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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第1章 はじまりの一日
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扉の攻防戦

第2話


「はぁ…」


 春先の朝早く、夜の時間に終わりを告げ、朝を迎えようと空が明るくなってきた頃、白い邸宅が建つ岬の突端で一人の青年が海を眺めている。少しくすんだ灰色の髪を風に泳がせ、徐々に眩しくなる朝の光を浴びるその姿は、まるで一枚の絵画を切り取ったかのようであった。


「……さむっ」


 寒空の下、薄手の服に軽く上着を羽織っただけの青年は、その襟元をキュッと引き寄せると、寒さから逃れるように顔を埋める。切れ長の涼しげな目を覗かせ、もぞもぞと身動ぐと、彼の目の前に白い魔術陣が一瞬だけ浮かび、陸から海へと抜ける風が彼を避け始めた。


「緊急事態だから仕方がない…っと」


 寒さから開放された彼は、ふぅっと一息吐き、上着を正すと、誰にとでもなく言い訳をする。ふと彼の背後にある白い邸宅を振り返り、何かを案ずるような表情を浮かべると、また海へと視線を戻す。朝日を受けてキラリと光る黒い瞳には、期待と不安が入り混じっていた。




「…で、おぬしはこんなところで何をしておるんじゃ」


 寄せては返す波の音を聞きながら、ぼぉっと海を眺めていたアルトは、背後から掛けられた声にパッと振返る。


「爺さっ…ファビラ様」


 経世済民の領主として他国にまで名を馳せた先代の領主ファビラ・デ・カンタブリア伯爵。貴族には珍しく、身分や種族、出自に関係なく公明正大であるうえに、滅多に笑顔を絶やすことがない温厚な人物として、息子に領主の座を譲った今でも領民から慕われている元領主であった。


「なんじゃ、爺さんでええのに…」

「いや…、ははは」


 わざとらしく拗ねて見せる老人に、アルトは、苦笑を浮かべつつ、内心で溜息を零す。


「で、何をしておるんじゃ」

「ええ…っと、まぁ、ははは」


 笑ってごまかしながら、そっと魔術を解こうとするアルトに、鋭い視線を向けていたファビラであったが、すぐに片眉を吊り上げると、ニヤリと笑った。


「どうせ、追い出されたんじゃろうて」

「ははははは…はぁ、分かっているなら聞かないでくれますか」


 がくりと肩を落とし、朝だというのに疲れきった表情を浮かべるアルトは、それを面白そうに見ているファビラへと非難するような視線を向ける。


「ところでのぉ、アルトよ………そんな恰好で、よくこの寒さに耐えられるのぉ」


 さすがじゃのぉと言って向けられた目が笑っていないことに気づき、アルトは、慌てて魔術を解こうとするのだが…


「わしは、寒いんじゃがのぉ」


 飄々と言い放つその老人に、はぁっと今度はあからさまに溜息をついてから、先程よりも大きな白い魔術陣を浮かべる。風の冷たさを感じなくなったファビラが満足そうに頷くのを見て、肩を竦めて見せたアルトは、再び海へと視線を移した。


「相変わらずじゃのぉ、おぬしの魔術は」

「………で、ファビラ様は何をしにいらっしゃったので?」


 顔を向けることなく言葉を返すアルトの態度を、別段気にする様子もないファビラ。


「こんな使い方するのは、おぬしくらいじゃろうて」

「……で、何をしにいらっしゃっー」


 振り返ったアルトの目に飛び込んできたのは、からかう様な楽しげな声音から想像するようなものとは違い、少し寂し気な表情を浮かべたファビラであった。


「はぁ…カエデ殿が産気づいたと聞いたでの、顔を出したんじゃがのぉ」


 しかし、あからさまに肩を落とすファビラの姿に、アルトは、そのまま無言で海へと視線を戻す。そんなアルトの後姿を可笑しそうに見ていたファビラは、ゆっくりと腰を下ろすと、目の前の青年と同じように海へと支援を送るのだった。




 その頃、白亜の御殿では…


「もう少しだよっ!ほれ」

「がんばってくださいっ、カエデ様」


 主治医である年嵩の治癒師だけでなく、新しい手拭いを持って来た助手の一人も手を止めてカエデに声を掛ける。


「ん~~~~~っ」


 周りで治癒師の補助をしている助手の面々も、自然と握る手に力が入る。


「ほれっ!頭が見えそ……まずいっ、抑えるのじゃ」


 ビビアナの声をまるで掻き消すかのように、キラキラと輝く透明の靄が一気に部屋を包んでいった。




「なっ…!!」


 ファビラとともに岬の突端で波の音に耳を傾けていたアルトであったが、背後から急激に膨れ上がる魔力を感じると、その方向をパッと振返る。いつも彼が寝泊りしている白い屋敷があるその場所は、彼の知らない姿へと変わりつつあった。


「なんとっ」


 アルトから少し遅れて、後ろを振返ったファビラは、キラキラと陽光を反射する薄い靄を目にして、つい驚きの声を漏らす。一般的に熟練した魔術師でなければ魔力の可視なんてことはできない。それこそ濃厚な魔力を保有する禍々しい生物から漏れ出るものですら、魔術を嗜んでいて、やっと見えるようなものである。


「アルトや…これは、ちとマズいことにー」


 切れ長の眼をこれ以上ないくらいに見開き、徐々に薄くなっていく光の靄を呆然と見つめていたアルトであったが、ファビラの声にハッと我に返ると、猛然と屋敷に向かって走り出した。


「………老人の話は最後まで聞かんかい」


 一瞬だけ緑に光る魔術陣を浮かべ走り去るアルトの背中を、呆れ混じりに見送っていたファビラは、ふと、視界に映ったぽつんと佇む人影に気づき、やれやれと首を横に振ると苦笑を浮かべる。


「とりあえず…ほっといてええぞ」


 取り残されたように佇んでいた少女に、そっと近づいたファビラは、静かに声を掛けた。突然、背後から声を掛けられたそのメイドは、飛び跳ねるように振返ると、その人物を見て、慌てて姿勢を正す。


「こ、これは…大旦那様っ」


 しかし、それを、軽く手だけで宥めるファビラ。軽く微笑んだ老人に、ぺこりと頭を下げたメイドは、その視線の先を同じように見て、独り言のように声を漏らした。


「あの…アルト様はいったい…」


 普段から温和な表情を浮かべ、どんなことでも飄々と受け流している青年の姿しか知らないそのメイドは、先程、目の当たりにした鬼気迫る表情が忘れられず、しばらく、その場に立ち尽くすのだった。


 魔力に関する専門的な教育を受けていない者は、得てして魔力を見ることができない。そもそも感知する方法ですら知らない者がほとんどである。それ故に、呼び出しに来たメイドは、この時、何故アルトがあんな表情をしていたのか分からなかったのである。




「っ!アルト様っ」

「お待ちくださいっ!!アルト様」


 勢いよく開いた扉の音に驚き、慌てて飛び出してきた執事たちは、風を纏って物凄い勢いで飛び込んできたアルトを止めようと必死に声を掛けた。別邸まで一気に走り切った勢いそのままに階段を駆け上がったアルトは、執事たちの制止する声に気づくと、さすがに走るのはまずいかと早歩きに切り替える。しかし、そこで止まることはなく、妻がいるはずの右奥にある寝室を目指して突き進むのだった。


「…これは」


 ところが、寝室が近づくにつれ、アルトの心境に変化が訪れる。寝室の扉の向こうから聞こえてくる赤児の泣き声に少しだけ冷静になった彼は、すれ違った者たちがあまり慌てておらず、彼の姿を見たときのほうがよっぽど慌てていたことに気づく。


「…ま、まぁ無事なら」


 扉の前まで辿り着いた頃には、幾分落ち着きも取り戻していた彼は、一度部屋の前で立ち止まり、呼吸を整える。同時に、寒さ対策のためにと使用した魔術によって、風を纏っていることに今更ながらに気づき、慌てて風の魔術を解くのだった。

 余りにも必死な彼の姿に声を掛けることもできず、見守ることしかできなかった執事やメイドたちからは、少しではあるが安堵の息が零れる。しかしながら、早とちりかもしれないという不安に襲われ、自分に大丈夫だと言い聞かせているアルトの思いとは裏腹に、未だ何かと戦う決意を固めているようにしか見えないその後ろ姿に、これから何がはじまることかと、再びその背中を静かに見守るのだった。




 時は少し遡り、一人のメイドがアルトを呼びに行った頃、件の室内では無事に出産が終わり、既に張り詰めていた空気は霧散していた。当事者であるアルトの妻カエデ・ファーリスだけでなく、出産に携わった者全員が安堵の表情で笑顔を浮かべ、達成感を伴う心地よい疲れを味わっていた。


「カエデ様、よくがんばっ―」


 しかし、そんな穏やかに流れていた時間が突如終わりを告げる。階下から大きな音がすると、邸宅は急に喧噪に包まれた。声を荒げている者もいることから、何者かが別邸に侵入したらしいと察した室内の全員が臨戦態勢を取る。


「…こんなときにっ」


 出産に携わることができる者というのは当たり前のように魔力の教育を受けている。しかも、魔力を行使した魔術まで嗜んでいることもある。当然ながら、この場にいる者は全員、ある程度の魔術を扱える。


「まったく…、穏やかじゃないねぇ」


 産まれたばかりの赤児を抱いた年嵩の治癒師がボソリと零した一言で先程までの空気は一転し、妙な緊張感に包まれていく。そんな中、何故か一人楽しそうに笑うカエデに誰も気づかなかった。




「…さて、どうしよう」


 扉の前で呼吸を整え、落ち着きを取り戻したアルトは、魔力を使った身体強化を解くかどうか迷っていた。すでに屋敷に飛び込んだときに、複数の魔術を行使しており、今更なのだが、事ここに至って、自身が置かれている状況が、あまりよろしくないことに気づく。というのも、複数の魔術を行使することは、敵対する意志を示すための行為でもあるため、街の中では禁止されている場所もあるほどなのである。


「……………っ!!」


 しかし、やってしまったとアルトが自省を始めたところに、じわじわと室内から魔力が膨れ上がる。ここで、普段の冷静さを完全に取り戻していたのであれば、自身の魔力に対しての警戒の可能性を十分考慮して行動したのであろうが、あまりにも岬で見た光景が印象的だった彼が起こした行動は、臨戦態勢を取るというものだった。


「………さっきとは違うな」


 落ち着いて状況を把握しているようにみえて、内心、早く中の様子を知りたいという衝動に駆られているアルトであったが、それでも、冷静にと自分に言い聞かせ、逸る気持ちを必死に抑え込んでいた。


「無事でいてくれ…」


 扉の前にいるだけでは、何も起こらないと判断したアルトは、一度、長い息を吐き、覚悟を決める。息を呑み、ゆっくりと扉の取っ手を握ると、静かに目を瞑る。

 そんなアルトの背後では、執事やメイドといった使用人たちが、汗の滲む手をぎゅっと握り締めて見守っており、邸宅は、ますます異様な空気に包まれていくのだった。





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