心の傷
第8話
「おぬし、鍛冶の真似事とかしておったじゃろ」
「真似事って失礼な…」
思いついたように振り向いたファビラは、不貞腐れるアルトを見て、カラカラと笑う。
「実は、私からもお願いしようと思って―」
「いや…そういうのは専門の人に…」
被せ気味に答えたアルトであったが、カエデから上目遣いでじぃっと見つめられると、言葉を続けられずに小さく溜息を吐く。
「……まぁ、やるだけやってみるよ」
了承の返事を得たカエデは、彼に嬉しそうに頷くと、訥々と希望を出し始める。慌ててボロボロの汚い紙を取り出し、メモを取り始めるアルトを面白そうに眺めていた年配者の片割れビビアナが、そのメモを覗き込んでは、うんうんと頷いていた。
「平和じゃのぉ」
思わず目を細めてその様子を見ていたファビラであったが、首を傾げ始めたビビアナの様子に徐々に呆れたものへと変わっていく。
次第にうずうずとし始めたビビアナが、ついに耐えられなり口を挟み始めたのだ。
「そこは、もっと丸みを帯びさせてみてはどうじゃ」
「…と、したら、そこを丸くして」
「―ええいっ、そうじゃないわっ」
どんなデザインがいいかという女の戦いが徐々に熱を帯び始め、書いていたメモを取り上げられてしまったアルトは、そっと観戦側に回るのだった。
「ここは、もう少し厚くしたいのですが…」
「そうじゃのぉ…、さすがに紙では表現しきれないのぉ」
キョロキョロと周りを見渡し始めたビビアナが、ベランダにある鉢植えに気づき、ぽんっと手を打った。
「ちょっと待っておれ」
数分後、ベランダにある鉢植えから土を盛った皿がカエデの前に並んでいた。ビビアナがにやりと笑った次の瞬間、彼女の指の先に茶色の魔術陣がいくつも現れる。本格的に土の魔術を行使し、具体的なデザインを模索し始める女性たちを遠目から眺めていた男性陣は、顔を見合わせると盛大に溜息を吐くのだった。
「のぉ、アルトよ」
「……はい」
「女性というのは、恐ろしいのぉ」
「…はい」
しばらくして、すっかり蚊帳の外になってしまった男性陣は、少しだけ女性陣から離れた扉の近くで関わりたくないという表情を浮かべていた。
「なんか、いろいろダメな気がするんですが…」
二人して項垂れていると、ファビラがふと顔を上げる。
「ところで、おぬしらは、これからどうするんじゃ?」
「どうすると言いますと?」
さすがに暇を持て余しはじめたのか、男性陣もこそこそと会話を始めた。
「先程の話からすると、おそらく数年は、ここにいなくてはならなそうじゃろう?」
「やはり、そうなりますか」
薄々感じていたことを指摘されたアルトは、はぁっと肩を落とした。
「それまでの間、もしよければじゃが、ここを使っていてもよいぞ」
その言葉にパッと明るい顔を上げたアルトだが、すぐに怪訝そうな顔になると、恐る恐る確認する。
「…よろしいので?」
「どうせ、年に数度しか使っておらんかったでの、おぬしらがおったほうが、わしも顔を出しやすいしのぉ」
何かにつけて疑うアルトに、そこまで何かしただろうかと思うファビラであったが、こちらを伺う目に期待が含まれていることが分かると、笑顔を浮かべて、カラカラと笑った。
「カエデのレシピとセリノの料理が目的でしょうに…」
どこかに家を借りるべきかなぁと考えていたアルトにとっては、とても有り難い提案であった。しかし、感謝の意を込めて軽く頭を下げつつも、素直にはなれないアルトであった。ファビラが、気にするなとヒラヒラと手を振るのを見て一度笑顔を浮かべかけたアルトであったが、その老人の顔に何かを含んだ笑みが混じるのを見逃さなかった。
「…で、条件は?」
「なんじゃ、気づいてしもうたか」
からからと笑うファビラに、げんなりと肩を落とすアルト。
「少し力を貸して欲しい」
前を向いたまま、真剣な顔をしたファビラに、アルトは視線が外せなくなる。
「おぬしの…アルト=ファーリスの力が必要なんじゃ」
振り向いたファビラは、青年の黒い瞳を見て、もう一度しっかりと希望を伝える。思わず、アルトが首を縦に振るのを確認してから、柔和な笑みを浮かべたその老人は、少し外で話でもしようかと首だけで合図をすると、そっと扉を開け、部屋を後にするのだった。
「2年前のウェルス…」
「………」
廊下で待っていたファビラは、アルトが扉を閉めるのを待って声を掛ける。ピクリと背中を跳ねさせたまま振り返らないその様子に、思わず溜息を零す。
「おぬしもおったのじゃろ?」
「…はい」
申し訳なさそうに眉を下げて、やっと振り返ったアルトに、実の子に向けるような優しい笑みを浮かべると、ゆっくり語り掛けた。
「5年前と一緒じゃのぉ」
「………」
俯いてしまう青年に、老人は、あくまでも優しく声を掛ける。
「できる限りのことをしたんじゃろ?」
「……そのつもりです」
今にも泣きそうな顔をする青年の姿が、5年前と重なった。ファビラの声に少しだけ熱が篭もる。
「胸を張ったらええ」
「…でも、今度は父を失いました」
肩を落とすアルトの姿が居た堪れなくなったファビラは視線を外すと、少し遠くを見つめて何かを懐かしむように言葉を零す。
「……あやつも、逝くには早すぎじゃろう」
「…」
「もう少し、頑張れなかったんかのぉ」
悲痛に顔を歪めるアルトに視線を戻したファビラは、以前、彼が少年だった頃と同じ言葉を、懐かしむようにゆっくりと投げ掛ける。
「そうだとしてもじゃ…大勢の人間を守れたんじゃろうて」
「……だと、思います」
「街も守れたんじゃろう」
「…たぶん」
廊下を睨み付けるアルトの前まで行くと、ファビラは、ぽんと頭にしわしわの手を載せる。
「誇っていいんじゃよ…」
「………」
「誰が何と言おうが、誇ってええことじゃ」
灰色の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜられたアルトは、暫くの間、顔を上げることはなかった。
「わしは、誇りに思っておるぞ。おそらく、おぬしの父も………パウラも、な」
「いい加減、手を離さないか?爺さん」
手を払い除けられてもニコニコと好々爺前としたファビラに、チッと舌打ちをしたアルトは、乱れた髪を手櫛で整えると、キッと鋭い視線を向ける。
「やはり、その口調のほうがええのぉ」
その言葉に、何かを諦めたアルトは、はぁぁっと長い息を吐くと、ファビラの正面に立つ。
「で、条件とは?」
嬉しそうに頷くファビラに、目を背けたくなるのをぐっと我慢して、その茶色い瞳を覗き込む。しかし、目の前の老人は、それさえも嬉しそうに笑みを深くした。
「そのまんまの意味じゃよ」
何を言われているのか一瞬分からなかったアルトであったが、ファビラの目が既に笑っていないことに気づくと、そのまま次の言葉を待った。
「おそらく、そう遠くない将来、この半島は動乱の時を迎えるじゃろう」
ゆっくり頷くアルトに、「さすがじゃな」と嬉しそうに頷いてから、ファビラは話を続けた。
「この半島におる間、お前さんの息子から制限が取れるまでで構わん。それまでの間、このカンタブリアのため、現領主、エミディオのために働いてくれんかのぉ」
力を宿した茶色いと黒の視線が交錯する。
「承知しましょう」
アルトが優雅に右手を胸に当て、頭を下げる。
「よろしく頼む」
現役時代を思い起こさせる威厳のある声で返すファビラ。しかし、笑顔を浮かべたアルトと目が合うと、二人して大笑いするのであった。
「うるさいっ!!」
しかし、楽しい時間はすぐに終わる。馬鹿笑いしている二人の目の前で扉が勢いよく開くと、ビビアナの怒鳴り声が響き渡る。
―バンッ
そして、すぐ閉じられる扉。
「のぉ、アルトよ」
「……はい」
呆然と扉を眺める二人。
「女性というのは、恐ろしいのぉ」
「…はい」
そして、そのまま二人して項垂れる。そして、アルトが首だけをファビラのほうに向けた。
「先程の件ですが」
不穏なものを感じたファビラが姿勢を正すと、アルトも合わせるように身体を起こす。
「エミディオに相談してからでよろしいですか?」
ファビラが何かを思い出したように、ハッとした表情を浮かべる。
「まさか…何も言ってないとか」
明後日の方向を見るファビラへ、アルトがじっとりとした視線を送る。
「いや、まぁ、そ、そうじゃのぉ」
無言のまま、時が過ぎていく。
「………言うておく」
アルトからの視線を外し、ぼそりとファビラが零す。しかし、疑わしげな視線のみが返ってくるばかりで、言葉はない。
「ま、まぁ、なんじゃ、だいじょうぶじゃ」
ファビラの額に嫌な汗が滲み始めた。
「あやつも喜ぶだろうて、な」
そういってファビラが空笑いをすると、アルトが慌てて止める。
「ばかっ爺さー」
「うるさいと言うとるんじゃっ!!」
―バンッ
先程よりも勢いよく開け放たれた扉は、ビビアナの怒声を残し、すぐに閉じられた。
「防音の魔法は、どうしたんじゃろうな」
「どうしたんでしょうねぇ」
呆然と扉を眺める二人であった。