人のことばかり世話焼いてると自分の事がおろそかになるって近所のおばちゃんが言ってた。
今日も今日とて客の居ない喫茶店『小道』
そんな事を気にする様子もなくユウはカウンターの奥でコーヒーを片手に目の前に置かれた本を凝視している。
今目の前にあるのは先日の演奏会の時にツクシがお土産にと、もって来てくれた恋愛小説。
「ユウちゃんも、これ読んでええ男捕まえへんとあかんで~」
などと言っていたが余計なお世話だし、それに自分も早いとこええ男とやらを見つけなくていいのだろうか?というかむしろその後ろに控えている男をちゃんとみるべきだろう。
なんて風に思うけれど、純粋に本が好きなユウとしてはこれ以上ないお土産でもあった。
「でもなぁ…」
本のタイトルを見て、表紙を飾る絵を見て、少し辟易する。
ユウは本の趣味は雑食ではあるのだが、いかんせん、甘ったるい恋愛小説とかはあまり読まない。
しかしながらツクシが持ってきたこの小説、タイトルを「チョコ混じりのココア」という。
ココア自体がホットチョコレートといわれているのに、そこにチョコを足してどれだけ甘いのか。
さらには表紙には抱きしめあう男女がキスをする寸前のような描写になっている。
正直ちょっとリンには見せられない、とユウは思う。
当然、というと少し悲しいが、一番青く輝く青春時代を勇者という肩書きの下で世界各地を放浪した自分には恋愛経験などなかったからキスなどしたこともない。
あわやという事は一度あったが、相手が本気かどうかもわからなかったし、何分若かったからその時は特に拒否はしたものの何も思う事はなかった。
相手も無理にということもなかったし…
そこまで考えてユウは首をぶんぶんと振った。
ちょっと思い出してしまったのだ。
帝都の一角にある貸し部屋を拠点していた頃、何度となく皇帝の使いというものが来た。
晩餐に招待、とか、花束を持ってきてみたり、ユウを城まで呼び出そうとあの手この手で何度も来るものだから、流石にユウも辟易して居留守を使ったり、なるべく帝都の外での仕事を請けたりして有耶無耶にしていたのだが、ある日ついに皇帝の嫡男が直接尋ねてきた。
流石に次期皇帝のお出ましであるから、ユウも居留守をしているわけにもいかない。
それを言ってしまえば皇帝の使いも皇帝代理みたいなものだからむげには出来ないのだが、より上の人間がきてしまったので、ごまかしきれなかったのだ。
「愛している」
部屋に入るなり、次期皇帝様はそう叫ぶとつかつかとユウへと足早に歩み迫ってきた。
「ふぇ?い、いやその、ちょ」
後ずさりするものの、やがて壁際に追い込まれてしまう。
「愛しておるのだ、勇者、いやユウよ。」
ぐいっと顔を近づけて目を見つめてくる。
「ちょ、いや、その、待ってくださいよぅ」
男性にここまで近づかれた事もなかったからドギマギしてしまって、視線が宙を泳いでしまう。
「冗談や酔狂ではない。私はお前を妃に迎えたい。」
そういいながら顔を近づけてくる次期皇帝。
流石に身分も違いすぎるし、まだ結婚とかそういう事は自分には先のことだと思っていたから、突然のこの言葉には面食らってしまう。そして今まで散々お呼び出しをしていたのはこのためだったのかと、初めて知ることになる。
あわや唇と唇が触れそうなほど近くまで来て――
ユウはひょいとかわして次期皇帝の後ろへと逃げ出す。
目を閉じていた次期皇帝はそのまま壁に口付ける。
(勇者の唇は堅くて冷たいのだな…ん?)
はっとして目を開けると目の前には壁があった。
「その、ごめんなさい、ちょっとびっくり…その、今はそゆこと考えられなくて…」
振り返った彼の眼に映ったのはもじもじと顔を赤くしながらも、困ったような、それでも笑顔のユウだった。当然その笑顔ですら彼にはとても愛おしく思える。が、
「う、うむ。そうか…いやすまなかった。」
と、これ以上は流石に次期皇帝といえどはばかられるし、本気で妃にと考えていたからなおさら不興を買うようなことはしたくない。
力づくで、といきたいところだが、恐らく力ではかなわないだろうし。
(あの時は、うぅん、あの人悪い人じゃないんだよなぁ)
今更ながら少しもったいなかったかな、なんて思いながら、それでも妃なんて冗談じゃないとも思う。
勇者になって、貴族など上流階級との交流もあったからある程度のマナーや礼儀などは知っている。
けれど、舞踏会やお披露目、様々な行事で見てきた沢山の貴族達は、そのだれもが楽しそうではなかった。
ユウ自身、美味しい食べ物や飲み物に、綺麗なドレスをあつらえてもらったりしてそこそこ楽しんではいたものの、上辺だけの会話、上辺だけの人間関係にほとほと嫌気がさしてもいたのだ。
特に次期皇帝からの求愛が激しい頃、招待されたパーティで同じ年頃の貴族の娘、あるいはその家族に向けられる敵意にも似た視線はユウにとって心地良いものではなかった。
悪い人でないことはわかるが、それでも彼の求愛を受ける気にはとてもならなかった。
それが帝都から離れてここに来た理由のひとつでもある。
ユウだって年頃の女性なのだから、素敵な男性に出会って、素敵な恋に落ちて、素敵な人生をともに歩む、なんていう事を考えなくもないが…
「はぁ…」
甘ったるさが爆発しているであろう小説の表紙を凝視しながら思わずため息をついた。
勇者としての神託を受けるまではユウは変哲のないどこにでもいる村娘だった。
「普通の人でいいのに…」
思わず独りごちる。
現実は非情かな、ユウに言い寄ってきた男といえば、あの皇帝や、人間代表勇者の中にも一人いたか。
言って見ればどれも色物である。
皇帝にせよ、人間代表勇者にせよ、確かに人の尊敬を集めるような人間だから立派なのだが、もしもユウが相手となる男性に求めるものがあるとすれば、おそらくそういうものではないだろうと思う。
では、何を求めているのか?と聞かれても、今のユウに答えは出せないだろう。
だからといって、誰かと交際…といった気分にもならないユウであった。
菓子の焼ける香ばしさがユウの鼻に届く。今、リンは店の奥にある窯で菓子をせっせと焼いているだろう。
それは大概、ユウやリンの腹に収まってしまうのだが。
今も目の前の皿にリンのお菓子が三つほど並んで置かれている。
ツクシからもらった小説を傍らにおいて、菓子を一つ口に運ぶ。
甘すぎない丁度良い甘みと風味が口の中を駆け抜けていって余韻を残す。
そこでコーヒーを口にすると、コーヒーの苦味や風味とほどよく調和してくれる。
「ああ、そういえば――」
そこでふとリンの事に思い至る。
以前ウォルと一緒にきた少年、名前をホヴィといったか。彼がリンに送る目線には熱いものがあった。
先日なんかはリンにプレゼントももってきていたし、演奏会の時は店内を走り回るリンをずっとみていたような気がする。
一瞬、ニヤリとなってしまう。
人間とオーガという種族の垣根があるものの、彼の思いは易々とその垣根を越えてきているように思えたし、彼の行動と、その気持ちに全く気付かないリンの態度がなんというかむず痒いような感覚を覚えさせるのだ。
ホヴィはリンがしおりを使ってくれている事に顔を綻ばせていたし、リンにコーヒーやお菓子を運ばせると、明らかに顔が輝く。
本当にわかりやすくて、微笑ましいとユウは思った。
同時に
「もう少し、気付いてやればいいのに…」
なんてリンの態度を思い出して呟く。
皇帝の求愛騒動をしる面々からすれば、それはユウもそうだろうと思うだろうが、ユウはそれには気付かない。
リンに熱い視線を送るホヴィ少年や、あるいはツクシを見つめるヨギなど、誰が誰を見ているかという事には敏感なのに、自分の事となると途端に鈍くなってしまうのだろう。
カランカラン…
傍らに置いた恋愛小説とにらめっこをしながらあれやこれやと考えていると、ドアベルがなって来客を知らせる。
「やぁ、まだやってる?」
そこにやってきたのは怪しげなフードの男、フーディだった。
相変わらずフードを深く被っていて表情は見えないが、いつものように陽気な声で片手をあげている。
「いらっしゃいませー」
「うん、きたよー」
「いらっしゃいませ!」
「やぁ、リンリンも」
ドアベルの音を聞きつけてリンも全速力で出てきたようだ。
「なんだ、フーディか。」
「ん、失礼だね、リンリン。客だよ?お客様だよ?」
そういう割りに嬉しそうな顔をしているリンを見て、フーディもまた陽気な声で冗談めかす。
「コーヒー一杯で何時間もいるのは迷惑、ってユウが。」
「ちょおっと、リン。そんな事いってないよぅ」
これは本当にユウが言った言葉ではなく、リンがどこぞの本から仕入れてきた台詞だった。
「へぇ…」
すっと上から見下ろすようにフーディがユウに視線を向ける。
表情は見えないが、きっとジト目でもしているのだろう。
「もう、フーディさんはもう常連さんなんですから、そんな事思いませんよぅ」
思わぬリンからの濡れ衣にユウが口を尖らす。
常連、という言葉にフーディがニヤリ、と笑った気がした。
「そーぉ?まぁ、そういうことにしといてあげよう。美味しいコーヒーに免じて。」
多分ニヤニヤと笑いながら、フーディはカウンターについた。
すぐさま目の前のユウからはコーヒーがだされ、後ろからリンが菓子をもって来る。
「ほんとですよぅ。もう、リンってばー。」
「冗談、ごめん」
口を尖らせてリンを軽く睨むユウに、リンは口の端をにやっとさせる。
「もー!」
「ひゃあ!」
ユウが両手を威嚇するように上へ振りかぶると、リンは笑いながら悲鳴を上げて窯の方へと逃げていってしまった。
「ふふ、仲がよくて微笑ましいね」
そんな二人の様子をフーディがコーヒーの香りを楽しみながら見ている。
「最近、知恵がついてきちゃって」
「いいことじゃない?」
「そう、ですかねぇ」
「そうだよ」
ユウは思わず腕組みをして考え込んでしまう。
最近のリンはユウの蔵書の他にもパティやトリシャの持ってくる本などにも手を出していて、実に様々な事を吸収していっている。
さっきの台詞もそうだし、そういう冗談めかすこと以外にもお菓子作りなどにも応用できる知識も次々吸収していっているようだった。
ただ、そうして色んな知識を蓄えていく中で、リンの表情が豊かになってきている、とユウは感じていたから、悪い事ではないとも思う。
たまにさっきのような対応に困るいたずらが増えてきたのは困りものでもあるが。
「まぁ、僕は楽しいからかまわないんですけどね」
「はぁ、まぁフーディさんがそういうなら。」
フーディの言葉に若干腑に落ちない様子ではあったものの、ユウは腕組みを解いてカウンターの中の椅子に腰掛けた。
「そういえばこないだの演奏会凄くよかったよー。」
「あ、ありがとうございます!」
ユウがフーディの言葉に顔をぱっと明るくさせて微笑む。
そこから、そういうのを前からやってみたかったとか、フーディもまた雰囲気や曲長に言及したりして、話が弾む。
「最後の「勇者」を贈られた時のユウちゃんの顔も実によかったですねぇ」
「あーもう、フーディさんまでー!」
時折そんな冗談を交えながら。
ひとしきり話をしてると、ある瞬間に話が途切れて沈黙が訪れる。
けれど、気まずいとかそういうことは全くなくて、フーディもユウも同時にコーヒーを一口。
どちらともなく笑みがこぼれて微笑みあう。
いや、フーディの表情が見えないが、なんとなくユウにはそう思えた。
フーディと話すのは、上手く説明できないのだけれど落ち着くというか、やすらぐというか。
昔からの知り合いのような感じもして。
もっと言ってしまえば
(お父さんみたい。)
ユウはそんな風に思うのだ。
が、フーディとしてはそんな風に思われるのは心外であろう。
それでも「お父さん」という言葉がフーディの雰囲気となんとなく重なる気がして、思わずニコニコとフーディを眺めてしまうユウ。
「なんか…こう、なんか違う気がする。」
その視線の違和感に気づいたフーディがぼそりと呟くのであった。




