無題
草原を吹き抜ける風は、そのまま森の木々を揺らして、ザザ、と音を鳴らす。
目を閉じてそれを聞いていると、波音のようにも聞こえてくる。
突風が森を駆け抜ける音は、少し強い高波のようで、そよ風はさざ波のよう。
カップ片手にもう片方で頬杖を付いて、ユウは目を閉じてその音に聞き入っていた。
西に少し行ったところに深い森があり、反対に東には少し険しい山がある。寒い季節になれば、その山の天辺は雪にまみれて白くなる。
南には街道につづく小道があって、その街道はそのまま南へと伸びて、小さな村へと続いている。
北に行けば、やがて森と山がぶつかる。
そんな、山と森に囲まれたところにぽっかりと口を空けたように草原があって、その草原にポツンと立っているログハウスが一軒。
それが喫茶店『小道』だ。
今日も客の姿はない。
帝都からも何日も離れているし、一番近くの村へは、歩いたら一日はかかってしまう。
何故そんなところに喫茶店を構えたのか。
それは誰も知らない。
そしてその店主が元勇者であることも、知っているものは少ない。
ユウは、コーヒーを片手に本を読んでいる。
それに倣うようにして、オーガ族の証である二本の小さな角を額に持った少女、リンがユウの隣で本を読む。
読書きを覚えてから、リンは段々と絵本から、ユウの貯蔵する小説などを読むようになっていた。
が、まだ単語の意味や言い回しなどわからないようで、度々ユウに尋ねている。
ユウもわからない事があって、二人で辞書を開く場面も何度か見られた。
そのうちリンも自分で調べるようになって、ユウを寂しがらせるのだが、それもまだ先の話だ。
二人は、無言でただ、本を読んでいる。
ただ、二人には広いと思える店内の一箇所に固まって、寄り添って読んでいる様はなんだかおかしいような、微笑ましいような。
そのうち、ユウの首がかくんかくんとゆれ始めた。
それに気づいたリンが訝しげにユウの顔を覗き込む。
ユウがハッとしてぶんぶんと首を横に振って椅子から立ち上がった。
苦笑いを浮かべるユウに、リンはジト目でため息を付くと、読書に戻る。
ユウは伸びをすると、そのまま窓側まで歩いていって、空を見上げる。
日が少し傾き始めている。
雲は形を変えながら流れて、その雲に太陽が隠れたり、出てみたり。
空を行く小鳥が店の上をくるくると旋回して、慌しく飛んで行く。
慌しいのは小鳥だけで、雲はゆっくりと風に流されていくし、太陽は西へとゆっくりと歩んでいく。
そうして、やがて夜が訪れて、今度は月が太陽の通った道を追いかけていく。
ゆっくりと時は過ぎ行くのに、それをゆっくり味わっていると、あっという間に時は過ぎ去って――
それでもいいや、とユウは空を見上げる。
自分がどう感じようとも時はゆっくりと過ぎていくのだ。
止まることも休むこともなく、ただただ延々と流れてゆくだけなのだ。
いつかはリンも大きくなって、ユウくらいの背丈になった時、自分は一体何をしているのだろう。
振り返って本を読むリンを見つめる。
じっとしているかと思ったら、高い椅子で地に付かない足を時々ぶらぶらさせたりしていた。
そんな様がたまらなく可愛い。
視線を気にして、リンが偶にちらとユウを見て、またすぐ本に目を落とす。
少し迷惑そうな表情をしているが、ユウは気にせず見つめていた。
しばらくして、ユウはリンの傍に戻ってまた本を読み始める。
夕日が差して、二人の肌を紅く染め上げる。
やがて夜が来て、どちらともなく夕食を作り、また外を眺めてため息をつく。
ランプの炎が静かに揺れている。そのランプの小窓から息を吹き込めば、炎は一瞬激しく揺れて消える。
そうして、そこには暗闇と静寂が満ちていく。
誰もいなくなった店内に残るのは、二人がそこにいたという微かな温もり、コーヒーの香り。
ここは喫茶店『小道』
ゆっくりと時間が流れる場所
お勧めはコーヒー、優しい月の光をそえて