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ふつう

 甘いケーキを食べ続ければ、その甘さに飽きてしょっぱいものや辛いものが欲しくなる。

あるいは苦いコーヒーや紅茶が欲しくなる。


 反対に、辛いものやしょっぱいものを食べた後は甘いものが欲しくなる。


 同じものを食べ続ける、あるいは同じ事をし続けるというのはやがて飽きて別の刺激が欲しくなるのだろう。


さて、それでは美味しいものを食べ続けたら?


 美味しいものを食べ続ければそれが普通になってしまわないだろうか?

 

残念ながらそうはならない。

美味しいものは何度食べても毎日食べても毎食食べても美味しいのである、というのはリンの談である。


 恐ろしいのは日常である。


隣のおばさんが毎日怒鳴り声をあげていたら、最初はびっくりするだろうけれど、段々と「あ、今日もやってる」となってしまうだろう。

逆に怒鳴り声が聞こえてこないと心配にすらなるだろう。

隣のおばさんの怒鳴り声が聞こえてこないこと、それは既に異変である。

そしてその異変ですら、何日も怒鳴り声が聞こえなくなれば普通の事と化してしまう。


 それが日常である。


 同じような事を繰り返していく事が日常で、その中に時々特別な事が起こるから、日常を日常として認識できるのかもしれない。



 そんな事を、ユウは時々考える。

言って見ればユウは非日常を日常として生きてきた。

誰も踏み入れない洞窟や秘境、ダンジョン。誰も見たことのない魔物との戦い、人間は好んで入らない魔族の領地、北へ、南へ、東へ西へ。


 危険や死と隣り合わせの状況はいくらでもあったし、その事に段々感覚が慣れていくのもわかった。

生きるために、生き抜くために神経が研ぎ澄まされていく感覚。


 そうやって何年も生きてきたのだから、今のような平穏な時間は無二の宝とも言えるだろう。

けれど、今の生活があと何年も何十年も続いたらその平穏が普通になって、退屈になって、また刺激を求めて外に出てしまうのだろうか?


ユウの答えは否である。



 確かに、先日新しい洞窟の出現を聞き、喜び勇んで冒険へ出かけたし、そういう刺激というかロマンというか、冒険心が消えたわけではない。

今尚時間があれば剣の稽古や、リンと一緒に護身術の稽古をしたりもする。

さらにはついこの間、少し物悲しい結末になったけれど、リンに力の発動が見られた事件があった。

それ以来、雷に由来する魔法を少しずつ教えている。

毎日のこと、似たような事を繰り返しているように見える日常は、その実はほんの僅かな変化を起こして収束していく。


 同じように見える事、同じように見える景色、同じように繰り返しているような事、その全てに小さな小さな変化がある。

その小さな変化に初めて気がついたとき、ユウの世界はコトリと小さな音を立てて動き出した。



世界は変わらない?人は変わらない?同じ事を繰り返す?



 そうではない、とユウは思う。

小さな変化を受け入れながら人は日々を過ごして行く。その事に気づいていないだけなのだ。

そして大きな変化があっても、やがてそれすらも日常に変えていく。


 それは大いなる力と言えよう。


人には、人同士が生活していく中でその大きなうねりすら受け入れて生きていくほどの力があるのだ。

その力に比べれば、神託勇者の力などちっぽけなものでしかないだろう。



 漆黒の筈の水面が光を反射してユウの顔を映し出す。

 僅かに揺れて波打つと、それはうねりの中に消えていった。

 そっと口付ければ、苦味と香りが口の中に広がって、やがてそれも消えていく。



 勇者に出来ること、なすべきこと、それは何だったのか。

今でもユウにはわからない。ただ、こうではないかと思ったことをがむしゃらにやってきて、そしてリンと出会った。


 その頃の記憶は霞がかかったようにとても曖昧で、はっきりとしない。

ただ、誰かがいた。

その人がリンを伴ってやってきて、そして「約束」を交わした。

ユウの記憶にあるのはその「約束」とその時視界を覆うように舞い上がった桜吹雪だけ。


「それが何だったのか、それはそのうちわかるさ」


 その人はそう言い残して桜吹雪と共に消えていった。

 夢を見ていたのかもしれないが、実際にその時からリンと一緒にいる。

 あるいはあの瞬間からずっと夢をみているのかもしれない。


「それならそれでいいかなぁ…」


 頬杖をついて湯気が立たなくなってきたコーヒーを見ながら呟く。


 この店があって、ユウがいて、リンがいる。

 時々客がやってきてひとしきり騒いで帰っていく。


 それはもうユウとリンの日常だ。

客からすればもしかしたら『小道』に来ることは非日常かもしれない、日常かもしれない。


 今が夢であれ現実であれ、ユウにとっては些事に思えるのだ。

だって、


「そのうちわかる」


から。



 日暮れと共に店を閉めて、店内ディナーをするユウとリン。


「今日も誰もこなかったね」


 夕食の皿を並べながらリンが半目でユウを見ながらそう零す。


「今日 "は" ね」

「今日 "も" だね」


 笑顔のにらみ合いをしながら食卓を整えていく二人。


 夕食を食べながらリンが今日あった事を話してくれる。

森で狼の子らにあったとか、菓子がうまく焼けたとか、こういう料理はどうだ、とか。

リンの話は尽きることなく、ユウもまた、身振り手振りで話すリンに微笑みを浮かべながら聞いている。


これもいつものこと――日常だ。


 リンは実に色んなことに気づく。

ユウが大人になって、どうでもよくなったことや、気づかなくなったことなどを実に楽しそうに話してくれる。

毎日が違う話だ。

一日とて同じ話はなかったのではないかとユウは思う。

似たような話は確かにあったが、その時のリンの様子がこれまた違う。嬉しそうだったり、楽しそうだったり、悔しそうだったり、悲しそうだったり。


 時間を経るごとに、リンは様々な顔をユウに見せるようになっていた。

そしてそれは、ここでの穏やかな日々が健やかに彼女を育ててくれているのかもしれない、とそう思い至って、楽しそうに話すリンにやはり笑みが零れるのであった。


 なんでもない時間が大切な時間で、特別な時間で、けれどその特別な時間や大切な時間はなんでもない日常になって、果たしてユウは今感じていることを忘れたくないと思う。

普通が特別で、特別が普通なこのリンとの大切な時間。


 何でもない日常を大事にしながら生きて行きたい、そしてそれは片時も忘れてはいけない事だとユウは思う。

何かをないがしろにしたり犠牲にしたりする生き方では、必ずどこかに無理を生じさせて、下手すれば壊れてしまう。

だから、一つ一つを大事にするのだ、出来るだけ、全力で。


「ユウ?」


 そんな事を考えながらリンを眺めていると訝しげな表情のリンが首をかしげていた。

リンの目の前の皿はすっかり綺麗になっていて、一方ユウの皿にはまだ夕食の料理が残っていた。

珍しくリンのほうが早く食べ終わったことになる。

けれど、リンも食事の途中から自分を、というより、自分の後ろにいる誰かを見つめるようにして食事の手が止まっている事に気がついていたから、流石に少し変だと思ってユウに声を掛けたのだ。


「ああ、リン。リンはとってもいい子だね」

「子供じゃないよ」

「わかってるよ、でも…じゃあすごくいい子だ。」

「変わってないけど…」

「ふふ、とても素敵って事だよ」

「ふつう」


 リンの呼びかけに、ふっと微笑わらってユウはくしゃりとリンの頭を撫でた。


「ふつう?」

「うん、ふつう」


 ほら、やっぱり。


 ここでの生活で見聞きしたこと、ユウと一緒に過ごす日々、それらは彼女にしてみれば「ふつう」なのだ。

 けれど、リンはその「ふつう」というものがどれだけかけがえのないことなのか、無意識に理解している気がする。そしてそれはきっとこの先も彼女の中から失われないだろうし、失って欲しくないものだ。


 リンがクエスチョンマークを浮かべながら首をかしげる。

 ユウはそれをニコニコとして見つめている。


 いつもの風景、いつもの二人だ。



――ここは喫茶店『小道』


 何気ない日々がそこにある。


 お勧めはいつものコーヒー、いつもの焼菓子をそえて――

なんか、説教くさくなってる気がしますね、すみません。

でも、一日一日を無碍にせず大事にして欲しいとは思います。

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