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嬉しいんですけど、照れちゃいます

 帝都の一角にある、喫茶室「朝月亭」


 この喫茶店では、日が昇る前に店を開ける。早朝から働く人向けに朝食を出すからだ。そして、夜は酒場となり、ほぼ一日中開店しているような喫茶店だった。


 その日の早朝、朝月亭を訪れた人は、店に入った瞬間ぎょっとして、しかし最後には幸せそうな、溶けてしまいそうなだらしのない笑顔で店を後にしていく。



「コーヒーお待たせいたしましたぁ」


 エプロンドレスに身をまとった女性がニッコリと微笑んで、コーヒーを目の前に置いて、一礼すると去っていく。

 客はよい香りのコーヒーには目もくれず、その女性の所作を目に焼き付けるかのようにして、コーヒーを置いて背中を向けてしまった後も、そのウェイトレスの事をずっとぼーっとしながら見つめている。

 その客だけではない、店の中の客は、皆それぞれ注文してだされたものに手もつけずに、ウェイトレスの一挙一動に注目していた。老若男女問わず。


「うぅ、なんだか注目されてません?」


 少し顔を紅潮させたその女性が頬の赤みをおぼんで隠すようにして恥らう。


「気のせいだ! 大丈夫!」


 ライオンのたてがみを思わせるような髭の顔に、スーツがはち切れんばかりに筋肉を蓄えた、体格の良い男が、ぐっと右手の親指を上に立てた拳を突き出す。

 そして残った左手で氷の入った水を彼女に渡した。


「ぐっと飲んでがんばってくれたまえ!」


 その日、噂を聞きつけた、帝都の人々は、こぞって朝月亭を訪れていた。ついには行列ができて、その行列客目当ての出店まで始まる騒ぎになった。


勇者アメ、勇者やきそば、勇者金魚救い…


 そう、朝月亭で働き始めた女性は、先日皇帝に謁見し勇者として帝都に名前をとどろかせていた、ユウであった。




 いつも朝月亭に朝食を食べにくる男性は、店に入るなり、何かいつもと違う雰囲気を感じ取ったという。


「いらっしゃいませー」


 マスターの声ではない、そして彼の奥さんの声でもない。

 若くて、よく通る女性の声だ。

 振り向くと、そこにいたのはどこにでもいそうな普通の娘だった。


 だが――


 男は本能で悟る。これ以上彼女を見ていてはいけない、と。


「一名様でよろしかったでしょうか?」


 視界が歪み、彼女が近づいてくる様子が突如としてスローモーションの様に異常にゆっくりと感じられた。

 そして――


「こちらへどうぞ」



 すべてのものが緩慢な動きを見せる視界の中で、彼女がゆっくりと微笑んだ――



 その後のことはよく覚えていない。

 何か食べたような気もするし、手をつけずに帰ってきたような気もする。お金はちゃんと払っただろうか?

 ありがとうございました、といつものマスターの声が背中越しに聞こえたから、大丈夫だろう。

たぶん。

 

 いつのまにか、ふらふらと職場にたどり着いた彼に、同僚が心配そうに声をかけた。

 その声に、彼はただ、勇者がいた、としか答えられなかった。



「むぅ、今日は忙しいな」


 朝月亭の店主が零す。

 視界の端で、まるで小動物の様にテーブルやカウンターを動き回るユウの姿が見える。接客を受けた客は皆一様にぼーっとして、出されたものに手をつける気配すらない。

 いや、ある瞬間にはっとして、急いで目の前の物を口にいれると、お金をおいて帰っていく。そして店の入り口には、順番待ちをしているのか、店の中をのぞきにきたのかわからない客が、これもまた、ぼーっとした顔で、動きまわるユウに魅入っているようだった。


「これは……異常な事態だぞ」


 せっせと、コーヒーを淹れたり、食べ物を作りながら、いつもとはまるで違う自分の店の様子をみてため息をついた。

 そもそも彼女を雇い入れたのは、身重の妻が産気づいたので、子供が生まれるまでの短期の仕事としてギルドに出した依頼に応募してきたのが彼女だったからだ。

 勇者であることはギルドからの話で聞いていた。

 勇者とはいえ、何の変哲もない村娘のようで、その実、女神のような笑顔は店主ですらもたじろいでしまうほどではあったが、この人気っぷりは予想外だった。


「いらっしゃいませ」

「こちらへどうぞ」

「かしこまりました」

「ありがとうございました!」


 言葉を発するたびに彼女の笑顔がこぼれる。

 そのたびに、客の間からはいっせいにため息がもれていた。


 あまりに客が来るものだから、朝月亭はこの日初めて、早めに店を閉めることとなった。閉めざるを得なかった。


「ありがとう……今日の、給金だ」


 店主が額に汗を浮かべて、硬貨の入った袋をユウに手渡す。


「ありがとうございます!」


 それを受け取ったユウがぺこりとお辞儀をし、微笑んだ。


「うぅっ」


 思わずたじろぐ。


「朝月亭さんはすごいですね。素敵な店構えもそうですけど、こんなにお客さんが入るなんて。それにしても、やっぱりいつもの女将さんじゃないから、変に思われたのかなぁ……皆さん、私の事、じろじろみてたような気がしますし……」


 給金の入った袋を口元に寄せて、天井を見るようにして今日の事を思い起こしているユウ。


  ちがう、ちがうんだ!

  いつもはこんなんじゃないんだ!

  もっと静かで、客はそこそこで、こんなに早く店を閉めたのも初めてなんだ!

  それにもっとその笑顔の凶悪さを自覚しろ!ちくしょう!



 そんなユウに、店主は声を大にして叫びたかった。

 はたして、良いのか悪いのか。もはやその判断がつかないほどに店主は疲れきっていた。


「いつか私もこういう喫茶店を持ちたいなって思ってたので、すごく勉強になります!また明日もよろしくお願いします」

「はは、あはは、明日も?……うん、そうだね、よろしくね……」


 ユウが出て行った後で、誰もいなくなった店のカウンターに腰かけ、店主はがっくりと肩を落として大きなため息をついた。


「もうわけがわからん……」


 翌日、昨日のような混乱がまた続くのかと思いきや、意外や意外にも、騒ぎは沈静化していた。

相変わらずいつもの倍以上の客がきて、ユウの笑顔にため息をもらしてはいたが。

 後で聞いた話だが、ユウスマイルファンクラブだの、勇者笑顔を見守る会だの、ユウユウスマイルクラブだのといくつもの会がその日のうちに発足して、その日のうちに各会同士での協定も結ばれたらしい。また、ユウが朝月亭に従事するスケジュールまで洩れていて、各会が日替わりで朝月亭に訪れることになっていたと言う。これにはギルドの関与があったとしか思えない。

 おそらく初日のような混乱をさけるために、ギルドとしても手を回さざるをえなかったのだろう。


 ユウは帝都に来て間もなかったし、そんな事になっていると知る由もないわけで、朝月亭や帝都のお店というのはこんなにも流行るものなのか、と感心するばかりなのであったが。


 さて、ユウが朝月亭で働き始めてから何日かたった。

 相変わらず客の数は多い。

 すべてがすべてではないがほとんどの客がユウの笑顔目当てだったし、常連の客にもユウの笑顔は大好評だった。


 一方でいつもと勝手の違う店主はめまぐるしい忙しさに翻弄されて、疲労がたまっていく。


 ユウはそんな自分や女房の事も気遣ってくれたりして、合間をみては女房の様子を見に行ってくれたり、コーヒーの淹れ方を覚えたり、料理の仕込を手伝ってくれたりと、もしかしたら店主の自分よりも働いているのではないかと思うくらいに良く働いてくれる。


 最初こそ、すっかり参ってしまっていた店主ではあったが、そんなユウの姿を見て、徐々に疲労に負けずにいつものように振舞うことができるようになっていた。

 たった数日の間だったが、店主もその妻も、ユウに対してまるで自分の娘であるかの様な親近感すら覚えていた。そして、子供が無事に生まれた後も、夫婦はユウにずっとここにいないかとさえ持ちかけるのだった。


 しかし、彼女は勇者であった。

 朝月亭で働いていたある日、魔族の使者と名乗る者が帝都に現れ、魔王が失踪したことを皇帝に告げていったという。そしてユウに皇帝より勅命が下る。


『魔王を探し出し、これを撃破せよ』


 それはユウにとっては使命でもあった。勇者としての使命。

 

 夫婦に無事子供が生まれた次の日、朝月亭の3人に見送られて、ユウは魔王探索へと旅立っていった。





「その時の経験が、この店作りにいきているんだなぁ」


ユウがにっこりとリンに微笑み掛けた。


「おかしい」

「?」


その話を黙って聞いていたリンが、複雑な表情でぼそりと言う。


「朝月亭、お客様、いっぱい」

「うん、すごかったよぉ、行列までできてたからね」

「小道、は?」

「……」


ユウは一瞬黙って、明後日の方向を向き、えへへと頭をかいた。


「ごまかした」

「すいません」


相変わらず『小道』に客の姿はない。

朝月亭の盛況ぶりを聞いたリンにしてみれば、そのお客たちを自分の作った料理で笑顔にしたい、とも思うのであった。


「リンは、フーディさんにお菓子褒められたとき、うれしかった?」

「ん? ……うん、うれしい」

「だよね、照れてたもんね」

「ふつう」


大げさに、けれど手放しで褒めてくれたフーディの言葉を思い出したのか、リンは少し顔を紅潮させていた。


「朝月亭にいた時のことなんだけどね」




 たった数日しかいなかった朝月亭での仕事。

 臨月間近の奥さんと忙しさで仕事を離れられない店主。それはユウの笑顔の影響も多分にあったのだが、ユウ自身はそれに気づいていない。


 それはともかく、奥さんがある日様子を見に来たユウを捕まえて、お産への不安や旦那への愚痴なんかをとうとうと話し出したことがあった。


 一通りしゃべり終えてすっきりしたのか、


「なんだか、すまないね。ユウちゃんに、いえ、勇者さまに給仕をさせるばかりか、こんな話まで聞いてもらって」


と、今度はバツの悪そうな顔をした。


「いいえ、今の私は朝月亭の従業員で、勇者じゃないですし、こういう話をしてもらえるって、信頼されてるのかなって思えるんです。それに、勇者って呼ばれるより、ユウって名前で呼んでくれたほうがなんだかうれしいかなって思います」


そういって、ユウは優しく微笑んで言葉を続けた。


「今はどうしても不安でしょうし、どうでもいい事が気になってしまうのかもしれませんね。元気なお子さんの顔をみたら、不安も愚痴もきっと吹き飛びますよぅ」

「そうだねぇ、ありがとう、ユウちゃん」


 そうして二人は笑顔を交し合った。

 店主もまた、女房のお産という不安に押しつぶされそうになっていたところに、ユウという存在が現れて、そのせいで店が忙しくなってしまったものだから、へとへとになるまで働かざるを得ない。気がつけば不安になる時間などなくなっていた。


 無事子供は生まれて、ユウは旅立つ事になった。

 その時に夫婦がかけてくれた言葉がユウは未だに忘れられない。


「ユウちゃんは、幸せを持っていて、それを皆に分けてくれるっていうのかな? 幸せを運んできて、皆を笑顔にさせてくれるっていうか……ユウちゃんの何気ない行動とか一言に何度も助けられたんだ。きっとそういう人だから勇者に選ばれたのかもしれないね」


そしてこの先も、色んな人から同じような言葉をかけられることになる。


「あぅ、えと、私は、できる事をしているだけで、誰にでもできることっていうか…」


 自分がしている事で人を幸せにしている、なんてそんな自覚はなかったし、本当にできることをやっているだけで、自分の行動が人を幸せにしているなんて、思っても見なかった。

 カーッと頬が熱を帯びて、赤くなっているのがわかった。


 そんな風に言われるたびに、ユウは顔を真っ赤にして、そして困ったような笑顔を浮かべる。


「そういわれて、すごくうれしいんです。私みたいなのが人を幸せにできるっていってもらえてるみたいで、すごく、うれしいんです」


 そのユウの真っ赤に染まった笑顔を見たものは口をそろえて言う。

 女神の微笑みのようだったと。



「うれしいんですけど、照れちゃいますよぅ」



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