驚いただけなんです。
「いやぁ、まさか、こんなところで会うなんて」
ウォルが満面の笑みで言う。
カウンターにウォル、ホヴィ、リリーが座っていて、リリーの後ろには執事のジッチが控えている。トッチはというと、腕を組んで玄関横の壁にもたれかかるようにして立っている。
一応警戒をしているようだった。
「あはは……リンが突然客だーって飛び込んできたときは何事かと思いましたよ」
ユウはそういいながら、人数分のコーヒーを置いていく。
ウォルは相変わらずニマニマ、リリーは出されたコーヒーやユウの顔を何度も見比べながら目をキラキラさせている。
ホヴィはなんだか複雑そうな顔だ。
「む、これは!」
ジッチが受け取ったコーヒーの香りに、突然声を上げた。
「芳醇な香り、豆の挽き方が完璧だ。そして、この味、適温で丁寧にドリップされていて、酸味と苦味が調和している!」
目から光線でも出そうなくらいクワッと目を見開いて、コーヒーを睨むジッチ。
「ほんと、凄く美味しい! こんなに美味しいコーヒーは滅多にお目にかかれません。凄いです、ユウ様!」
続いてリリーがコーヒーを絶賛する。
「ありがとう!」
ジッチとリリーの言葉にユウが微笑んだ。
(――これは毒だ。こんな笑顔は見た事が無い。やばい――)
カウンターの奥で、コーヒーを褒められて照れ笑いを浮かべるユウに、ウォル以外の四人は放心しながら同じことを思ったという。
ウォルはすでに毒されているようだが、この笑顔を前にしたら、それも無理は無いだろう。
「どうぞ」
そこへトレイに自作の菓子を乗せたリンが姿を現す。
カウンターの三人にはそれぞれ後ろから丁寧に、ジッチとトッチには直接皿を渡す。
そして、ユウの傍まで戻ると、その紅い目を爛々とさせて客一人一人を順番に見つめている。
ウェイトレス服の、紅い瞳で、角のある美少女。それが給仕をする。
その事に、最初五人は目を丸くさせて呆気に取られてみていたが、リンの純粋な瞳が早くお菓子を食べてみてくれとせがんでるように思えて、五人はほぼ同時に手元のお菓子を見た。
「むむ、甘さの主張がほどよくて、香りの良いマドレーヌだ。何より、このコーヒーとマッチする。これは美味い」
最初に動いたのは、やはりジッチであった。
マドレーヌを一口で頬張ると、やはり目をカッと開いて皿に乗っていた残りのお菓子を瞬く間に平らげてしまった。
「これは?」
「こちらのリンが作りましたー!」
ジッチの視線の意図を理解して、ユウが両手をヒラヒラさせながらリンを囃し立てる。
「なんと……こんな小さな子がこれほどまで……」
「子供じゃないよ」
「はっはっは、そうでございますな。これほどのお菓子を作れるのです、一人のパティシエとして認めるべきですな!」
少しいかつい顔の執事が顔をくしゃりとさせて笑った。
そんなジッチとリンのやり取りの間、ウォルやリリーもリンお手製の菓子を頬張ってその味に舌鼓を打っていた。トッチはコーヒーやお菓子には手をつけず、ずっと玄関横の壁に腕を組みながらもたれかかっている。
その視線は店の中と外を警戒するように見渡してはいたが、何度見回しても最終的にコーヒーと菓子にたどり着く。
ジッチもそうなのだが、ジッチにせよトッチにせよ自分の役割というものに忠実なのだろう。それにしても、すぐそばに置かれているコーヒーとお菓子が気になって仕方がないようではあったが。
ホヴィはというと、複雑な表情で目の前に置かれたコーヒーと菓子をにらんでいる。
オーガがでるか、ゴブリンがでるか、緊張と同時にワクワクしながらやってきたのに、出てきたのは勇者だった。いや、元勇者だった。一応オーガ族の子供がでてきたは出てきたには出てきたのだが、何故か、元勇者とオーガ族の子供と和気藹々とお茶をしている。
ホヴィは毒気を抜かれてしまったというか、わけがわからなかった。
ウォルとリリーは満面の笑みで、特にリリーはしきりにユウに話しかけているし、オーガ族の子供とジッチも言葉少なだが、通じ合うものがあるようだ。トッチは後ろの方にいるので何をしているかわからなかったが、わざわざ振り返って話しかけるのも変な気がして、とにかくホヴィは目の前に置かれたものを睨むことしかできなかった。
「たべない?」
声をかけられて、ホヴィははっとして振り返ると、すぐ横にリンの顔があった。
「っ!」
突然の事におどろいて、思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「おいおい、大丈夫か?」
その物音に全員がホヴィに注目した。
「あ、大丈夫です……」
片手をひらひらとさせて、なんでもないというジェスチャーを送る。
「平気? 甘いの、だめ?」
「ああ、いや、そうじゃないんだけど…」
傍らでリンが少し心配そうに、ホヴィを見ている。
ホヴィはちょっとバツが悪くて、リンの方を見ないように目の前の菓子を凝視する。
「まぁ、食ってみろって、味は保障するぜ?」
ウォルがそう声をかける。
リンは何も言わずにホヴィを見ているようだ。ホヴィはその視線を感じて、やがて、
「い、いただきます……」
とマドレーヌを口に放り込んだ。
「あ、うま……」
思わずこぼれた台詞に、すぐ横から歓喜する気配がして思わず見ると、そこにはこぼれそうなほどの笑顔になっているオーガの子供がいた。
(うぁ……)
その笑顔を見たとき、ユウの笑顔を見たときとはまったく異質の衝撃がホヴィを襲った。
あったかいような、くすぐったいような、何と言い表して良いのか、ホヴィは言葉を持たない。何故か顔が熱くなってきて、赤くなっているのがわかったが、その理由もわからずにいた。
「よかった!」
そう微笑んでリンはユウの傍に戻っていく。ホヴィはその姿から目を離せずにいた。
ユウとウォルは面識があったこともあって、思い出話に花を咲かせていた。リリーはその話に聞き入っている。ホヴィはその話を聞くべきなのだろうが、何故かジッチと話しているオーガ族の少女から目が離せない。
一時間くらいそこにいただろうか?
報告もあるしそろそろ行かなければならない、とウォルが立ち上がり、他の面々も支度を始めた。
帰る段になって、ようやくトッチがコーヒーとお菓子に手をつける。
せっかくなので、とユウがコーヒーを淹れ直して、トッチに渡していた。
トッチは飽くまで無表情でコーヒーとマドレーヌを口に入れていたが、目を瞑り首を横に小刻みに震わせていた。美味かったのだろう。
「また来てくださいねー」
背中越しにユウの声が聞こえた。
振り返るとユウとリンが手を振っているのが見えた。
「これ、なんて報告するんですか?」
ニコやかに手を振り返すなんて事をしながら、一行が最初に看板を見つけたところまでやってきたところで、リリーがウォルに問いかけた。
「ああ、うん、どうしよう? 害はないってことだけうまく報告すりゃいいんじゃねーかな?」
ウォルが空を見上げながらため息をついた。
リリーはまだ鼻息すら荒くして、事あるごとにウォルにユウの話を振っている。ホヴィは相変わらず複雑な表情だ。
頭からあの顔が離れない。ユウの笑顔も確かに頭から離れないレベルなのだが、それよりも強く残っているのはリンの笑顔だった。
この感情が何なのか、ホヴィは知らない。
「ホヴィくんはあの鬼っ子に顔真っ赤にしてたよねぇ?」
突然のリリーの言葉にホヴィはハッとして顔をあげる。
「え、ち、違いますよ。あんな子供に驚かされて恥ずかしくなっただけですよ!」
否定するホヴィの顔は、真っ赤になっている。
「今も顔赤いよ?」
「夕焼けのせいですよ!!」
「ていうか何に驚いたの?」
「う……い、いろいろですよ、いろいろ」
不意打ちのような笑顔に、とはいえない。言ってはいけないような気がしたホヴィだった。




