別邸の昼食
第4話
― ゴーン…ゴーン
「もう、こんな時間じゃったか」
― チリリンッ
朝早くから続いた慌ただしい雰囲気が漸く落ち着きを取り戻した頃、昼の訪れを伝える鐘の音が、窓の外から聞こえてくる。机の上に置いてあった呼び鈴をファビラが鳴らすと、すぐに扉がノックされ、領主別邸の執事長が顔を覗かせた。
「御呼びでしょうか」
「今日は、久々にセリノの作った料理が食べたいと思ってのぉ」
「すぐに準備させましょう」
恭しく頭を下げた執事長が頭を上げようとしたその時、さも迷惑そうな口振りで、年嵩の治癒師が口を挟むのだった。
「食べるなら、ここじゃなくて食堂に行っておくれよ」
その声に、頭を上げる途中の綺麗な前屈みの姿勢でピタリと止まった執事長は、声の主へと強い視線を送る。真っ向からそれを受け止める治癒師との間で生じた険悪な空気にファビラは苦笑を浮かべると、やれやれといった感じで間に割って入った。
「これ、バルドメロ」
「はっ」
「ビビアナの言うとおりじゃ」
「……はっ」
二人の間に移動したファビラを透すように、治癒師へと鋭い視線を送り続けるバルドメロは、しかし、すぐに軽く礼をすると悔しそうな表情を浮かべて退室していく。微妙な笑みを浮かべてそれを見送ったファビラは、一つ溜息を吐くと、移されたベッドでまた泣き始めた赤児を覗き込んだ。
「もっと仲良くできんかのぉ」
誰とでもなしにポツリと零し、好々爺然とした笑みを浮かべる。しばらく赤児へ笑顔を向けていたファビラであったが、側に立つ治癒師から、暗に早く出て行けという重圧を受け、少しだけ肩を落とすと、アルトへと目配せをして、名残惜しそうに食堂へ向かうのだった。
「……で、いつまでいらっしゃるおつもりで?」
「なんじゃ、わしがいては迷惑かのぉ」
軽く礼をして扉を閉めたアルトは、少し前をトボトボと歩く老人の背に向けて声を掛ける。あからさまに肩を落とし、わざとらしく鼻を啜るその背中に、肩を竦めたアルトは、素っ気無く言葉を返すのだった。
「いつまでいらっしゃるのか、ただ、お聞きしただけです」
「…ふむ」
同情する素振りすら見せないアルトをちらっと振り返ると、つまらなそうな顔をしたファビラは、すぐに前方へ視線を戻す。はぁっと小さく溜息を零すと、わざとらしい演技を止め、考えるような素振りを見せると、ゆっくりと話し出した。
「何を警戒しておるんじゃ、まったく…。お主の子供のことを楽しみにしとったのは、本当じゃ。わしだけでなく、エミディオも来たいと言うとったんじゃがなぁ。公務の時間があるからのぉ。わしだけでも、というわけじゃ」
「…そうでしたか、それは、ありがとうございます」
その気恥ずかしさが混じった老人の優しい声音に、アルトは少しだけ笑みを零す。義姉の実家とはいえ、そこまで親身になるほどのことでもない間柄と思っていたのだが、そこまで想ってもらえていることに素直に嬉しく思ったアルトは、しっかりと謝意を伝えるために、一度立ち止まり、軽く頭を下げて礼をするのだった。
「よいよい、こちらが勝手にしていることじゃ、気にするでない。それよりもじゃ…、そろそろその堅苦しい口調を戻さんかのぉ」
足を止めて向き直ったファビラもまた、優しく穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、僅かに寂しさが乗っているその声に、顔をあげたアルトの表情には、少しだけ曇るものが残ってしまう。
「……」
「すぐには難しいということも分かっておるんじゃがなぁ。しかしのぉ、やっと顔を見せたかと思えば、すっかりよそよそしくなりよってからに。エミディオも気にしとったぞ」
気遣うようにそう言い残し、立ち止まったままのアルトを置いて、もう目の前に迫っていた食堂へとファビラは入っていった。
「気にしすぎているのは、そっちも一緒でしょうが」
誰にも聞こえない小さな声で言葉を吐き捨てると、アルトもまた、ファビラを追って食堂へと入っていくのだった。
「これは、なんとも美味そうじゃのぉ」
食堂へと足を踏み入れたファビラは、所狭しと並べられた料理に目を輝かせる。
「ほぉ、米料理とな」
料理を見渡して、この地方には珍しい料理を目にすると、料理の前の空いている席へ座ってしまう。
「これは、これは。今、御呼びにあがろうかと思っていましたところで―」
「それは、ちょうどよかったのぉ」
慌てて駆け寄ってくる執事長を軽く手を振って制したファビラは、楽しそうにカラカラと笑い、後から入ってきたアルトへと声を掛ける。
「ほれ、早く座らんか」
空いている上座の席を見て少しだけ苦笑したアルトは、はぁっと軽く溜息を吐くと、何も言わずに、その空いている席へと腰を下ろした。
「さっそく、いただくかのぉ」
席に着いたアルトに満足そうに頷いたファビラは、待っていましたとばかりに、さっそく米を使った料理に手を付け始めるのだった。
「そんなに珍しいものです?」
「ほほらふぇんひゃふへ―」
「―ごめんなさい、食べ終わってからで結構です」
うんうんと頷いて、さらに口に詰め込むファビラに、食事が終わるまで答えは聞けないだろうと諦めかけたアルトに、厨房から顔を出した若い背年が声を掛ける。
「ここら辺では、南部のパエリアくらいなんですよ」
引き締まった体躯に、くすみのない綺麗な銀色の髪、整った顔と貴公子然としたその容姿は、調理服にさえ身を包んでいなければ、どこかの国の王子とだと言われても信じてしまいそうな、この青年こそが、この別邸の料理長であり、二人の目の前に並ぶ料理を作った料理人であった。
「へぇ、そうだったんだ」
「そうだったんだよ」
にこりと笑みを浮かべ、誇らしげに胸を張る料理長に、笑顔を返したアルトは、胸の前で両手を合わせて、料理に礼をする。
「いただきますっ、と」
そんなアルトの様子を、ファビラがこっそりと目を細めて懐かしむように眺めているのに気づいたのは、執事長のバルドメロのみであった。
「セリノは、随分と腕をあげたのぉ」
アルトが食べ始めたのを確認したファビラは、感心したように言葉を零す。それまで一心不乱に料理を食べているとばかり思っていたファビラの声に、セリノは慌てて向き直る。
「突然の御来訪でしたので、こちらでいつも作らせていただいているものを御用意させていただいたのですが、お口に合ったようでよかったです」
本当に驚きと嬉しさを綯い交ぜにしたような表情を浮かべるファビラに、ホッと安堵の息を零した料理長は、軽く頭を下げる。
「ただ…私の腕が上がったわけではないのが悲しいところでして…」
「ほぉ」
申し訳なさそうに頭を掻くセリノに、ファビラは、興味深そうな視線を送る。そんな好奇に満ちた茶色の瞳を避けるかのようにキョロキョロと視線を彷徨わせたセリノの蒼い瞳は、助けを求めるようにアルトの黒い瞳を捉える。そんな二人の遣り取りを見ていたファビラは、少し面白くなさそうに、新たな質問をするのだった。
「ところで、パエリアとは違うような、この料理は何というんじゃ?」
話題が変わったことにホッとしたセリノは、ファビラの質問に、今度は、ゆっくりと答える。
「こちらは、パエリアと同じように米を使っているのですが、バターで炒めた後に、スープで炊き上げたピラフと呼ばれる料理…だそうです」
「ほぉ…この屋敷では、こういう料理がいつも、なのじゃな?」
「…は、はい」
先程までの凛々しい姿はすっかりと鳴りを潜め、徐々に顔色を蒼白くさせるセリノが、今度こそ、はっきりと救いを求めるような視線をアルトへと向ける。挙動不審なその様子に、苦笑を浮かべていたアルトは、軽く頷いてみせると、セリノは、申し訳なさそうに少しだけ頭を下げてから、ファビラへと向き直る。
「実は、カエデ様にいろいろと教えていただいておりまして、、、」
「ほぉ…そうじゃったか」
少しだけ考える素振りを見せたファビラは、横目でチラリとアルトに視線を送ると、意味有り気にうんうんと頷いてから、少年のようにキラキラと輝かせた瞳をセリノへと向けた。
「このスープも…じゃな?」
ファビラの問いに、やはりセリノは、アルトの様子を窺うようにチラッと視線を向ける。当然のように頷いたアルトであったが、なんだか面倒になった彼はセリノが口を開く前に告げるのだった。
「ダメだといっても、後でメンドクサイことになるだけだから、いちいち確認されても困る」
「そうだね、ごめん………ありがとう」
アルトの視界の端に、面白くなさそうな顔を浮かべる老人が映る。しかし、セリノが話し始めると、すぐに楽しそうな表情をして料理の説明を聞き始めた老人に、はぁっと安堵の溜息を零した。
「そちらの料理も教えていただいたものの一つでポトフと呼ばれるものだそうです。本来は、野菜とスープを別に盛るようなのですが、本日は御一緒に出させていただきました。」
「なるほどのぉ………理由を聞いても?」
ファビラの問い掛けに、笑顔を取り戻したセリノが、アルトに視線を向けることなく軽く頷いた。
「実は…そのスープは、カエデ様に事前に作っていただいたものなのです。先程のピラフにも使用したスープで、野菜を煮込んだものになります」
しかし、そこまで説明したセリノは、アルトへとチラリと視線を向けてから、少し照れくさそうにはにかんだ。
「…野菜を柔らかく食べることができるこの料理であれば、出産直後のカエデ様も食べることができるかと思い、本日は御一緒にした次第です」
その言葉を聞いて、料理長の心憎い気遣いに、胸が温かくなるのを感じたアルトが、軽く頭を下げたことに、セリノがニコリと笑顔で返す。説明の途中で料理を堪能し始めていたファビラは、まるで、そんな二人に気づいていない様子でぽろりと言葉を零した。
「これも美味いのぉ」
「………ふっ、「はははは」」
そんなタイミングで発せられた言葉と、普段は見ることがない表情に、顔を見合わせていた二人は、込み上げてきたものを我慢できずに笑いを零す。そんな二人を、眉を寄せて見るからに不機嫌そうなファビラは、順番に睨みつけた。
「ひぃ…や、やめてください」
子供が不貞腐れたような仕草をするファビラに、ひぃひぃと二人が苦しそうに笑っていると、ついにファビラまでもが釣られるように笑い始め、食堂には三人の楽しそうな笑い声が響き渡るのだった。