検証結果
第16話
「お願いしてもいいかな」
「はい」
アレクの持ってきた石に魔力を注ぎこみ黄色く輝かせると、一本の丸太を選別したアルトは、前回と同じように程よいひび割れを拡げていく。ある程度の大きさになったそこへ、今度は、黄色く輝いている石とシーロが持ってきた箱の中から一匹の白蟻を選び、一緒にポイッと中へ放り込む。あっという間に、そこまでの作業をこなしたアルトは、前回、自分でも感知できなかった強度の阻害魔術を付与してから、割れ目を塞ぐと、隣に控えていたシーロに念のため、探知をしてもらうことにした。
「準備してから行くべきだったなぁ」
シーロが探知をしている後姿を眺めていたアルトは、暫くそこでやることがなくなってしまったことに気づく。
「おぬしが食事にしようと言い出したんじゃろうて…」
ホッホッホと笑いながら、丸太に寄り掛かって暇そうに空を仰いだ青年にアレクがコップを差し出す。
軽く頭を下げて受け取ったアルトは、その香ばしい匂いに少し驚くと、すぐにズズズッと味を確認する。
「やっぱり、珈琲だ」
探知をして戻ってきたシーロにもコップを手渡していたアレクは、嬉しそうに声をあげたアルトを振り返るとニコリと笑顔を返す。床においてあった自分の分を手にして、ふぅっと短く息を吐き出したアレクは、黒い水鏡をじぃっと見つめていた。
「南から来るものは悪いものばかりじゃないのぉ」
誰にともなく零したアレクの言葉に、アルトが反応する。そのまま二人は、楽しそうに食べ物の話をしながら、ゆったりと珈琲の味を楽しむのであった。
「あの、…アルト様」
「さん…ね」
南の大陸から伝わってきた食べ物の話で盛り上がる二人を楽しそうに見ていたシーロは、会話が途切れたのを見計らって、遠慮気味に声を掛けた。
「…アルトさん、カルラは何か言ってましたか?」
恐る恐る聞いてくる少年に、アルトはニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「その前に、シーロとカルラの関係を聞いても?」
ニヤニヤと聞いてくるアルトに、顔を赤くするとワタワタと手を振るシーロ。
「いや、別にっ、何にもありませんよっ、ただの先輩後輩でっ、ただ、今回迷惑かけた、からっ」
「それで?」
アルトの追求は止まらない。「いやっ、なのでっ」と慌てる少年に、顔を緩ませていた老人が珈琲を煤って一言、しみじみと言う。
「若いってのは、いいものだのぉ」
その言葉に、アルトは腹を抱えて爆笑し、シーロは顔を真っ赤に染めて沈み込む。
「だけど、あれだ。残念ながら、何も言ってないみたいだったな。多少は思うところがあったのかもしれないけどな。自分の非力さのほうを悔しく思って、今は一から勉強をやり直すって意気込んでるみたいだったねぇ」
さすがに、そのままにしておくのはかわいそうだと思ったアルトが、一頻り笑った後に、優しい声音で聞いた話を伝える。
「…そうですか」
それだけを口にして、地面を見つめるシーロを二人の大人は優しく見つめるのだった。
しかし、そんな穏やかな時間は、唐突に丸太から聞こえた不気味な音によって終わりが告げられる。
―ミシッ
丸太へと顔を向けた三人のうち、一番早く行動に移ったのはアルトであった。
「…まさか、じゃよな」
視線を丸太へと向けたまま問い掛けるように言葉を零すアレクに、アルトはゆっくりと腕に巻きつけたままだった赤い鎖状のブレスレットを外して手渡した。
「たぶん、そのまさかです」
柄の部分だけの剣を抜いたアルトの答えに、「そうか」と小さく呟いたアレクは、座り込んだまま動けずにいるシーロを連れて入り口近くまで退避するのであった。
―バリッ…バキバキバキッ
丸太が割れる音とその大きくなった白蟻が出てくるのは、ほぼ同時であった。アルトは握った柄に魔力を籠める。一瞬だけ赤い魔術陣が浮かび上がると、その先に炎の刀身が現れる。
「…すごい」
「ここで見たことは他言無用じゃぞ」
シーロは、今目の前で起こっていることを夢のように眺めていた。しかし、思わず零した言葉に返ってきた、今まで聞いたこともない凄みのある声に現実に引き戻されると、慌てて首を縦に振った。もちろん、前を向いたままのアレクには見えないのであるが―。
—グギ…ギギギ
「………」
白い身体を震わせ、赤い眼を向けたまま頑丈そうな顎をギリギリと動かすその生き物を前に、微動だにしないアルト。本当に見えているかも怪しいその眼が、フッと横に向く。その瞬間、一踏みで白蟻の目前まで詰め寄ったアルトは、炎の剣を振り下ろす。声を出す間もなく、横を向いたまま真っ二つになった蟻と丸太の断面がゴゥッと燃える。
「あっ…やば」
慌てて刀身を消したアルトは、ブツブツと何か唱えると青い魔術陣を呼び出し、消火活動を始めるのだった。
「この短時間であれほど成長するんじゃな…」
「石が大きかったんですかね…、あとは密閉度とか個体の才能とか、それに乾燥させてない丸太ですからね、水分も多かったでしょうし」
言葉を掛けるのとともに赤いブレスレットを差し出したアレクに、軽く礼を言って受け取ったアルトは、それを腕に巻きつける。
「アンティオまで成長してたっぽいですし…、それに阻害魔術も強度を高めにしてましたからね」
手を動かしながら何の気もなしに言うアルトであったが、残された二人は驚きっぱなしであった。
「まぁ、ある程度の探索者なら問題ない強さですけどね」
左腕に付けたブレスレットの感触を確認して、笑顔を見せたアルトの軽い調子に、口を開きっぱなしのシーロの横で、アレクは頭を振って諦め半分に平静を取り戻す。さすが、付き合いの長さは伊達じゃない。
「じゃが、これで結果が出てしまった…な」
「可能性という意味では…ですけど」
渋い顔でそう呟いたアレクに、真剣な眼差しで返したアルトと、その現実を目の当たりにし、悲しそうに俯くシーロは、暫くの間、その丸太の側を離れることができなかった。
「あ~、やっぱり珈琲は落ち着きますね」
実験が終わり、いろいろな事実を知ってしまって気落ちしたシーロを今は考えすぎるなと送り出した後、二人はアレクの研究室でまったりとした時間を過ごしていた。
「そういえば、月の御使い様を愛でる会…じゃったかのぉ」
「敬う会ですよね…最近では、黄月教と呼ばれるほうが多いみたいですね」
小歩危を挟むアレクに苦笑すると、アルトは信者ではない者たちが言い出して、広まりを見せている呼称を教える。
「…黄月教を恨んでおるんか?」
「ん~、どうですかね、…まぁ、でも、何かしら思うところはありますね」
心配そうに聞いてくるアレクに、苦笑したままアルトが答える。
「そうじゃろうのぉ」
少し悲しそうな表情を浮かべたアレクに、小さく息を零したアルトは、優しい笑顔を作って見せた。
「なんですかねぇ、それでも…なんていうか、神様やそういうものに縋る気持ちも分からなくはないんですよ」
アレクが、ただ横で頷いている。
「俺も、お腹壊したときなんか、もう悪いことしないから神様許して~なんて願いますから」
「それは、わしも思い当たるのぉ」
そんな他愛もない冗談に笑いあう二人。
「そんな些細なことではなくて、もっと辛いことがあれば、…アダンとかもそうなんだろうと思いますけど、まぁ縋る気持ちは分からなくはないです」
笑顔を浮かべたまま語るアルトに、アレクはうんうんと首を縦に振る。
「…でも、それで人を傷つけたら、それは違うんじゃないかなと」
そう言ってアルトは、窓の外へと視線を向ける。
「霊人族だけが救われるのもおかしいし、布教のために誰かを傷つけるのもおかしいし、神を信じないから殺すのもおかしいし…それが宗教だというなら、それは神様とは違うものなんじゃないかと思うんですよ」
「サーベンダのルコンキシュタも…じゃな」
窓の外を見つめるアルトは、振り向くことなく頷くと、そのまま空へ視線を移す。
「何って言っていいか分からないんですけど…本当に神様っていう存在がいるのであれば、他人の幸せを犠牲にした幸せを本当に望むのかなって思うんです」
そう言っては、アレクに視線を戻したアルトは、少年のように笑う。
「まぁ、でも、俺は、そんな幸せを望む神様なんて信じちゃいないんですけどね」
「ほぉ」
相槌を打って、アレクが興味深そうな視線を送る。
「だって、食料にしている牛や豚、魔獣とかにも幸せってものがあって、それを食料にしなくちゃいけないなら、そんな神様がいたら困りますからね」
肩を竦めるアルトに、アレクが「まぁのぉ」と楽しそうに言葉を返す。
「自分の周りにいてくれる人たちの幸せを願うちっぽけな俺としては、それを守るために戦わなくちゃいけないわけで、長い間大切に扱われたものに神様が宿るくらいのことしか信じられないんですよねぇ」
また空へと視線を戻した青年に、立派になったものだと老人は思うのだった。
—生命を育む大樹を崇める森人族
—自然が創りし大地に感謝を捧げる土人族
—空気を温め風を生み出す太陽を敬う風人族
—火を恐れ、憧れを抱く獣人族
この大陸に伝わる自然と共に生き、自然を守ってきた種族のことを思い浮かべるアルトの鼻腔を香ばしい匂いがくすぐる。ふと振り返ると、新しく入れなおした珈琲を片手に掲げるアレクの笑顔が目に入った。
「おぬし、直接、話に行くつもりじゃな」
「……はい」
アルトにコップを手渡したアレクは、静かに問い掛けた。返事を待ってから、さらにアレクは次の質問をする。
「一人で行くのかの」
「…はい」
手に持ったコップの中の珈琲を見つめたまま返事をする青年に、アレクがフッと顔を綻ばす。
「それなら安心じゃな」
そしてその老人は、ハッとして顔を上げたアルトへ優しく語り掛ける。
「お主一人ならば、無茶はせんだろうての…安心じゃ」
「…ありがとうございます」
アルトは、必死に胸に込み上げるものを押さえ込んでいた。老人のその優しい不意打ちは、彼の中の迷いをそっと綺麗に流していった。




