさま」とだけ残してフーディは去っていった。
ユウは笑顔で見送ると、今度は紫と黒の境目に光る白たちを見上げる。
そしてはたと気付いて店の中に目をやると、リンはカウンターにもたれかかるように、キャニは椅子の上で丸くなって、静かに寝息をたてていた。
ユウはふっと優しい笑みを浮かべると、そっと店内へと入り二人を優しく抱きかかえ、店の奥へと消えていった。
――誰も居なくなったそこに
月明かりが、テラスに取り残された香りの残滓を、物欲しそうに照らしていた――
ここは喫茶店『小道』
雲のようにゆっくりと時間が流れていく場所
お勧めはコーヒー、柔らかな月明かりをそえて




