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嵐が運んできたもの

いつものように、客のいない喫茶店「小道」


ユウがカウンターの奥で、ぼんやりと頬杖をついて、外を見ていた。

リンはお菓子を焼くのに奥の窯にこもっていて、店内にはいない。


外は少し曇っている。

遠くの雲が黒ずんでいて、こちらに向かってきているように見える。

ユウはその様子を、ぼんやりと眺めている。

時々リンがいったりきたりして、再び窯へと戻っていく。


どれくらいそうしていたのだろう。

さっき淹れたはずのコーヒーから立ち上る湯気はなくなって、すっかり冷めてしまっている。

遠くにあったはずの黒雲がすぐそこまで迫っていた。

その黒雲から逃げるようにして鳥の群れがユウの視界を横切っていった。


「あ、洗濯物」


はっと気付いて、ユウがあわてて外へ走り出した。

洗濯物をあらかた籠に放り込んだところで、一滴の水がユウの頬を打った。


「降って来ちゃったなぁ」


空を見上げると、次々に雨の雫が落ちて来ていた。

洗濯籠をもって家の中に駆け込むと、リンが空の様子を見上げて少しおびえた顔をしていた。


「雷?」


不安そうな目ユウを見上げる。


「わかんないけど、くるかなぁ」

「うぅ…」


といったものの、ユウは遠雷もないし、来ないだろうとは思っている。

単にリンに意地悪というわけではないが、表情の起伏があまりないリンの違う表情をみたいだけのいたずら心だった。

伏し目なリンに、見えないところでペロリと舌をだしてみせたくなるような衝動にかられた。


間もなく雨が強くなってきた。

リンは不安そうに窓から外を眺めている。

風も相応に強いらしくて、斜めに降って来る雨が窓に打ち付けていた。

強風で外のデッキにおいていた椅子とテーブルがガタガタと揺れている。

その音がまたリンの不安をあおっているようにも感じられた。


「タイフー、かな?」

「タイフー?」


初めて聞く言葉に外を眺めていたリンが振り返る。


「うん、強い雨と風になるけど、雷はあんまりならないの。」

「雷ないの!?」


リンがぱっと顔を明るくさせた。

そんなリンにユウもにっこりと笑ってうなずいた。

いたずら心はどこかへ飛んでいってしまったようだ。


「絶対ってわけじゃないけど、タイフーの時はあんまり雷は来ないよ。」

「そか、雷、ないんだ。」

「ゼロじゃないけどね」


リンは一人でうんうんとうなずいている。

本当にゼロではないのだが、可能性が少ないというだけでリンは嬉しそうだった。

それにしても、タイフーがくるとは、随分季節はずれだとユウは思う。

しかし、ここ「小道」の周りは季節が曖昧だから、そう不思議な事でもないと思い直す。


雷の不安が少し和らいだのだが、リンはそれでもどこか不安そうな顔をしている。

風がガタガタと家屋を揺らすからかもしれない。

ここへ来て一年と少し、これほど風の強い日はなかったように思える。

飛行魔法での向かい風に比べれば、強さも音も大したことはないのだが、リンにとってはそれとこれとでは別物のようであった。


「家が、飛ぶ」


ぼそりとリンが呟いた。


「素敵だねぇ、空飛ぶ家かぁ」

「違う」


ピシャリ、と音がしそうなほど鋭くて早い突っ込みであった。


「えぇぇ…」


最近、リンの突っ込みが鋭さを増していると、ユウはそんな気がしていた。

一体どこで覚えてくるのか、あるいはユウの蔵書の中にお笑いの本でもあったのだろうか。

まだ不安の色が残るリンを尻目に、ユウは眉間にしわをよせて考え込んでしまった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「小道」のカウンターから見える大きめに取った窓の外。

そこにはテラスのようになっていて、ついこの間そこにテーブルと椅子を設置したのだが、突風に飛ばされてはかなわぬ、と今は店内に移してある。

そのテラスの先、「小道」の玄関から街道へと伸びるまさに小道があって、その道を覆うように木々が立っているのだが、今は横殴りの風に激しくその身を揺らしていた。

その木々の間から街道の様子が少しだけ見て取れる。

滅多に馬車や人が通る事はないし、ましてや今日のようなタイフーの日は当然誰かが通るなんてことはない。

折れた木の枝が風に乗って飛んでいくくらいだろうか。


誰も通るはずがない、そのはずだったのだが、リンが不安げに外を眺めていると、丁度小道への分かれ道のところへ、馬車が通りかかった。


「ユウ!馬車だよ!」

「ええ!?今タイフーだよ?」

「でも、ほら!」


リンが窓の外を指差す。

が、空が暑い雲で覆われていて、地上は暗かったし、雨が激しくて視界も悪いから、ユウには馬車らしきものを確認する事はできなかった。

しかし、微かにランタンの光のようなものが見えた気がした。

リンの説明によると、丁度街道の分かれ道の所で馬車は止まっているらしくて、御者台の人間が雨の激しい中こちらをうかがっているみたい、ということであった。

おそらく、こちらの灯りをみつけたのだろう。

リンによればかなり大き目の馬車で、馬も2頭繋がっているという。

この辺りの人間ではなく、旅行者か何かなのだろう。ユウはそう思い至った。


パティたちの村や隣村では既に周知となっているユウの店だったが、それ以外の旅行者などは知る由もないし、そういう人達は店に近寄りもしない。

状況が状況だけに、わらにさえすがるような思いもあるが同時に危険を感じてもいるのだろう。

馬車はしばらく街道の分かれ道で止まっていた。立ち往生しているのかもしれない。

「小道」の方を窺っていた御者は、やがて意を決したようにこちらへと向かってやってきた。


「リン、ランタン。あと念のため隠れてて。」

「え?なんで?」

「悪い奴らだったらリンが危ないよ」

「大丈夫だよ」


リンはそういって拳を握って力コブを作って見せた。


「うぅん、でも、外には私一人でいくから、家の中で待ってるんだよ。」

「むぅ、わかった。お菓子準備しておくね!」

「えー、うん、まぁ、わかった。」


何故お菓子、と思ったが、旅行者だったらもてなしたいのだろう。ユウはそう思う事にした。


雨具代わりに、そして念のためにと魔力の盾を全身に覆わせる。それと店のランプを片手に外へ出る。

慎重に辺りを窺いながら歩みを進めていた御者が家の中から出てきた人影に気づいて歩みを止めた。

御者はすぐには動かず、ランタンを掲げて人影の正体を探っているようだ。


「だいじょーぶですかあー!?」


ユウは声を張り上げた。

御者のいるところまではまだ少し距離があるし、この雨風の中ではユウが張り上げた声すらも掻き消えそうになる。

声が届いたのか届かないのか、御者はしばらく動かなかったが、やがてこちらへと小走りに駆け寄ってきた。


「よかった、人だ。」

「どうしたんですか?こんなタイフーの日に」

「村を出た時は晴れていたんだがなぁ、突然降り出して、ぬかるみに車輪をとられてしまってね」

「他に人は?」

「ああ、今呼んで来ます。」

「私も行きます。魔法で雨風を少しやわらげれますから」

「助かります。」


雨風が激しく二人を打ち付けようとするが、今はユウの魔力の盾を展開しているから、ユウと御者の周りは無風だし雨も入ってこない。

御者は魔力の盾を雨具代わりにしている事と、その強さに驚きを隠せないでいた。

木の枝などが風にあおられて飛んできても、彼女の目の前で見えないものにせき止められて、傍目には木の枝が空中に固定されているかのようにも見える。

やがてぽとりと落ちる木の枝を見て、御者はなんだか得体の知れない力を感じるのであった。


それから、馬車へとたどり着いた二人は客車にいた老夫婦をおろし、馬を馬車から解放して、「小道」の前まで歩いてきていた。


「こんなところに泊まるなんて聞いてない!」


店に入るなり老夫婦のおじいさんの方が突然御者に向かって怒鳴った。


「まぁまぁ、いいじゃないですか。とっても素敵な喫茶店!」


それを諌めるのはおばあさんの方だ。

おばあさんは両手を胸も前で組んで嬉しそうに目を輝かせて店内を見回している。


「私が昔勤めていた喫茶店もこんな感じでしたねぇ」

「そうか?」

「おじいさんが毎日通ってくれて…」

「そ、そんな話は今はいいだろう!それよりこれからどうするんだ!」


おじいさんは何だかずっと不機嫌そうにして怒鳴ってばかりいる。

心なしかおじいさんの顔が赤くなっている気がした。

おばあさんはニコニコしながらおじいさんをまぁまぁ、と諌めている。


「とっても素敵な喫茶店、きっと晴れた日は眺めもいいんでしょうけど…それにこのコーヒーの香り、とっても美味しそう。えっと、店主さん。コーヒーを二杯いただけますか?」

「おい、お前!」

「ほらほら、おじいさんも座って座って!」


おじいさんはまだもごもごと何かいいたげだったが、おばあさんの勢いに押されてカウンターに座った。

おばあさんもニコニコしておじいさんの隣に座る。


「あはは…えーと御者さんもどうですか?」


そんな二人のやり取りにすっかりおいていかれたユウだったが、気を取り直してドアの横で怒鳴られて小さくなっていた御者にも声をかける。


「ああ、ええと、私は隣村まで助けを呼びに行ってきます。今日一日お客様方をお頼みしてもよろしいでしょうか?」

「まだ雨が強いですよ?大丈夫なんですか?」

「仕事ですから」


御者はそういってニコリと笑った。

ユウもその言葉にニコリと微笑を返す。もちろん、御者はその笑顔に頬を染めるのだった。


御者を見送った後、ユウは早速二人にコーヒーを振舞う。

おばあさんはニコニコしながら、おじいさんは相変わらずむすっとしながらもコーヒーを口につける。


「いらっしゃいませ!」


老夫婦の後ろから元気な声が響く。


「あら、まぁ!」


ウェイトレス服に身を包んだリンがトレイにお菓子を乗せてやってきた。そのリンをみたおばあさんがまた目を輝かせた。


「まぁまぁまぁ、なんて可愛らしいのかしら!」


リンは二人にお菓子を出し終えて所定の位置、ユウの隣へ下がろうとした。


「お名前は?」


そんなリンにすかさず声をかけるおばあさん。


「リン…です」

「そう、リンちゃん!なんて可愛いのかしら、どう?おばあちゃんの隣で一緒におしゃべりしない?」

「え…っと?」


おばあさんはニコニコとしながらリンを見つめている。

おじいさんはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

リンは困惑した目でユウの顔を見上げた。


「いいんじゃない?お客様さえよろしければ~」


ユウはなんだか嬉しそうにニコニコと微笑んで、むしろおばあさんとのおしゃべりを推奨しているかのようだ。


結局おばあさんの隣にいそいそと座るリン。

そんなリンの様子におばあさんはニコニコとご満悦だ。


「リンちゃんは、何歳になるの?」

「子供じゃないよ…10歳。」


リンが指で数えながら答えると、おばあさんはさらに眼を輝かせた。


「まあ!孫たちと同じくらいだわぁ!ねぇ、おじいさん、孫が一人増えるわよ!」

「へ?」

「ふえ!?」

「馬鹿いっとるんじゃない!」


おばあさんの発言にリンとユウが一瞬あっけに取られ、おじいさんが一喝した。


「えへへ、怒られちゃった」


おばあさんが拳を自分の頭にコツンとあてて舌をペロッとだす。

なんともチャーミングなおばあさんだな、とユウは思った。

一方でおじいさんは眉間にしわをよせておばあさんを見ているのだが、コーヒーを楽しんでいるようにも見えた。


片手でカップをもち、香りを楽しみ一口含んで口内に広がる香りを楽しんで飲み込む。

一瞬だが、満足そうな笑みを浮かべていた。

それに気がついたユウから自然に笑みがこぼれる。


「む…」


そのわずかの間にまた眉間にしわを寄せて残ったコーヒーに視線を落とすおじいさん。


「あらあら~?若い子の笑顔で赤くなっちゃって~おじいさんの浮気者~」

「なっ!?ちがっ!」


おばあさんはそんなおじいさんの様子に気がついて指でつんつんとおじいさんの肩を小突く。

相変わらずニコニコとしていて、悪意は感じない。

そんなおばあさんの笑顔に怒鳴りかけていたおじいさんも言葉を濁さざるを得なくなってしまう。


「うふふ、でも、彼女の笑顔はとっても素敵だもの。私が男の人だったら放っておけないわ~」

「…うむ。」

「うん、ユウの笑顔は好き」


カウンターに座っていた三人が同時にユウの顔を見やる。


「ええっと、あはは…普通だと思いますけどぉ…」

「ううん、とっても可愛いわよ?そう、ユウちゃんって言うのね。名前も素敵ね!」


三人に見つめられて思わずたじろいで苦笑いを浮かべてしまうユウ。

可愛いとか素敵とか言われてしまうと、ユウとしては照れを隠せない。


外見も体型も人並み、どこにでもいる田舎娘、それがユウのユウ自身への評価だ。

せめて笑顔くらいは素敵でいようと思って練習したり、ツクシの笑顔にあこがれて練習したり、そういう努力をしてみたことはあったが、自分で鏡でみても別段素敵だとかはやはり思わない。

勇者になってからいつだって笑顔をわすれないようにして生きてきて、最近になってようやく笑顔がちょっと上手になったかも、という自負くらいはあるのだが。


「ほんとに素敵なお店、それに素敵な笑顔の店主さん。」


おばあさんが目を細めて笑う。顔に刻まれた深い年輪がくしゃりとなって、それでもその笑顔にはなんだかほっとするような、落ち着くようなそんな感じを覚えて、思わずユウもリンも、むすっとしていたおじいさんまでもが笑みをこぼした。


「私達ね、連れ添ってもう50年近くになるのだけれど、おじいさんが突然、冥土の土産に世界旅行にいこうっていいだしてね?」


おばあさんが語り始める。

おじいさんは何か言いたげであったが、ここで話の腰をおるのも無粋な気がしたのか、口をパクパクとさせはしたが何も言わずにそっぽをむいてしまった。


「見ての通り、無愛想ですぐ怒鳴っちゃうけれど、本当はとっても優しい人なのよ。」

「おまえ…」


そんなおばあさんの言葉におじいさんは顔を真っ赤にして、また何かをいいかけるが、おばあさんの笑顔にまた何もいえなくなってしまう。


「東の方にもいってみたいわぁ。私達は港町の近くの村に住んでいたの。一度東の国の人と会った事があってね。素敵な服をきていたのよ?あれは…」

「キモノ!」


おばあさんの話を聞いていたリンがすかさず答えた。


「あらぁ、リンちゃん知ってるの?すごいわねぇ」

「うん、ユウと行った!」

「リンちゃんならとっても似合うわねぇ、東の人は黒髪が多いから。」


おばあさんは微笑んでリンの頭を髪を梳くようにして撫でる。

リンは少しこそばゆいような、それでも気持ちがよくて目を閉じてされるがままになっていた。


「お前が行きたいのなら、東まで行くぞ。」


おばあさんとリンの様子をみていたおじいさんが、不機嫌でもなく眉間にしわをよせるでもなく、まじめな顔で言う。


「あらまぁ、どうしましょ。とっても遠いんですよ?」

「なに、死ぬまでにはつくだろ」

「おじいさんったら!」


おばあさんはリンと顔を見合わせるとうふふと素敵な笑顔をこぼす。

おじいさんは自分の言葉にはっとして口をへの字に曲げて眉間にしわを寄せた。

その頬は赤らんでいる。


「かっこいいおじいさんに、可愛いおばあさん、だね」

「うん、なんか、いい!」


ユウがリンにぼそりというと、老夫婦のやり取りをみながらリンもなんだか柔和な顔で答えた。


その後も、老夫婦の話とお決まりのようなやり取りが続く。

帝都を見た話、道中であった人々の話、これからの旅行の予定、そして老夫婦のほほえましいやり取り。

最初は眉間にしわを寄せて怒鳴ってばかりのおじいさんに近づきがたい雰囲気を感じていたユウとリンだったが、話すに連れてそんなものはどこかにいってしまう。


必ずおばあさんが話を振って、それに対しておじいさんがコロコロと表情を変える。

そこから感じるのはおばあさんのおじいさんに対する想い。

長年連れ添ってきたというだけあって、おじいさんに対してラインを心得ているということなのだろう。

だが、それはおじいさんの方も同じで、わざと話に乗って表情を変えている感じさえもある。


けれど、そこにいびつさや悪意、不満みたいなものは何もなくて二人が二人だけの純粋な会話の駆け引きを楽しんでいるようにも見えた。

時におばあさんが、そしておじいさんがお互いだけではなくユウやリンにも話を振る。

そして笑いあう。


(家族を持つってこういうことなのかなぁ)


目の前には老夫婦、その隣にリン。リンは孫役、じゃあ、自分はリンのお母さんかな?そんな事を思ってユウはくすりと笑う。


「ユウ?何?」


自然とリンを見ていたユウに気付いたリンが首をかしげてユウに向き直る。

そんなリンの仕草、リンの表情、一生懸命におじいさん、おばあさん、そして自分に向かうリン。

ユウには、何だかその全てが愛おしくて、思わず目を細めた。


「なんでもないよ~」


そんな気持ちを隠すようにすんと澄ましてユウが答えた。

でも、おじいさんにもおばあさんにもそんなユウの気持ちはバレバレだったようだ。

二人とも優しい顔をしてそんなユウを見ていた。

それに気付いたユウが思わず下を向く。今度はユウの頬が赤く染まっていた。


「どうしたの?」


リンがカウンターから身を乗り出して下を向いてしまったユウの顔を覗き込もうとする。


「や、なんでもないよぅ」

「ふふ、いいじゃない?とっても素敵。今のユウちゃんの顔、とってもいい顔だったわよ~。ねぇ?おじいさん。」

「ふん、まぁ、そうだな。」


おじいさんの眉間からいつの間にか難しくよったしわは消えていて、その表情もどこか穏やかだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


すっかり二人に打ち解けてしまったリン。じいちゃんばあちゃんと親しげに呼んで、三人で一緒のベッドに川の字になって寝るまでおしゃべりをして、起きるとおばあさんが振舞った朝御飯に舌鼓を打って…


だから、大変だった。


すっかりタイフーは過ぎて雲ひとつない空になった翌日。御者が戻ってきて馬車の修理が終わった事を二人に告げた。

これで二人は旅行の続きに戻れるのだが、いざ出発の段になって、リンが思いもしない行動に出た。


「二人を雇いたい!」

「え?」


馬車の客車の前で、リンが今にも泣き出しそうな顔で、ようやくひねり出した言葉だった。

どうすれば二人は行かないのか、どうすれば止められるのか、リンが必死に考えた末の結論だった。


「あらあら、どうしましょう?おじいさん」

「うむ…」


おばあさんは変わらずに優しい表情を浮かべているが、おじいさんは少し困ったような顔をしていた。


「俺らはいかねばならんし、仕事などできる体力はないからな。」

「そうじゃないでしょ?おじいさん」


おばあさんにぽんぽんと肩を叩かれておじいさんはうむむと唸ってしまった。

おばあさんは、しゃがみ込んでリンの顔を覗き込む。


「とっても可愛くて素敵なウェイトレスさん。見送る時は笑顔がいいなぁ」


そういってリンの頭を優しく撫でる。


「子供じゃないよ!」

「わかってますよ?リンちゃんは子供じゃないから、笑顔で私たちを見送ってくれるよね?」

「うぅ…」

「ごめんね、リンちゃん。私たちは行かなくちゃ行けないの。ここにいられたらとっても素敵だけれど、ずっとはいれないのよ?」

「うん…」

「さぁ、笑って。リンちゃんの素敵な笑顔で見送ってね!」


そうしておばあさんはリンをぎゅっと強く抱きしめた。


「ばあちゃ…うん…見送る!」


がらがらと大きな音をたてて馬車が出る。

遠ざかる馬車と馬車の音。

客車からはおばあさんが身を乗り出して手を振っている。リンも大きく手を振り返した。

どんどん遠ざかってもうほとんど見えない。

ユウの目にはもう見えなくなってもリンはずっと手を振っていた。

おばあさんもずっと手を振ってくれていたという。


リンは目から零れ落ちた涙をぬぐう事もせずに一心不乱に手を振り続けた。

ぴたりと手を振るのをやめて、リンは振り返りざまにユウに抱きついた。

ちょっと驚いたけれど、ユウもリンを優しく抱きしめた。


「とってもいい人達だったね」

「うん」

「楽しかったね?」

「うん」

「また来てくれるよ!」

「うん」


鼻をぐすぐすとさせながらユウの言葉にうなずくリン。

あの時とはまた違った別れをリンは経験した。

ほんのわずかな時を一緒に過ごしただけなのに、昔から一緒にいたような気がして、だから別れが辛くて。

でも、きっといつかリンにもわかる時が来る。

この出会いと別れが一体なんだったのか。


ここは喫茶店『小道』


出会いがあり、別れがあるけれど、みんなの優しい笑顔があふれる場所。


お勧めはコーヒー


ほろ苦さの中に別れの苦さを隠して

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