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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第3章 望まぬ夜明け
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空白の時

第6話


「しゃがめっ!!」


 後ろからの声に咄嗟に頭を下げる。その瞬間、頭の上を一筋の閃光が通り過ぎ、目の前で顎をめいいっぱいに開いていた魔獣が崩れ落ちる。


「中隊長殿!!」

「……だいじょうぶか?」


 魔獣と入れ替わるように現れたその背中に、思わず声を掛ける。後ろを振り返ることなく、前を警戒したままの青年から聞こえる優しい声音に、つい肩の力が抜けたのが自分でも分かった。


「申し訳ない…」

「まだ、あなたには、やってもらうことがたくさんありますからね」


 慌てて立ち上がった私は、ちらりと横目を送るその青年の笑みに、思わず見惚れてしまう。


「年上の男性に、そんな視線を送られても、お答えするような趣味はありませんよ?」


 そう言われて、ハッと我に返った私は、顔が赤くなってくるのを感じ、思わず顔を背けてしまった。それでも、やはり青年の様子が気になり、目を向けてみると、心底、げんなりとした表情を浮かべている青年から力が抜けたのが分かる。

漸くこの戦場も終わりに近づいたことを実感した瞬間であった。




 大陸歴910年、東側に5000ftを超える山々が散在するピラネウス山脈、残りの方角を海に囲まれたこのイベラル半島では、その狭い閉鎖的な領域の覇権を巡って、未だに群雄割拠の状態が続いていた。

 しかし、その年、ハリストス皇国がピラネウス山脈の大陸側を制圧したことによって、この半島の情勢は、否応なく変化を遂げることとなるのだった。


 翌911年、雪解けを待ち、大陸の覇者ハリストス皇国がついに動き始める。半島の付け根部分を遮るように、海岸線まで高い山々を連ねるのが、霊峰アネトを中心としたピラネウス山脈。その唯一北東部の標高が少し下がった場所にあるナバラ王国の支配下であった交易都市イルンが、皇国の最初の標的となる。


 イベラル半島を除いた大陸西部をほぼ手中に収めた皇国の勢いは、小競り合いを続けていた小国の反抗を諸共せず、それから一年半の間に、カンタブリア山脈北部の三国家、東からナバラ、バンプローナ、カストラをあっという間に併呑してしまったのだった。


「しかし、こうも魔獣が多いとは…」

「…皇国の連中に追われているってことですかな」

「20年以上経っても…か」


 聳え立つカンタブリア山脈の山々を睨む若い中隊長の目が、どこまでも鋭かったのを私は今でも覚えている。


 ハリストス皇国が動き出したのと時を同じくして、イベラル半島西部を支配下においていた中堅国家ブラガは、半島内陸部へと東進を始めていた。国土の北側は未開発の山地、西側は海という中堅国家ブラガ。自然に恵まれたこの国は、交易が盛んなこともあり、他国を侵略することもなく、それまで半島内の覇権争いを傍観していた。皇国が半島へ進出しなければ、おそらくこの国は、まだしばらくの間、そんな平和な時を過ごしていたことであろう。


「ペドロニャ殿は、ブラガの頃から…でしたよね」

「まぁ、私は、古株に入りますからな」

「今度、その頃のお話をゆっくり聞かせてくださいね」


 新興国レオン—皇国の進出を避けるようにドール側を遡上し、イベラル半島の中央部にあるメセタ山脈とカンタブリア山脈に挟まれた地域に進出した中堅国家ブラガは、913年秋、天然要塞都市レオンを陥落。年が明けた翌914年、首都をレオンに遷都するのと同時に、周辺国を吸収する形でレオン王国建国の宣誓をする。


 912年の冬を境に侵攻が止まった皇国とは反対に、新生レオン王国は、その後、レオン周辺を平定すると、その勢いをもってカンタブリア山脈の南側を制圧し、瞬く間に半島でも有数の大国となったのであるが、国家としては漸く20年を超えたくらいで、まだまだ若い国であった。


 我らが中隊長ディアス・デ・ビバール少佐は、まだ若い24歳。大国となったレオンしか知らぬ若者ではあるが、先遣隊一個中隊200人を預かる精悍な青年である。我々は今、この半島から皇国を追い出すべく、ついにカンタブリア山脈へと足を踏み入れていた。


「今日はこの辺で休むとしよう」


 中隊長の声に、皆が腰を下ろす。カンタブリア山脈の山間の村ペスケラ。今は、廃墟と化した家々が並ぶのみのこの村は、かつて木材の産出で賑わっていたと聞いている。


「しかし、皇国の連中は、どこに行ったんでしょうな」


 我々が山脈へと足を踏み入れてからというもの、一度として皇国の軍と出会っていない。不気味な静けさが、兵士たちの不安を煽っているようだった。


「皇国の連中は逃げ出したんじゃないですよ、きっと」


 一人の若い兵士の言葉に、皆の顔に少しだけ笑顔が戻る。しかし、誰一人として、その言葉を信じているわけではないことは皆、分かっていた。




部隊は、そのまま魔獣と呼ばれるほどの魔力を持った鳥獣たちを倒しつつ、カンタブリア山脈を越えていく。軽症を負った者が数名出ただけで無事にカンタブリア山脈を越えると、麓にあるパネスという小さな街が見えてきた。


「結局、魔獣しかいなかったな」

「そうですのぉ」


ディアス中隊長は、このとき、襲ってくる魔獣の数が少なかったのと、亜人と呼ばれる種族をほとんど見かけなかったことに疑問を感じていたらしい。街が見える場所で斥候役の半個小隊が戻ってくるのを待っていると、戻ってきた斥候から人の気配が全くしないとの報告を受ける。


「……ひとまず進むしかないか」


あまりにも不自然なこの状況に警戒しつつも、街に入ると、そこは廃墟と化していた。


「な…なんと…」


部隊の誰もがその光景に唖然としていた。一人、気を取り直したディアス中隊長が、休息を取ろうかと号令を掛けようとしたそのとき、突然、異変が起こる。


「総員!警戒態勢をっ!!」


今まで何の気配もなかった廃墟の一部から、急激に魔力が立ち上ると、それを合図に街のいたるところから魔獣たちが溢れてくる。先遣隊の皆が気づいたときには、時既に遅く、人を食らったことがあるのであろう魔獣の群れが、我先にと襲い掛かってくるところであった。不意を衝かれた部隊は、あっという間に半数以上を失ってしまう。


「この数では、どうにもならんっ!!もどれっ」

「ちゅ、中隊長殿はっ!?」

「私よりも、この状況を早く本隊へ報告するんだっ!!」


ディアス中隊長は、被害を抑えつつ、本隊に状況を報告するために、無事な者から戦線を離脱させていく。


「いいから退け!!」


ここから、本隊に合流するべく再び山脈を越えるための撤退戦を行うこととなるのだが、中隊長自ら殿を務めたことで、生き残った大半を逃がすことに成功するのだった。




「空白の24年…か」


 夜も更け、日付が変わろうという時間、アコルーニャにある宿の一室で読書に没頭していたアルトが、手にしていた本をそっと閉じる。仰向けの体勢に転がり、ぐぅっと凝り固まった身体を伸ばすと、ふぅっと息を吐くのだった。





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