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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第3章 望まぬ夜明け
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旅立ち

第2話


「それじゃ、まぁ、よろしく」

「「おおおぉぉぅ!!」」


 青年の決して大きくないその声に、男達の怒号にも似た楽しそうな雄叫びが雲ひとつなく、どこまでも透き通るような空に響き渡る。




「身体の具合は…って、大丈夫そうじゃねぇな」


時は少し遡り、アルトが目を覚ました日の夕方、白亜の御殿へ足を運ぶのが日課になっていたトマスは、ついにアルトと面会を果たす。


「あはははは」


 扉を開けて、開口一番声を掛けたトマスであったが、まだ身体を起こすこともできないアルトに、思わず心配そうな表情を浮かべていた。


「ま、何にせよ、目が覚めたことはいいことだ」


 しかし、ベットの横にある椅子に腰かけると、にかっとした笑顔を見せる。釣られるようにアルトの顔にも笑みが浮かぶのだった。


「その様子だと、これからのことは、身体を治してからってところだな」

「あ~…そのことなんですけども」


 他愛もない会話を交わした後、なんとなく二人が気にしていた話題になるのだが、アルトの返事は煮え切らない。


「「………」」


 途端に空気が重くなる。我慢比べのような沈黙に、先に耐えられなくなったのはトマスのほうであった。


「こっちの「実は、頼みたいことが—」ことは気にしなく…は?」


 しかし、それは僅差のことで、アルトの言葉が見事に被る。


「……くっ「ははははは」」


 夕暮れに赤く染まる静かな白亜の御殿の廊下に、二人の笑い声が零れ落ちた。


「そいつは、構わねぇが…」


 それから暫くの間、アルトから、例の依頼の話を聞いたトマスが、今度は言葉を濁していた。


「が?」


 困ったようにぼさぼさの頭を掻くガタイの良い男に、アルトが怪訝そうな視線を送る。


「いや、どんなのがいいとか、そういう細かいところまでは分からんからな」

「そこら辺は、むしろ俺よりも知っているでしょうに…」


 男が吐き出した弱音に、呆れたような声で答えるアルト。


「まぁ、そう言われるとそうか」


 ハッと顔をあげたトマスは、げらげらと笑ってから、ふと真面目な顔をした。


「で、そっちはどれくらいの予定なんだ?」

「身体が動くようになってからですからねぇ…早くても2週間後くらいに出発ですねぇ」

「…そうか」


 アルトが怪我を負った時、一緒に現場にいたトマスであったが、何もできなかったことを思い出す。


「出発してからは、下手したら1ヵ月くらい掛かるとは聞いているので、次にお会いするのは夏の終わりってとこですね」

「……そうか」


 そして、会えない期間を聞いて、トマスは、さらに不安を覚える。しかし、こうして頼られるのは悪い気分ではなかったトマスは、きりっとした表情を浮かべると、アルトの希望をできるだけ叶えてやろうと思うのだった。


「いない間にどこまで仕上げとけばいい?」

「いけるところまで…と言いたいところですが、それぞれのパーツが出来上がってるくらいは期待しています」


 返ってきたアルトの答えに、前々から疑問に思っていたことを聞く機会が訪れたと、トマスがここぞとばかりに聞き返す。


「いや、パーツも何も乾燥はどうするんだ?」

「あ!あぁ、そういえば、そうですね………製材の段階で長さを揃えたりとかってできます?」

「なるほどな…、ま、それなら出来るな」

「よかった。戻ってきたら、一気に乾燥させるんで、とりあえずそこまででお願いします」


 ホッと胸を撫で下ろすアルトの最後の発言に、トマスがげんなりする。


「やっぱり、そういうことだったか」

「…ええ」


 苦笑を浮かべたアルトは、もう一つ言わねばならぬことを思い出す。



「それに、金属やら素材やらの組み込みに関しても、もう少し時間が欲しいんで、ある程度の木材が揃っていれば、とりあえずは問題ないかと…」

「そういや、設計のほうも途中だったな」


 少し遠くを見つめるトマス。この1ヵ月とちょっとの間に、まるで数年分の出来事が起こったように感じていた。そんなトマスの表情に少し困ったように眉尻を下げたアルトは、意を決すると言いにくい事実を伝えるのだった。


「…そこは、ある程度既にまとめてあります」

「なんだとっ!?」


 予想通り、目を剝いて驚くトマスに、苦笑を浮かべたアルトは、言いにくそうに言葉を続ける。


「まぁ、伝手があったもので…」

「…まぁ、こっちもいろいろとあったし、しゃぁねぇか」


 いろいろの原因が、アルトを驚かせようと勝手にやったことであることに後ろめたさを感じていたトマスは、ぼさぼさの頭をぼりぼりと掻いて申し訳なさそうに笑うのだった。


「造船所のほうは平気なんです?」

「あ~…ある意味さっぱりしてるからな」


 たははとトマスが笑う。しかし、的を得ないその答えに、アルトが不思議そうに視線を送っていることに気づくと、トマスは、少し照れくさそうにポリポリと頬を掻いてから、ぼそりと呟いた。


「もうすっかり、アルトの船を造る気でいたからな」


 それは、カルラが見ていたら、間違いなく「気持ち悪っ」と言いそうな光景であった。




「もう起きてても大丈夫なのか?」


既に準備がある程度整っていたことで、休日明けの3月11日、事前に打ち合わせた予定通り、トマスはリバネ造船の職人たちを引き連れ、新造船の材料を手に入れるため山へと出発する。

挨拶をするため、白亜の御殿の門前まで来た一行は、あれから2日しか経っていないのに、既に立ち上がり見送りにきたアルトに驚くのだった。


「ええ、まぁ、なんとか」


 手入れされていない灰色の髪をくしゃくしゃと握り、照れくさそうに笑うアルトに、一同がホッと安堵の息を零す。ここにいるほとんどの者は、アルトが怪我をした現場に居合わせていたのだ。


「アルトさん、僕もついていけることになりました」


トマスの後ろから、顔を出したシーロがアルトへと声を掛ける。


「あ~、親父さんの件は、なんだかー」

「いいんです。アクニは僕が取り戻します!」


 気まずそうに声を掛けるアルトの言葉を、満面の笑みを浮かべたシーロが元気な声で搔き消してしまう。


「ま、こいつのことは任せておけ」


そんなシーロの頭に手を載せて乱暴に撫でたトマスがにかっと笑って見せる。


「頼みます」


 そんなトマスにアルトは頭を下げる。シーロが慌てて止めようとしている姿に、皆、優しい笑顔を浮かべていた。


「とりあえず、こちらは1ヵ月の予定だ」


 顔を上げたアルトに、トマスが業務連絡をする。


「戻ってきたら、こちらへお越しください。書類関係は全て揃えてから俺も出ますので」


 そういって、振り返ったアルトに、執事長が力強く頷いて見せる。それを確認したトマスは、アルトへと頷くと、右腕をバッと前に出して、厳つい笑みを浮かべる。


「それじゃ、まぁ、よろしく」


トマスの差し出した手をグッと握ったアルトは、決して大きくない声とともに、リバネ造船一行に笑顔を見せた。




「あ~、行きたかったなぁ」


 南門へ向かう一行の背中を見ながら、ぼんやりとアルトが言葉を零す。


「ファビラ様との二人旅が待ってるじゃないですか」


隣にそっと並んだカエデが、にんまりとした笑顔を浮かべた。はぁっと溜息を零して肩を落としたアルトは、再び未練がましく同じ言葉を零すのだった。


「…行きたかったなぁ」




「…で、何をしてるんですか」


 リバネ造船一行を見送ってから一週間、身体を元に戻すため、リハビリをしながら毎日を過ごしていたアルトは、休日も休まず身体を動かしていた。そんな運動を終え一息ついたところで、アオイのところへやってきたアルトは、ようやく首の据わったアオイの脇に手を入れて、俗に言う高い高いをしていたのだった。


「え?」

「え?じゃないですよっ、まったく」


 ぷくっと頬を膨らませたカエデが、アルトの隣に並ぶ。


「えっと…」


 何が不満なのか分からないアルトは、困ったようにアオイをベッドに寝かせると、カエデに向き直る。


「…そこに座ってください」


 ぷりぷりと怒るカエデに言われるがままに、指定された場所へと腰を下ろすアルト。


「なんで、普通に座ってるんですか?」


 冷たい視線とともに浴びせられた低い声に、アルトは、慌てて正座の体勢を取る。


「1ヵ月も家を空けるなんて話は聞いていないのですが?」


 上から睨みつけられたアルトが、小さく縮み上がる。


「…それは長かったらというお話で」


 フンスと息を吐くカエデに、どんどんとアルトの声量が小さくなっていく。


「あの場にいて止めなかった私にも責任はありますがっ!」


 まったく責任を感じていない口調のカエデが、腰に手を当てる。


「それならそれで!アオイばかり構うのは、いかがなもんでしょうか」


 不満をぶつけていた声に徐々に悲しみが混じるのが分かったアルトが、がばっと顔を上げる。そこには、切なそうな雰囲気を全く纏っていない憤怒の表情のカエデがいた。


「…え?」

「え?…じゃありませんっ!動けるようになったらなったで、鍛錬ばかりっ!!」


 カエデの愚痴が止まらない。止まらないばかりか、紅潮していく顔に、アルトの肩がびくっと反応する。


「時間ができたら、アオイにばっかり!!!」

「っ!」


 そこで一息ついたカエデが、キッとアルトを睨みつける。声にならない恐怖がアルトを襲う。


「少しは私のことも構いなさぁぁぁいっ!!!!!」

「ひぃぃぃ」


 何とも平和な叫びが、白亜の御殿に響き渡る。


「―ウゥゥ、ウンギャァァ」

「「………」」


 無言で見つめ合う二人。止まないアオイの泣き声。


「ま、そういうことです」


 気まずそうにアオイの許へ向かうカエデの後姿に、笑みを浮かべるアルト。しかし、その時、後ろの扉が開く。


「カエデ様…段取りが無茶苦茶です」


 そういって部屋へと入ってきたのはバルドメロ。


「まぁ、この夫婦じゃ致し方あるまい」


 ふぉっふぉっふぉと笑いながらファビラが続く。


「カエデ様、お持ちいたしましたよ」


 ケーキを載せたワゴンを押してセリノが現れると、最後に、その後ろをついてきたミーナが扉を閉める。


「…え、何?」


 きょろきょろとアルトは視線を彷徨わせるが、皆、笑顔を向けてくるばかりで、ますます混乱していた。


「…アルト」


 カエデに名前を呼ばれて振り返ると—


「誕生日おめでとう!」

「「おめでとう!!」」


 カエデに抱かれ泣き止んだアオイの顔にも笑みが浮かんでいた。




「それでは、行ってきます」


 こうして、久々に穏やかな毎日を送っていたアルトは、一週間後、以前と同じように身体動かせるようになると、1ヵ月程前と同じように、白亜の御殿の面々に見送られて旅立つのだった。


「みんなも必ず元気で!」


 あの日と同じ言葉を残して—





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