広がる雲、海、そして町へ~お買い物に行こうPart-2~
ゴォ、と音を立てて、まっすぐ空へと向かっていく光があった。
降ってくる雨に逆らうように天へと昇っていく光は、小さい。
近くにいればその光と衝撃波で立ってすらいられないであろうが、その周辺には木でくみ上げられたログハウスが一軒あるだけで、人影は見当たらない。
遠くからみても、雨の所為で雷か何かと見間違うくらいだろう。
光はみるみるうちに高度をあげて、雲を突き抜けて――
「雲の海だ!」
抱きかかえているリンが叫ぶ。
雲が空を埋め尽くしている。その雲の海を滑るように飛ぶユウ。
「こんなのめったにみれないね!」
「ふつうみれない!」
風切る音がやかましくて、二人とも怒鳴りあうような大声だ。それでも微かにしかお互いの声が聞こえない。
「どこいく!」
「なーに? りん!」
速度があがったせいか、余計に風の音がうるさい。
本来ならば、体がバラバラになってもおかしくないような速度と、それによる風圧なのだが、ユウが目の前に展開した魔力の盾のおかげで、二人にはちょっと強い風くらいにしか感じられない。
ただ、風を切っていく轟音だけはどうしようもなかった。
リンは話すのをあきらめて、目の前に広がる景色に意識を移した。
しばらく雲海が続いていたが、先の方でそれが途切れているのが見えた。
(雲が切れる!)
やがて、雲の海は終わりを告げて、眼下には見事な風景が広がっていた。
ユウとリンが向かう先には、微かに赤みを帯びた空と水平線へと近づいている太陽が見える。
水平線――そう海だ。
海と陸地の境目がはっきりと見えて、海の先には小さな島が点々として見える。陸の方はというと、森や大きな川、ちいさな村や小高い丘などが目に入る。小高い丘の途中に白い毛玉のようなものが微かに見えた。羊を飼っている牧場だろうか。
森や川、村の間を縫うように少し広めのあぜ道が切られている。
そしてその道は陸と海の境目の一部を覆うようにしているレンガ造りの壁に囲まれた町へと続いていた。
「降りるよー!」
徐々に速度を落としていくと、風を切る轟音もだんだん静まっていく。
薄い雲を突き抜けて、リンを抱えたユウが街道近くの林の中の開けた広場へと音もなく降り立った。
林の木々の間から、遠くに上から見たあのレンガの壁が見えていた。
「この魔法、やっぱりすごい」
やってきたのは、ユウたちの『小道』から帝都をはさんで反対方向にある港町で、帝都から荷馬車で二、三日かかる場所にある。まともに行っても、『小道』からは七、八日かかってしまうような距離なのに、わずか一時間ほどでついてしまった。
この魔法は、元は物を浮かせる魔法と風の抵抗を弱めるという、いずれも初歩の風魔法を掛け合わせて作ったものだ。
しかし、この魔法は通常物の運搬に使われるくらいで、ユウのような使い方ができる者はいない。初歩の魔法とはいえ、こめる魔力によってその威力も大きく変わるから、ユウの神託勇者としての膨大な魔力を持って初めてこのような移動魔法として成り立つ。
ただ、問題点も多く、速度の可変はいくらでも可能なのだが、速度によっては身の危険を伴うので魔力盾で身を守らなければいけない。
それと、せいぜい抱えられる大きさの荷物しか運ぶことができないから、リンも一緒に行くということは、リンがもてるだけの量しか荷物を持っていけない事になる。
初歩とはいえ三つの魔法を同時に、しかも魔力量を多くこめて行使するわけで、それはユウへの負担も大きくて、そうそう頻繁に使えるものではなかった。
作ってみたものの欠陥だらけで、唯一景色がそこそこ楽しめるくらいの利点しかない魔法になってしまったのだった。
さて、二人は林から街道に出て、目的地へと向かう。
道の先に見える港町は、帝都の玄関港と言われ、貿易や漁業が盛んに行われている。
海の外からの品物や人間の流入口は主にここになるから、検疫や入国手続きなどは入念に行われている。港町が壁で覆われ、出入り口が一箇所しかないのもこのためだ。海外からだけでなく、国内からの犯罪者の逃亡などを防ぐためにも必要な処置とも言われている。
なんてことはない。ユウは顔パスだった。
以前にここでも笑顔を振りまき――いや、事件を解決したことがあったのだが、その事件当時まだ一兵卒でしかなかった兵士が隊長に昇進していたりして、ユウの顔を見るなり尊敬の眼差しで敬礼された。
ユウは苦笑いしながら詰め所を通っていく。
その苦笑いにさえ、ときめく兵士が現れたのは言うまでもないだろう。
詰め所を抜けると、レンガの壁にマッチした石畳の道路がしかれていて、やはりレンガ造りの家が通りに沿ってならんでいる。
「ふわぁ……」
帝都ともまた違った雰囲気にリンが思わずため息を漏らした。
帝都の街並みも石造りで建物自体の造りや雰囲気はそう違わないのだが、迷路のように張り巡らされた水路や、その水路を行き交う大小の船が独特の雰囲気をかもし出していた。
何より、帝都では味わう事のできない潮の香りそのものがその雰囲気を一層引き立たせている。
水路にかかったアーチ状の橋から下を眺めると、丁度小さな船がそこを通り抜けていった。
リンは目を輝かせて船を指差す。
水路を横切ったら行き止まりだったり、通りを進んでみたら袋小路なのに、ちょっとした広場になっていたり、品のいい喫茶店を見つけて外から眺めたり、二人は港町を駆け抜けていく。
太陽が水面につかりそうになる頃合、二人はようやく港の市場にたどり着いた。
市場では、狭い道路の横にこれでもかと露店が並んでいて、水揚げされたばかりの魚や、海外の香辛料、地元特産の調味料や料理などを買い求める客でごった返していた。
売り子がしきりに声を張り上げて、鮮度や珍しさをアピールし、客の呼び込みをしている。
二人は、はぐれないようにと、自然に手をつないで歩く。あちらこちらから声がかかって、物珍しさにリンの足が止まるがユウはそれを咎めずに、歩き出すまで待っている。
「あ!」
一軒の露店の前で突然ユウの足が止まった。リンが思わずつんのめって転びそうになり、どうにか体勢を戻してユウをちょっと睨んだ。
ユウが目を奪われた露店、そこには羊を模したローブが売られている。
「もふもふだ!」
ユウがぱーっと目を輝かせて、これもいいあれもいいと露店の商品を物色し始める。こうなるとユウは止まらない。リンはため息をついてユウの気がすむまで待つ事にした。
ユウは羊をもしたローブを手にとり、目を輝かせながらも真剣に見ている。
どれもこれも羊毛を使っており、もふもふだ。
フードがついたそのローブの装飾は、丸まった角のモチーフがついていたり、とんがった耳がついていたり、フードの首のところに鈴がついたものや、シンプルな普通のローブまで多岐にわたっていた。
「いやいや、角か。うーんまよっちゃうなぁ、鈴なんかも結構良くできてるし、あ! 耳が可愛い!」
いつもと違う、それでもとびっきりの笑顔に露店の店主は見入るような困ったような顔で、それでも声をかけられずにいた。
「これがいいよ」
見かねてリンがユウが悩んでいた候補のうちの一つを手にとる。
それが失敗だったと、この時のリンは思いもしなかっただろう。
「あ、やっぱり? それかこれか迷ってたんだけど、こっちに傾き始めてたんだよね!」
そういって、ユウはニマニマと笑った。
「帰りもある、はやく」
「うん! やっぱりリンにはこっちの方が似合うよね!」
「え――」
その後、無事にパスタの材料を買い集め、最初に降りた林の広場まで戻ってきた。
「着ないよ!?」
無言でさっき買ってきた羊を模したローブを取り出すユウをジト目で睨む。
「えー!!」
いつかのリンのように今度はユウが口をとんがらせた。
「着てくれないなら、パスタ作ってあげないもん」
「約束が違う!?」
そもそも雷のことでからかったのが原因だったはず、とリンが思っても、暴走寸前のユウには通じない。
「く……仕方ない」
「うんうん、よきかなよきかな」
ケモミミローブ――リンが着ていたローブの商品名らしい――を脱いで、ユウが買ってきた羊のローブを着る。
そのローブは思いのほか暖かくて、夕方の強い海風の寒さもへっちゃらになる程だった。
「よーし、それじゃあ、羊さん、飛ぶよー!」
それはもう、極上のニコニコ顔でユウが叫ぶ。
対照的にリンは少しふくれっつらだ。
一体どっちが子供なのかわからない。
そしてユウは満足げな笑顔で、もふもふを抱きかかえると、夕焼け染まる空へと飛び出していった。
一方その頃。
「ユウちゃん、リンリンまだかな。すんすん」
フードの客ことフーディが、喫茶店『小道』の玄関の前でしゃがみこみ、"の"の字を書きながら涙目になっていた。




