見知らぬ天井
第1話
「なんで、あんな奴を庇ったんですっ!白狼様ぁぁぁ」
「しっかりしろ!アルっ!!こいつら全員逃がすなよっ」
薄れゆく意識の中で、アルトの耳の中に残っていたのは、最近知り合った小太りの男と昔馴染みの青年が一生懸命に掛けてくる声であった。
「知らない天井だ…」
ゆっくりと目を開けたアルトは、真っ白な天井をじぃっと見つめて呟いた。
「……一人でやっても面白くない」
エミディオ辺りが聞いていたら、喜びそうな台詞なのにタイミングが悪い奴だと物思いに耽っていたアルトは、扉がそっと開かれる音に思わず目を瞑った。
「まだ起きないのか」
期待していた人物の登場である。他にも人の気配がするが、ここでやらねば男が廃る。意を決したアルトは、ゆっくりと目を開ける。
「っ!」
「アルトっ!!起きたか」
「…よかった、本当に良かった」
なんだか只ならぬ雰囲気にアルトは躊躇する。そこへ予想外の展開が訪れる。
「もう大丈夫なの?」
何も言わないアルトのことを心配したカエデが顔を覗き込んだのだ。天井が見えない。
「おいっ、アルト大丈夫なのかっ」
アルトには、どうしてもあの台詞を聞かせたい相手がいるのだ。
「私、ちょっとビビアナを呼んできますっ」
「お、おう頼む」
カエデが扉に向かって駆け出していく音が小さくなった頃合いを見計らって、ついにアルトが口を開いた。
「…知らない天井だ」
「………言ってみたかったとかだったら、…怒るからね」
どうやら早まったらしい。恐怖の足音が近づいてくる。喜ばせるはずのエミディオが噴き出しかけた口を押えて、顔を青白くしているのがアルトの目に入った。
「もうっ!ばか」
ベッドの側までゆっくりと戻ってきたカエデは、そういってアルトへと抱きついた。さすがに、反省するしかないアルトであった。
「おぬしはホントに…、あほじゃのぉ」
開きっぱなしの扉からカエデの声が漏れていたらしく、すぐに駆けつけてきたファビラが開口一番、呆れた声を掛ける。
「面目次第もありません」
「ま、男の浪漫だもんな」
ケラケラと笑うエミディオを睨みつけるアルト。目を逸らし気まずそうな顔をするエミディオだったが、再び目が合った二人は、楽しそうに笑い出すのだった。
「この人たちは、本当に、もうっ」
カエデが頬を膨らませるが、目は笑っており、久々に穏やかな空気に包まれる白亜の御殿であった。
「…で、事の詳細は教えていただけるので?」
「そのつもりじゃがの」
ファビラの言葉と同時にカエデの手から一瞬だけ白い魔術陣が浮かび上がって、すぐに消える。アルトは小さく「ありがとう」と御礼を伝えてから、ファビラへと顔を向けた。
「では、まずお聞きしたいのですが—」
さっそく、何かを訊ねようとしたアルトの出鼻をファビラが挫く。
「その前にじゃ、おぬし自分がどれくらい寝ておったのか分かっておるのか?」
「え?」
「「…」」
ファビラのもっともな質問に黙るアルトに、その場にいた一同は揃って頭を抱える。
「まさか、1日やそこらだとは思ってはおらんじゃろうな?」
「……はい」
妙な間を開けて答えたアルトに、すかさずファビラが突っ込む。
「なんじゃ、今の間は…」
「1日やそこらだと思っていた間だろうね」
実に仲のいい親子である。にやにやとした笑いを向けるエミディオをギロリと睨むアルト。
「おぬしが倒れてから、すでに2週間弱じゃ」
「……え?」
思わず固まるアルトに、三人は苦笑する。
「厳密にいえば、8日じゃな」
「……ということは、3月9日?」
「そういうことじゃな」
天井に顔を向けたまま、顔を顰めて何かを思い出そうとしているアルトを見て、エミディオが肩を竦める。
「ほぉら、分かってなかった」
「分かってて起き抜けにあんなことしてたら、ホントに手が出てたかもね」
沈んだ空気を変えようと、てへっと笑ったカエデであったが、男どもがその笑顔に震え上がるのだった。
「あ、そ、そういえば…船の材料は?」
必死に話題転換を図ったアルトの質問であったが、領主親子に笑顔が戻ることはなく、顔を渋くさせたエミディオが、答えにくそうにもごもごと口を開く。
「あ~、とりあえず延期だ…と、いうか、それを伝えに行ったんだがな」
「………え~と」
完全に混乱状態に陥るアルト。それを苦笑いだけでやり過ごしたエミディオは、何事もなかったかのように話を続ける。
「もうちょっと細かく言うと、暫くの間、アルには別のことをやってもらいたくて、それを伝えに行ったんだが、なんだかこんなことになった」
「「……」」
エミディオが一括りにした“なんだかこんなこと”の結果、アルトが一週間以上も寝込むことになったのだ。ファビラが呆れた顔をして天を仰ぐ。納得がいかないカエデが送る抗議の視線に、エミディオは再び震え上がることとなった。
「リバネの人たちはどうするんだ?」
ふと気づいたようにアルトが訊ねる。これに答えたのは、縮み上がっているエミディオに変わってファビラであった。
「もともと、お試しで1ヵ月ってことじゃったからなぁ」
「…それも、そっか」
天井を見上げたまま、残念そうな顔をするアルトに三人の視線が集まる。しばらく何かを考えるようにしていたアルトであったが、ふっといつもの様子に戻ると、エミディオへと顔を向けた。
「で、やってもらいこととは?」
「この爺様の護衛だ」
くいっと左の親指でファビラを指すエミディオに、アルトが嫌そうな顔をする。
「…嫌な予感がする」
「いや、本当にただの護衛だ…ただ情勢が怪し過ぎて、信頼できる人間にしか頼めんということだ」
アルトがファビラへと視線を移すが、ファビラはうんうんと頷くばかりだった。
「本当はすぐにでもと思っておったのじゃが、おぬしの治りを待って出発することにしておるから、安心して療養せい」
「あ~……はい」
今は判断がつかず、とりあえず渋々返事をするアルト。
「まったく、余計なことをするやつがおるから、こうなるんじゃ」
ぶつぶつと愚痴り出したファビラから逃げるようにエミディオは慌てて身を乗り出すと、まじまじとアルトの顔を見つめてから、問い掛けるのだった。
「ところで、いつからアルは御使い様の戦士になったんだ?」
「…はっ?」
ポカンと口を開けたまま固まるアルト。
「いや、あの時な、アクニャの野郎がどこからか飛び出してきて、アルのことを白狼様って呼びながら、必死に守ろうとしてたからな」
「御使いの戦士は二つ名が与えられるって話じゃからな」
エミディオの話に乗っかるように、ファビラが情報を追加する。
「一部の黄月教徒からは、お前さんは英雄視されておるから、不思議ではないんじゃがの」
その事実に、一瞬だけ驚いたエミディオであったが、すぐに何か納得したかのように、ボソリと呟いた。
「…大崩落、か」
無言でファビラが頷くと、四人の間に何とも言えない空気が広がった。しばらく呆けていたアルトはというと、気になることができたようで、動かない身体を身動ぎさせてエミディオの意識を向けさせる。
「…肝心のアクニャはいまどこに?」
「仲間と一緒にぶちこんである」
目つきを鋭くさせたエミディオの頭を、ついに耐えられなくなったファビラが叩く。
「そもそも、お前さんが余計なことをせんかったら、こうはならなかったんじゃろうが…」
「ご尤もで…」
しゅんとなるエミディオに、はぁっと小さく溜息を零してから、ファビラがアルトへと向き直った。
「ルコンキシュタの話は、覚えておろうな」
「…ええ」
「そのサーベンダ教が、黄月教を唆したんじゃよ」
視線を天井に戻して少しだけ考えていたアルトは、頭に浮かんだ理由を答え合わせをするように、ファビラへと告げる。
「…霊人族主義の同盟ってわけですか」
「まぁ、そうなる」
「それで、多種族主義の領主親子の命が狙われてるってとこだね」
未だに頭を擦りながら、エミディオも会話に参加する。
「…なるほど」
「で、ルコンキシュタに向けて、周囲の領主とも足並みを揃えておきたい。ってなわけで、護衛が必要と、そういうこと」
「まぁ、理解はした」
視線を天井に戻し、じーっと見つめるアルトの様子を三人が伺っていると、うんと頷いたアルトが、真剣な表情を浮かべた。
「一つ条件がある」
思いの籠った一言に、部屋の空気がピンと張り詰める。思わずエミディオがごくりと唾を飲み込んだ。
「リバデネイラ殿次第だけど…もし、彼らが引き受けてくれるのならば、船の件は、進めさせて欲しい」
三人は黙って、アルトの次の言葉を待つ。
「その代わりに、護衛の件を引き受ける」
エミディオがファビラへと視線を向けるが、自分で決めろと目で訴えられ、はぁっと溜息を零す。
「アルが護衛を引き受けてくれるなら、別に構わん…なぁ親父」
息子の返答に満足そうに頷いたファビラであったが、少しだけ考える素振りを見せる。
「そうさなぁ、むしろお前さんがいないのに行くっていうかじゃな」
「そこは、俺から話す」
表情を崩さず、力の籠った視線を天井に向けるアルトに、「そうか」と小さく呟いたファビラが優しい眼差しを送る。
「トマスは、あれから毎日、夕方になるとここへ顔をだしておるぞ」
「そっか…」
「トマスの件は、おぬしに任せよう」
そのファビラの言葉に、力強くアルトが頷くと、漸く、部屋の空気が穏やかさを取り戻すのだった。




