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お話はここから始まって~プロローグ~

 世界は広くて狭い

 世界は狭くて広い

 

 帝都とよばれる一国の首都から荷馬車で五日、ちいさな街や森を通り過ぎ、あまり高く無い山を一つ登ると、その頂上からは小さな村が点在しているのがみえる。


 その小さな村を一つ、二つ、過ぎていくと、突然森が現れる。

 陽の光を遮るように木々は葉を生い茂らせ、侵入を阻むかのように薄暗い。けれど、荷馬車は躊躇うことなくその森へと入っていった。


  そこにいるのは凶悪なモンスター?

  それとも、可愛らしい森の妖精だろうか?


 ここにも街道が整備されている――といっても、細くて平坦な道でもない――から、荷馬車は不気味な雰囲気とは裏腹に暢気に進んでいく。


  モンスターは現れない。

  妖精も現れない。


 轍にはまるたびに、荷台が小さく跳ねて、ガタガタと音を立てる。思わず舌を噛んでしまうほどの揺れでもないけれど。


 小さな鳥が幌にとまっては、轍の揺れで驚いて飛び去っていく。

 時折、馬ほどもある鳥が馬車の上空を横切って影を落としていく。

 威嚇か、偵察かわからないけれど、その影がまた小鳥を怯えさせて逃がしてしまう。


 森の街道は実際どれくらい続くかわからない深い森を最短でぬけるように切られていて、一日もたたずに森を抜けることができる。


 間もなく木々がまばらになり、森の終りが見えてきたというところで荷馬車が突如停止した。


「参ったな……」


 御者台に座っていた小太りの中年男がひとりごちて、傍らにある斧を手に取った。


「どうしたんですか?」


 続いて、荷馬車の幌から声がして、若い女性が顔を出した。


「いや、なんでもありませんよ、ちょっとね」


 男が馬車の先に目配せをすると、女性の方もそちらに視線を移し、「ああ」と頷いて見せた。

 馬車の先、間もなく森が終わるというところに、二、三個の人影があった。

 それは馬車に背を向けていたが、街道のど真ん中に陣取り何事かしている。その背中越しにすらその人影が人ではない事がすぐにわかった。


 肌は人間に近いが少々くすんでいて、小柄。髪などは個体差があるものの少なく、粗末な布を纏った人間は無い生き物――ゴブリンだった。

 

「私が行きましょう」

「えっ? あの程度であればあなたの手を煩わせる事もないですが」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


 そこまで言って、女性は一度幌の中に顔を引っ込める。


「リン、ちょっと起きて」

「うん……? まだ眠い」

「ちょ、リン? あー……」


 幌の中から女性の声と、少し幼い感じの声がしたが、すぐに女性の呆れた様な声と共に再びその声の主が顔を出した。


「じゃ、ちょっといってきます」


 そうして荷台から降りた女性が、武器も持たずにゴブリンたちへと平然と近づいていく。


 そんな女性に、心配と頼もしさが混じったような複雑な表情で男はその背中を見送った。

 ゴブリンたちに近づいた女性は何事か声をかけ、振り返ったゴブリン達に対して、また何か言うと、一瞬ゴブリン達は呆けたかと思うと直後我に返っていそいそと森の奥へと引き上げて行ってしまった。


 男は困惑した表情で帰ってきた女性を見つめる。


「危ないから、どいてもらいました!」


 そうしてその女性はニコリと微笑んだ――





 森を抜けると川沿いに村が見えてくる。

 そこに立ち寄るでもなく、荷馬車はゆっくりと進んでいく。


「このグリーンラクーン村を過ぎればまもなくですよ」


 御者台の男が幌の中の人物へと声をかける。


「はーい……リン、もうそろそろ起きて」

「うー……ユウ、もすこしだけ」


 幌の中には山積みされた荷物と、二つの人影が見える。一つは大人の女性、もう一つは小さな子供の影だった。子供の影が女性の太ももを枕にしつつ、寝ぼけたような声で甘える。


「むー……ついたらすぐに起きてよね」

「ん」


 少しむくれたような女性の声に子供の影はひらひらと力なく手を振って応えた。


 夕暮れが近い。 

 幌の小窓から空を見上げると、さっきまで青々としていた空に紅が差している。雪を被った山々の向こうへと陽が隠れてしまっていたが、隠しきれない紅色の光が雲に反射して、その輪郭を際立たせている。

 森を抜け、村を抜けて、揺れがすっかり静かになった馬車の、けれど微かな振動はゆりかごのような心地良さで眠気を誘う。

 鳥の声が子守唄のようにすら聞こえて、自分の膝で眠る幼子の寝顔を見るうち、女性もまたうつらうつらと舟を漕ぎ出していた。


 かすかに夕暮れを知らせる鐘の声が聞こえた気がした――




「どうもありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 夕闇が差し迫った頃、ようやく目的地に着いたところで、女性は御者の男に向けてペコリと頭を下げた。その横では小さな子供もそれに倣って頭を下げている。


「いや、いや、俺も勇者であるユウ様のお役に立てたんで、運び屋としても箔が作ってもんですよ」


 御者の男は、照れた様に頭をぽりぽりとかきながら二人を見やる。


 勇者――そう、目の前の女性は勇者。勇者ユウ。

 人の先陣に立ってモンスターを打ち払い、モンスターの根源である魔王を討ち果たす宿命を背負う者。

 背は女性の平均より少し高いくらい、素晴らしく筋肉がついているわけでもなく、美少女とか美女というわけでもない。

 どこか田舎の村娘のような印象さえ受ける、何の変哲もない女性にしか見えない。

 それでも、凶悪なモンスターを撃退し、村や街を守り、数々の英雄譚を残した勇者その人に間違いはない。


 そしてその勇者の傍らにいる少女は、非常に特徴的だった。

 稀に見る美少女であると同時に、漆黒の長い髪、人間には決して発現し得ない赤い瞳、そしてその額には二本の角が見え隠れしている。


 少女は人間ではないことは男にもわかる。


 だが、その少女がオーガという種族で、その中でも滅多に居ない女性型だということまでは知らないであろう。

 けれど、荷おろしのときに見せた怪力――少女の背丈ほどもある大きな袋を軽々と担ぐ様は、子供が巨大な丸太を担いでいるかのような錯角さえ覚えさせた。

 姿こそ美少女然としてはいるが、やはり人間にとっては恐るべき魔族の一員であることにはかわりはない。


 その勇者であるところのユウが、何故、こんな辺鄙なところに、その傍らでユウと同じように頭を下げている魔族の少女――リンと言っていたか――を連れて、さらにこんな大量の荷物をもってやってきたのか。


 御者は二人から視線を外し、彼女らの後ろにある家に移す。

 山の裾野と、抜けてきた森の間に背の低い草が生い茂る草原があって、これまで辿って来た一本の街道が通っている。

 彼女らの後ろにある家は、あまり大きくなく、木で組み上げられたログハウスのような家だった。


 珍しいのは平屋ではなく二階建てということくらいだろうか。


 この世界ではほとんどの民家が平屋で建てられている。階が存在するのは店や、あるいは貴族・王族などの身分の高い者の住居であるのが普通であるから、いくら勇者とはいえ、辺境といってまったく差し支えないこの場所に階層立ての家がぽつんとあるのは、なんだかおかしな感じもした。


 入り口には、やはり木を使った階段が3段ほどあって、玄関は地面より高いところに設置されていた。


 街道から小道が分かれてすぐのところにその家はある。

 その分かれ道のすぐそばに小さな看板が立っていた。


『喫茶店 -小道-』





「この先のレッドフォックスっていう村に、村と同じ名前の宿があります。ここからだと一番近い宿ですよ」

「ありがとう」


 御者の男を笑顔で見送るユウ。

 その間、せっせと荷物を運び込むオーガ族の娘、リン。

 遠ざかる馬車に小さく手を振って、振り返ると、ほとんどの荷物がリンによって家の中に運び込まれていた。


「さすがだねぇ、リン。はやいはやい!」


ニコニコと笑いながら、袋を三つほど抱えたリンに近づいて、ぽんぽんと頭を撫でた。


「子供じゃないよ?」

「わかってるって」


そういいながらも頭を撫でるのをやめないユウ。


「いいからユウも手伝って」


 頭を撫でられ褒められる事の心地よさと、自分は子供ではないという自尊心から、顔を少し赤くしながらも口をへの字に結んでユウを睨むリン。


「はいはーい、じゃあ、薪と石炭は小屋に運んじゃうからねー」


 少し名残惜しそうにリンの頭から手を離すと、ユウは束ねられた薪と石炭の袋を両手にそれぞれもって、家の隣に作られた小さな小屋へと運び込む。

 薪はともかく、石炭の袋はかなり重い。鍛えられた大の男でも運ぶのに苦労するのだから、ユウが軽々とそれを片手で持ち上げる様子は、驚愕に値するだろう。


 事も無げに残りの薪と石炭を運び終えると、紅色だった空に黒色が差し込んで夜の帳がおりようとしていた。それに気が付いて、ユウは空を見上げる。


 一番星と呼ばれる星が、自分が空の中心だと言わんばかりに光り輝いている。陽が沈むころになると、とたんに顔を出すその一番星はいつだって一番なのだ。

 彼の星が輝いたのを皮切りに、他の星たちも自己主張を始める。


 陽が完全に沈めば、空は彼らのオンパレード。勝手気ままに光を放つ星たち、我こそはと強い光を放つ星もあれば、控えめに光を放つ星もある。

 そんな星々をやさしく見守るように青白い光を放つ月も顔を出した。

 余談だが、聖母のような光を放つ月も、ごくたまにはっちゃけちゃって、凶悪な笑みを浮かべたかと思うと、一番星が霞むほどの光を出して、まるで昼間のような明るさを放っちゃうこともあったりする。


 まぁ、本当に極稀な話ではあるが。


 ともあれ、夕暮れに夜が混じった空がユウは好きだった。

 多少一番星の主張がうるさい気もするが、昼間の喧騒が段々と収束していって、濃密な空気――夜の気配だ――があたりに満ちる。それを胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。


 薄暗くなってきたところにぱっと光がともる。家に灯りがついたようだ。同時に、リンが玄関から出てきた。


「今日も一番星、むかつく」


 一番星を睨むリン。

 ユウはくすりと笑ってリンを手招きすると、家の前の草むらに腰を降ろした。リンもそのすぐ横に座って、二人は同時に空を見上げた。


「綺麗だねぇ」

「きれい」


 空をみあげていると思わず口がぽっかりと空きそうになる。

 並んで座って、空を見上げながら口をぽっかりとあけている様は、傍から見ているとなんとも間抜けな図である。

 二人のほかにそれを見咎めるものもいないので、口が大きく開いていることに注意も払わず、二人はしばらくの間、星空を見上げていた。


「リンもコーヒー飲む?」


 陽が完全に沈んで、あたりはすっかり暗くなっていた。

 灯りは星と月と、そして家から漏れる光だけ。

 流石に星を見上げるにも首は疲れるし、寒くもなってくるので、ユウは家から毛布と暖かいコーヒーを持ってきた。


「にがい」


 リンは一言呟いて、首をふるふると横に振った。

 予想通りの答えに、ユウはコーヒーと一緒に持ってきたホットミルクのカップをリンに渡す。


「ありがとう」


 リンはユウと一緒に毛布に包まって、ミルクをちびちびと飲んでは星空を見上げる。ユウは優しい笑顔を浮かべて、そのリンの様子をみていた。

 熱々のミルクを口を尖らせて吹きながら、ちょっとずつ飲んでいるリンの様子に、ユウは思わずリンの頭をぽむぽむと撫でる。


「子供じゃないよ?」

「わかってるよ?」

「むぅ」


 そういいながらも、頭を撫でられることを別段拒否しないところを見ると、そう嫌なわけでもないようだ。

 少し拗ねた振りをしながらもユウの手の平に頭を預けている。


 どれくらいそうして、二人で夜空を見上げていたのか。ふと、リンが大きく欠伸をした。


 その瞬間、いくつかの星が流れる。まるで、欠伸をしたリンをあきさせまいとしているかのように。


「ん、そろそろ寝ようか?」

「うん」


 そんなリンの様子に、ユウが微笑むと、目をしょぼしょぼさせながら、欠伸で出た涙をぬぐうリン。


 二人が家へと入っていくと、やがて灯りが消え、辺りは暗闇に支配される。


――虫の声が響く。


 観客がいなくなっても、星たちのショーは続く。

 そして賑やかにしすぎて、昇ってきた太陽にどやされて、蜘蛛の子を散らすように星たちは逃げていくのだろう。

 それまで、夜空は彼らの独壇場だ。


 夜は更けていく――


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