石
第15話
「本当に、用意したのか…あの爺さんは」
その言葉とともにアルトが力なく膝から崩れ落ちる。
朝から春の日差しに恵まれた週末の休前日、休暇期間中であるカンタブリア学院の第一実験場は、今日も一日貸切となっていた。
「今、砂抜きをしておるんじゃ」
実験場に入ってすぐ、扉の傍らに置いてある木桶を前に項垂れた青年の背中に、この学院の教諭であるアレクが浮き浮きとした様子で話し掛ける。
「…見れば分かります」
間を置いて返ってきた声音は、朝から疲れきったものを感じさせる。開いた扉の前で、そんな二人を見ていた少年は、困ったような楽しそうなどちらとも言えない複雑な笑顔を浮かべていた。
「…あの、おはようございます」
先日のこともあり、少し遠慮気味にシーロが挨拶をする。
「おはようっ」
「……おはよう」
にっこり笑う好々爺然とした教諭からは溌剌な挨拶が、両手両膝を突き生気を失った顔だけを少年に向けた青年からは覇気のない挨拶が返ってくる。
「…はは、ははは」
なんかいろいろと悩んでいた自分がバカみたいに思えて仕方のないシーロは、乾いた笑い声をあげると、はぁっと朝から深い溜息を吐いていた。
「さて、はじめようかのぉ」
アルトが立ち直るのを待ってから、三人は先日の続きに取り掛かる。アルトが検証に使う丸太を選別している間に、今日はシーロが、物置から白蟻がびっしり詰まった木箱を運んでいた。
「今日は、これを使ってみようと思うんじゃが…どうじゃ?」
少し離れた場所で何やらゴソゴソとしていたアレクは、明らかに魔術が施された小さな布袋を片手に掲げる。
「…まさか」
その呟きを拾ったアレクがニヤリと笑う。シーロに近くまで来るように手招きをすると、袋の口を開けて逆さにして、手のひらへと中身を落とす。
「それはっ!!」
目を見開き驚愕の表情を浮かべたのは、ある程度の覚悟と予想ができていたアルトではなく、シーロであった。
「知っているのかっ?!」
「知っておるんかっ?!」
まさかシーロが知っているとも思っていなかった二人が、そのことに驚き、見事にハモっていることに目を向けることなく、アレクの手に乗る彼の親指の先ほどの大きさをした綺麗な丸い石をアワアワと指差すシーロ。
「これは、いかんっ!」
その様子にアレクは慌てて布袋に石を仕舞うと、そのアレクを一瞬睨みつけたアルトはゆっくりとシーロを座らせるのだった。
「少しは落ち着いたかな?」
横に座ったアルトが心配そうに、未だふぅふぅと深い呼吸を繰り返すシーロへ声を掛ける。背の低いアレクは、立ったまま申し訳なさそうに様子を伺っていた。
「…は、はい、なんとか?」
「聞かれても困るんだけど…」
そう言って灰色の髪をくしゃくしゃと握るアルトに、シーロが笑顔を向ける。
「もう、だいじょうぶそうじゃな」
アレクは、二人の様子にホッと息を吐くと、頭を下げた。
「すまんかった」
「っ!やめてくださいっ!!」
すぐに止めようと、慌てて立ち上がるシーロの横で、はぁっと溜息を吐いたアルトは、そっと隣に立つと軽く少年の肩を叩いた。
「まぁ、悪戯爺さんにも少しは反省が必要ってことだ」
「…アルトの言う通りじゃな」
何も言えなくなってしまったシーロは、二人を交互に見ると、小さく息を零し、アレクに向き直る。
「もう十分ですから、やめてください」
頭を下げるシーロに、今度は二人が顔を見合わせ苦笑するのだった。
「さて、何で知っているのか話してもらえるのかな?」
休暇期間中の学院、しかも分厚い壁に守られた実験場の中は静まり返っていた。もう一度、お互いに頭を下げあってから、暫く三人は無言で座っていたのであるが、沈黙を破るようにアルトが切り出した。
「…はい。でも、できれば内密にお願い―」
シーロが最後まで言い切る前に、アルトは白い魔術陣を浮かび上がらせると、すぐに行使する。
「これで外に漏れることはないから安心して話していい」
詠唱もなく行使された魔術に口を開けて呆然としていたシーロは、言葉とともに穏やかな笑顔を向けられるとハッとして、恥ずかしそうに下を向く。それから深くゆっくりと息を吸い込むと、ふぅぅっと長い息を吐いた。
「まず、確認させていただきたいのですが、…それは黄月石と呼ばれている石でよろしいですか?」
顔を上げたシーロの真っ直ぐな視線を受け止めたアレクが、「うむ」と頷く。
「先生がお持ちの物ほど大きくないですが、…父がそれを嬉しそうに眺めているのを見たことがあります」
アルトが小さく頷くのを視線だけ動かして確認したアレクは、再び真剣な眼差しをシーロへと向けると目だけで先を促した。
「父は、元々魔術が苦手だと言ってました。魔力に交換する能力が低く、造船で使うような魔術ができなくて悔しい思いをしたと、小さい頃よく話してくれました」
いきなり思い出話が始まったことに困惑するアルトであったが、アレクが何も言わないのとシーロが真剣な表情で語るのを見て、最後まで聞き役に徹しようと思うのだった。
「だから、ちゃんと才能のあるお前は魔術も鍛えなさいと言ってくれて、こうして学院にも通わせて貰ってます」
少しだけ力ない笑みを浮かべたシーロは、そこから遠くを見つめ、何かを思い出すように語り始める。
「祖父も周りの職人たちも、そんな父を支えよう決めていて何も言いませんでした。でも、今思えば、父にはいつも劣等感のようなものが燻っていたのかなと、…いつも僕に、『魔術がなくても工夫さえすれば成功できるんだ』と言っていました」
そこで悲しそうな表情をしたシーロだったが、間を置いた彼は、張り詰めたような真剣な顔をした。
「そんな父が、数年前に起きたあの大きな崩落事故が起こる少し前、僕に嬉しそうに言ったんです」
ゴクリと喉を鳴らすシーロの緊張感が、二人にも伝わってくる。
「『魔素の濃度が高いところであれば、私も魔術が使えるようになるんだ』…と」
実験場のヒンヤリとした空気の中にいるにもかかわらず、嫌な汗が流れる。
「『だから私は、月の御使い様に願いを託す』といって、大事そうに小さな石の入った袋を抱えていました」
さすがに驚きを隠せずに目を見開く二人の視線にヒッと小さく声を漏らしたシーロが後ろへ姿勢を崩す。
「すまん、驚かせた」
「ごめん…な」
すぐにいつもの表情に戻った二人から謝罪を受けたシーロは、慌てて姿勢を戻すと「こちらこそごめんなさい」と謝ってから、悲しそうな笑顔を浮かべた。
「それからすぐに祖父が亡くなって、父は変わってしまった…」
「「…」」
「黄月石を眺めているのを見ることが増えたのも、その頃からですね」
無理に作っているのが分かるくらいの笑みを浮かべるシーロが、二人には余りにも気の毒に見え、言葉を失ってしまう。たははと笑う少年が、どれほど辛かったのか、どうにか救ってやりたいと思う二人であった。
「しかしのぉ、これがないと本番にはならんからのぉ」
布袋に視線を向けたアレクが弱弱しく呟く。
「まぁ、魔道具をすっ飛ばして本命を持ってくるあたりが先生らしいですが…」
「なんじゃ、わしのせいなのか」
小競り合いを始める二人を見ても、力なく微笑んでいるだけのシーロに、思わずアレクが肩を落とす。一方、そんなシーロの姿に思うところがあるのか、アルトはじぃっと彼を見つめていた。
「さて、どうしたもんかのぉ」
つい、そんな言葉を零したアレクは、何か考え込むアルトに視線を送る。シーロから視線を外し、何かブツブツと独り言を呟いていたアルトは、一度、顔を上げた。
「「………」」
アレクとシーロが注目する中、暫く視線を宙へ泳がせたアルトは、何かを思いついたように二人の顔を順に見て、フッと笑う。
「ま、何にせよ、ご飯にしません?」
余りにもアルトの軽い口調に、身構えていた二人は、前のめりに崩れ落ちるのだった。
「…美味いですか?」
食堂へ移動すると、当たり前のように厨房に入ったアルトは、調理師たちが見守る中、老師から受け取った材料を使って、ここへきて三品目となる料理を作るのだった。一度も、この食堂で食べることがなかった意趣返しに、提供するのは、またもやパスタである。
「チッ」
しかし、脇目も降らず目の前で美味しそうに食べる老人に失敗したことを悟ると、舌打ちと共に呆れたような視線を送っていた。明らかに怯えているシーロには伝わっているにも関わらず、我関せずを貫く隣に座る老人に、さすがにイラッとした彼は、隠し持っていた鷹の爪をポイッと向かいの皿へ投げ込んだ。
「……………っ!!」
食事に夢中で気づかなかったアレクは、投げ込まれた鷹の爪ごとパスタを口に運ぶと、数秒後、あまりの辛さに悶絶し始める。それをケラケラ笑うアルトの姿は、もちろん遠巻きに様子を伺っている学生達に見られており、今日もまたネタを提供していることに本人は気づいていなかった。
「あ、またいる」
「今日も三人だね」
日に日に人数が増えている女子学生からは、「お茶目なイケメンさんは、パスタだけでアレク師を篭絡している」と黄色い悲鳴があがり、昨日は見かけなかった男子学生は「食堂で注文をさせず、パスタしか食わせないうえに鷹の爪を投下するという鬼畜な男がアレク師を泣かせている」と食堂の隅で震えていた。休暇明けにいろいろと聞かれるんだろうなぁと、シーロはただ一人憂鬱になっていくのだった。
「少しは気分転換になったかな」
顔を上げたシーロの視線がアルトのそれとぶつかる。ニコリと笑うアルトに、なんだか考えるのが馬鹿らしくなってきたシーロは、吹っ切れたような笑顔を浮かべるのだった。
※アルトと調理師 完
「どうぞ」
「…ありがとうございます」
― レシピ(パスタ)
1.乾燥パスタを茹でる。
2.フライパンで、オリーブオイルと鷹の爪、微塵切りにしたニンニクを弱火で炒める。
3.香ばしい匂いがしてきたらアサリとシェリー酒(白ワイン)を加える。
4.お酒の匂いが飛んだら火を止めて、パスタの茹で汁を加えて、もう一度火にかける。
5.とろとろになったら火を止めて茹でたパスタを加えて混ぜ合わせる。
6. お皿に盛ったら少しだけオリーブオイルをかけて出来上がり。
―
「今回は何も落ち度がないはずっ」
「あのぉ…」
「あ…はい」
「一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「あれ?」
「前々から気になっていたんですけど…分量は?」
(偽)次回「失敗作は、スタッフがおいしく頂きました」
「いつも何となく?」
「…」
「男の料理に決まった分量などない!」




