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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
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対岸へ

第17話


「…憂鬱だ」


 2月に入って四度目の休日をのんびりと過ごした翌日。サンタンデル湾を横切る朝一番の定期船にアルトの姿があった。前日の夜から降り始めた雨はもう上がっていたものの気温はとても低かった。


「なんだって、こんな日に…」


 少し波の高い海に向かって愚痴を垂れ流す。それだけでは飽き足らず、天気にも文句を言ってやろうかと曇り空を睨みつけたアルトは、暫く「う~う~」と唸ってから、脱力したように手摺りにもたれ掛かった。


 この日、アルトはアクニ造船の所長アダン・アクニャと打ち合わせの約束を入れていた。表向きは、親睦を図るためではあるが、本当は、件の月の石を探るためである。

 検証をすべて終えた日、屋敷に戻ったアルトは、すぐに手紙を認めるとバルドメロに託しておいたのだった。翌朝に返事を受け取ったことにはさすがに驚いたアルトであったが、この際、それは置いておいて、その時に嫌がらせを籠めて指定したのが今日である。自分から約束を取り付けたくせに、曇天模様の空も相まって憂鬱極まりないのである。


「…やっと着いた」


 サンタンデルの港を出発してから、時間にして30分も経っていないのだが、湾を渡った対岸にあるペドレニャという街に到着した頃には、もう疲れきった表情を浮かべていた。これで賑やかであれば、少しは気も紛れるのだが、朝一番ということもあって、人影も疎らな港は少し寂しく感じて、さらに気が滅入るのであった。


「あそこ…か」


 キョロキョロと少し視線を彷徨わせるだけで、すぐに見つけることができる。このペドレニャの街の湾沿いにも、サンタンデルと同じように造船所が犇めき合っている。そして、その中にある一際目立つ大きな倉庫を併設しているのがアクニ造船であった。


「場所は確認したから、まずは腹拵えっと」


 再びキョロキョロとしていると、船着場とは違い、朝早い時間だというのに人だかりが見える。おそらく市場ではないかと目星をつけたあるとは、少し遠くに見えるその人だかりを目指して、だらだらと向かうのだった。やがて、喧騒に包まれた活気に溢れている市場へ着くと、さっそく物色を始める。


「…アルトさん?」


 アンチョビサンドの店先で100ジリル銅貨を握っていたアルトは、背中から声を掛けられる。振り向いた先には、つい先日まで一緒に実証をした見覚えのある顔があった。


「シーロか」

「はい。お久しぶりです」


 ニコッと笑った顔には、まだあどけなさが残っている。挨拶をしてすぐに首を軽く傾げたシーロは、この状況で、すごく在り来りな質問をする。


「こんな朝から、こんなところで何してるんです?」

「アンチョビサンドを買おうとしている」


 予想していたアルトが即答する。


「…ははは」


 乾いた笑いを返したシーロは、声を掛けなきゃ良かったと思う。


「シーロは何を?」


 銅貨4枚とアンチョビサンド2つを交換したアルトが、シーロに向き直り、自分がされた同じ質問を投げ掛ける。


「この時間になると、猟師の皆さんが戻ってくるので、何かあったとき用の船の点検要員です」


 シーロが答えている間に、アルトは、もう1つサンドを追加していた。


「朝食どう?」


 そういって今、追加したばかりのサンドをシーロへと差し出した。


「少しでよければ、お付き合いさせていただきます」


 その言葉とともにサンドを受け取ったシーロは、軽く頭を下げると「場所移動しましょうか」といって、少し人が少ない場所へとアルトを案内する。


「それで、アルトさんは何故ここへ?」

「人だかりに惹かれて?」


 転がっている木箱に、先に腰を下ろしたアルトへ再度挑戦したシーロは、見事にはぐらかされた。少し拗ねたような顔をして隣に座ったシーロを面白そうに見てから、アルトが、サンドイッチを一口齧る。「うまっ」と独り言を零すアルトに、はぁっと溜息を零したシーロは、もう一度、軽く頭を下げてアルトに礼を伝えると、同じように齧り付いた。


「…聞いてないのか?」


 シーロが食べ始めるのを待っていたアルトは、それを見て頷くと前を向いた。手にしたサンドに視線を向けると、問い掛けをしてからガブリと齧りつく。その言葉に「えっ」と向き直るシーロだったが、前を向いたままサンドを食べているその横顔を少しの間じぃっと見ていた。


「…そういうことですか」

「そういうことだね」


 前を向きなおしたシーロが食べる前に零した言葉に、一言返すアルト。そのまま手にしたサンドを食べ終わるまで二人は言葉を交わすことはなく、前を向いてサンドを味わうのだった。


「実は、まだ父と話できていないんです」

「…そうか」


 一つを食べ終わったアルトが、もう一つ食べようとしたところで、シーロは俯きがちに伝えると、徐に立ち上がった。


「そろそろいかないと…ごちそうさまでした」


 身体を向けて挨拶をする彼に、アルトは、ただ笑顔を返す。そのまま少しだけ視線を落ち着きなく動かしたシーロが、再びアルトを力強く見つめると勢いよく頭を深く下げた。


「父のこと、お願いしますっ」


 頭を上げたシーロは、そう言い残すと踵を返して小走りに去っていく。残されたアルトは、彼が消えた人混みのほうをじぃっと見て何かを考えていたが、まだアンチョビサンドが残っていたことを思い出すと、何事もなかったかのように朝食を再開したのだった。




「このような石を御存知ですか?」


 アルトの掌にある赤児の拳くらいの大きさの、輝きを失った暗い黄色の丸い石を見て、アダン・アクニャは目を見開いて固まっていた。


 すでに時間はだいぶ過ぎ、朝と昼の間くらいの時間になっている。あれから朝食を終えたアルトは、重い腰を上げて、アクニ造船に向かった。到着するなり、装飾の施された応接室へと案内されたアルトは、その時点でやる気を失くす。それからすぐにアダンが姿を現したのだが、今の今まで世間話もほどほどに、アダンの自慢話を聞かされていたのだった。さすがに嫌気が差してきたアルトは、見せたいものがあるといって黄色の石を取り出したのである。


「な、なぜ、それを…」


 やっと動き出したアダンは、無意識に震えた手を伸ばす。


「それ以上は、ちょっと」


 石に手が触れそうな位置まで近づいてきたところで、アルトは石を握った。


「っ!これは失礼いたしましたっ」


 アルトの手によって石の姿が見えなくなったところで、ハッと我に返ったアダンは、両膝を突いて頭を下げる。


「いやいや、土下座まではいいですから」


 両膝は床のまま、頬を引き攣らせているアルトを見上げたアダンは、しかしそのまま平伏する。


「それほど大きい黄月石をお持ちの方とは知らず、大変失礼をいたしました」


 そう言って、頭を床に擦り付けるのだった。


「とりあえず、もういいから頭をあげてください」


 それから暫くの間、押し問答が行われ、やっとアルトの対面に座ったアダンは、恐る恐るといった様子で問い掛けた。


「ファーリス様も月の御使い様を崇めておいでで?」


 しかし、アルトが答えることなく視線を向けると慌てて失礼しましたと頭を下げてから、興奮したように語りだす。


「私は月の御使い様こそが神様なのではないかと思っておるんです。月は夜毎に姿を変えて私達の前に現れる。しかし、神様というお方は姿を現してくださらない。月の御使い様を使って、神様は、人が産まれてから死ぬまでを示しているのだと言いますが、否、こうして人々に力を与えてくれる月の御使い様こそが、実は神様なのではないでしょうか」


 50を疾うに過ぎた男が、顔を少し赤らめて熱弁している。さて、どうしたものかと悩むアルトが目に入っていない彼の暴走は、まだまだ続く。


「私は、魔術ができませんでした。人より魔力を得る力が小さいと言われました。ところがっ、ところがですよ。御使い様に出会って、与えてくださいました黄月石を身に纏うことで魔術が使えるようになったんです。素晴らしいと思いませんかっ」


 前に乗り出して訴えてくるアダンに、敵意とは違った恐怖を感じたアルトは、少しだけ目付きを鋭くさせる。


「これはっ!失礼いたしました。私よりよっぽどお詳しい方に、・・・お恥ずかしい限りです」


 さすがに疲れてきたアルトが小さく息を零すだけで、今度は慌てだすアダン。


「やはり、失礼でございましたか?!」


 そう言って、床に下りようとするアダンを手で制したアルトは、無理矢理に笑顔を浮かべる。


「ところで伺いたいことがあるのですが―」

「―なんなりと」


 被せ気味に答えてくるアダンにイラッとするが、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせて必死に耐える。


「このカンタブリア伯領には、どれくらい会員がいるんでしょう?」


 その質問に、アダンは、納得したように頷く。


「そういえば、ファーリス様は最近こちらに来られたと仰っておりましたね…そうですね、私が知っている限りですが、この地ではまだ少なく100人前後くらいになるかと思われます」

「…何気に多いですね」

「いえいえ、まだまだです」


 アルトは、作り笑顔の眉や頬がピクピクと攣りそうになるのを必死に抑える。


「その方たちは、全員が石を持っているのでしょうか」


 この質問にも、納得したように頷くアダンは、少し困ったような顔をして答えた。


「それがですね、なかなか大きな黄月石をお持ちの位の高い方がこちらにはおりませんので、小さいものでも、あまりないようです。発祥の地がある南の大陸から来てくださった神父様がお持ちになられた石もあったのですが、数年前の陥落事故で損傷されたため、今は復元中と聞いております。ですから、神父様の他には、私のような布教を任されている者が数人しか…」


 そこで一旦区切ったアダンは、何かを思いついたかのように手をポンと叩くと、身を乗り出す。


「今度、こちらの神父様を御紹介いたしますので、ぜひ、お会いください。ファーリス様も招待されていると思いますが、儀式が開かれた際には、いらっしゃいますので、ぜひっ」


 そこまで嬉しそうに話していたアダンであるが、急にしょぼんと腰を下ろすと、本当に申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「しかし、おそらく集まりはできても、来年の儀式には、間に合わないだろうと神父様が仰ってっ―」


 突然、恐ろしいほどの殺気を当てられたアダンは、顔を青白くしたまま固まってしまう。少しでも動けばタダじゃ済まないと思えるほど強烈な殺気に足をガクガクと震えさせたアダンは、その殺気が消えると同時にへなへなと腰を抜かして崩れ落ちるアダン。


「申し訳ない。つい…ね」


 そういって髪をくしゃくしゃと握るアルトに、立ち上がることができないアダンは、そのまま平伏した。


「お怒りは、ご尤もでございます」


 あまりの従順ぶりに、呆れて何も言えなくなってしまう。いい加減、辟易してきたアルトは、帰ろうと立ち上がる。


「ひっ」


 いろいろなことを誤解したまま、頭を擦り付けるアダンを見下ろしたアルトは、一瞬苦い顔をしてから、さわやかな笑顔を浮かべる。


「今日は帰りますね」

「はっ、はいっ」


 そのまま、アルトが扉から出ようとするまで、顔も上げられずに平伏したままのアダンであったがー


「そうでした。頂いた木材ですが、お返ししますのでお時間ができたら引き取りにおいでください」


 振り返ったアルトのその言葉に飛び起きる。


「な、なにか、ありましたでしょうか?」

「いえ、私の頂いたものには何も?」


 愕然とするアダンを残し、にっこりとした笑みを返したアルトは、そのまま帰路についた。




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