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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
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教え子

第14話


「…美味いですか?」


 「キリが良いから早いけど昼飯にしよう」とアレクが言い出したため、アルトとシーロを含めた三人はカンタブリア学院の食堂へと場所を移動していた。


「おい、あれ…」

「…今日は一人増えてないか?」


先週と同じように、青年からジト目を向けられながら、研究室持ちの教諭が嬉しそうにパスタを頬張る姿という目撃情報が、学生たちに拡がっていく。しかも、今日は、そこに学院の生徒まで加わっているのだ。


「…な、なんか変な視線を感じるのですが」

「あ~、気のせいだ」



シーロが不安そうにキョロキョロと食堂を見渡すと、さっと視線を逸らす学生たち。アルトはというと、もう相手にしていない様子であった。

 実際、一日だけの珍事であれば例の噂は、そこまで広まることはなかったはずであった。現に、この時もまだ一部の生徒しか知らないことであったのだ。しかし、二週連続で教諭と青年を見てしまった学生たちによって、この日を境に例の噂が爆発的に広がることとなる。


「あの人、前も料理していなかった?」

「餌付け?餌付けなのかしらっ」


特に女子学生から見れば、食堂が開いて厨房には調理師がいるにもかかわらず、わざわざ青年が料理をしている姿は新鮮だった。しかも、どういったわけか調理師たちまでが遠慮気味なのである。これには前回、調理を見ていた調理師たちが、もう一度アルトが作るところを見たいと思って譲っただけという理由があるのだが、そんなことが学生に分かるはずもない。


「でも、一人増えてるわよ」

「あれって…アクニの…」

「あっ!!」


そのうえ今回は、休暇明けには最終学年となる少年が加わったことで信憑性が増してしまったのである。女子学生からしてみれば「イケメンに餌付けされたアレク師が、今度は同志を集め始めた」なんてことになるのだ。ちなみに、男子学生はというと、厨房に入っていく見るからに不機嫌なオーラを纏った青年の姿を見て、戦々恐々と早々に食堂の隅っこへ退散している。そうして、あることないこと盛り込まれたその噂は、この場にいた少年を否応なく巻き込んでいくのであるが―閑話休題。


「先週も作りましたよね?」

「ひは、はっへほへ―」

「食べ終わってから聞くことにします」


 見覚えのある同じ展開にアルトが頭を抱える。恐縮しつつ自分にも用意された食事に手をつけながら、シーロはアルトの様子を窺っていた。


「…口に合わなかったかな?」


 視線に気づいたアルトが、横に座る少年へと声を掛ける。少し睨むような視線が向けられ、あまり食べていなかったことに気づいたシーロは慌てて否定する。


「い、いえっ、すごいおいしいです」


 冗談のつもりが、本気で受け取られ少し気まずくなったアルトは、髪の毛をくしゃっと握ると、穏やかな笑みを浮かべた。


「何か聞きたいことでも?」


 からかわれただけだと気づいたシーロがホッと息を零す。一つ頷いた彼は、身体ごとアルトへと向き直ると、キュッと唇を引き締める。しかし、後一歩踏み出せないのか、そのままモゴモゴしてしまう。アルトは笑みを浮かべたまま、そんな少年をじぃっと見つめたまま、待つのだった。


「あ、あのっ、…ファーリス様は、あのファーリス様で?」


 辛うじて聞き取れるくらいの小さな声でやっと紡ぎだされたその質問にアルトは噴き出した。


「ぷっ、ははははは」


 腹を抱えて笑い転げるアルトに、慌てるシーロ。


「いやっ、あのっ、ごめんなさい」


 突然、頭を下げた少年に、ひぃひぃと呼吸を整えたアルトは目元を拭うと、最後に落ち着かせるようにふぅっと長い息を吐く。


「こちらこそ、急に笑ったりしてごめん」


 アルトが頭を下げたことで、また慌てているシーロをさすがに見るに見かねた老人が助け舟を出した。


「これっ、いい加減にせんか」


 つい口を挟んだアレクであったが、しかし、すぐに後悔する。


「食べ終わりましたね」


 口元を拭うアレクの手が止まる。ゆっくりと向けられる視線に嫌な汗が滲み出す。


「正座か、鷹の爪丸ごとか、お好きなほうをどうぞ」


 有無を言わさぬその声音に、アレクは、飛び上がるように椅子の上に正座をした。


「…鷹の爪ってなんですか?」


 聞きなれない単語と即正座を選んだアレクの様子に、シーロが首を傾げる。


「あぁ、…最近ここら辺でも収穫されるようになったこの赤いヤツ」


 そう言って皿から赤い輪の食べ物を見せる。自分の皿にも入っているのを発見したシーロは、一つ口に放り込んで少しの間味わっていたが、急に慌てたように水を求めるのだった。


「これだけだと、辛い、ですね」


 涙目で味を伝えるシーロに笑顔を浮かべたアルト。


「…で、どのファーリスだっけ?」

「……なんでもないです」


 笑顔であるのに何か凄みを感じるアルトに優しく聞かれたシーロは、もう既になけなしの勇気を使い果たしており、顔を青白くすると、もくもくと目の前の料理を平らげるのだった。


「まったく、酷い目に遭わされたわい」


 結局、全員の食事が終わるまで正座をさせられたアレクは、痺れる足を引き摺り、恨みがましそうな視線をアルトの背中へと向ける。


「…自業自得でしょうに」


 後ろに少しだけ視線を送ったアルトは、歩く速度を変えぬまま、言葉を返す。


「先生、だいじょうぶですか」


 隣で心配そうに声を掛けるシーロに、アレクは顔を綻ばすと、わざわざ前を歩くアルトに向かって言うのだった。


「シーロは良い子じゃのぉ」


 この光景が男子学生に目撃され、噂に拍車を掛ける事になっていようとは当事者たちは、もちろん知らないことであった。




「…これも分かりました」


 実験場に戻ってきた三人は、すぐに作業を開始する。さっそくシーロに実技訓練という名目で感知の魔術を掛けさせると、あっという間に阻害魔術の強度が低いほうから既に4本が感知され、少し時間は掛かったが、今また5本目が追加となったところだった。


「もう半分か」


 アルトは、結果が出た丸太に手を当てて自分でも確認する。砂山の上へと運んだ丸太から少し距離を取ると、代わりにアレクが砂山に近づいて魔術陣を浮かび上がらせる。蟻がいるであろう箇所の両側から切断された丸太をシーロが運び、その間にアルトは残った丸太に綺麗に穴を開けると、動きを鈍らせた蟻を取り出し箱へと戻す。


「一旦、休憩にしようかのぉ」


 流れるように作業が行われているとはいえ、やはりそこそこの時間が経過していた。ほとんど休む暇もなく、感知の魔術を連続で使い続けていたシーロは、その言葉にへなへなと床に座り込む。


「上出来、上出来」


 労うように金髪をくしゃくしゃと撫でると隣に座るアルト。差し出された水の入った木のコップを受け取ると、軽く頭を下げてシーロは項垂れる。


「…まだまだです」

「ま、それは当たり前…だろ?」


 すぐに返ってきた言葉に、顔を上げる。この領都で知らない者はいないほどの資産家となった父親の影響からか、彼の周りの人間は、大抵違う言葉を返す。


「そんなことない…とでも言って欲しかったかな?」

「あ、…いえ」


 いつもの言葉―。相槌程度にしか聞こえないその聞き慣れた言葉に、始めのうちは嬉しかったシーロも今までは、何の感情も抱かなくなった。だから、彼は自分に自信を持てない。事実、学院での成績は上から三番以内に常に入るくらい優秀ではあるのだが、それすらも全て気を遣われている様にしか感じなかったのだ。


「何を考えてるか知らないけれど、君の今の力ならそう言われても全然変なんかじゃないよ」


 前を向いたまま、そう語るアルトの言葉にシーロは何か硬いもので後頭部を殴られたような錯覚を受ける。


「そう言ってもらえることに感謝できなくなったら、それはそれで自惚れだ」


 遠くを見つめるアルトの横顔は、少し悲しそうで―


「自分が上を目指している時に、そう言ってくれる人が側にいることは、なかなか気づけないけど、きっととても幸せなことなんだよ」


 しかし、シーロへ向けた笑顔は、いつものアルトに戻っていた。


「まぁ、でも、上には上がいるってことで…」


 そう言って、実験場では輝きを失っている金色の髪をくしゃくしゃと乱暴に撫でるとアルトは、立ち上がる。


「俺が、自分のことをまだまだって言ったら、さて君はなんて言うかな?」


 窓から漏れた陽の光を後ろから受けるアルトを見上げていたシーロの笑顔は、少年のようにキラキラと輝いていた。


「そろそろ再開しようかのぉ」


 少し離れたところから、その光景を微笑ましく見ていたアレクが声を掛ける。


「はいっ」


 何か吹っ切れたようなシーロの元気な声が実験場に響くのだった。




「予想どおりではあるんじゃがなぁ」


 その後、再開された検証作業も順調に進み、日が傾く頃には10本全ての検証が終わった。魔術感知は休憩を挟んだ後もシーロが担当していたが、感知できたのは7本目までだった。9本目に至ってはアルトが何となく分かる程度であり、10本目は全く感知できなかった。しかし、阻害魔術の強度が強くなるにつれ、魔素の供給が断たれてしまった蟻は、全くといっていいほど動いていなかった。


「…そうなんですけどねぇ」


 予想通りとはいえ、アルトとアレクの二人は、なんだかすっきりしていなかった。結論としては、阻害魔術が弱かった2本目までは、魔術が掛かっている部分を通り越す勢いで材木を食べていたことからも、阻害魔術が弱ければ早い段階で気づくことができるはずであり、強ければ食い破るほど外に出てくるまでの成長は見込めないということになるのだが…。


「7本目と8本目あたりの強度で魔術の範囲を拡げて見ますか」


 アルトは、この検証で推察が覆ることを望んでいた。その気持ちが痛いほど分かるアレクもまた腕を組んで何か考えつつも、言葉を零す。


「その強さじゃ、どの道成長まで時間が掛かるじゃろうて」


 そう言って残念そうな表情を浮かべる。シーロは、そんな二人の様子を大人しく窺っている。薄々感づいていたのだが、事ここに至って自分が関係していることが否が応にも分かってしまい、何も言えなくなっていた。


「どうしましょうかねぇ」

「そうじゃのぉ、気になることもあるし、明日だと間に合わんか…、明後日でええかのぉ」


 赤くなり始めた窓の外へ視線を向けたアレクに釣られる様にアルトもまた窓へと顔を向ける。


「今度は作りませんからね」

「厨房の連中に言わんか」


 窓の外を眺めながら会話が進む。


「それをなんとかするのが先生でしょうに…」

「わしもできたら、おぬしの料理が食べたいしのぉ」

「ほっほぉ」


 窓から視線を外し、剣呑な眼差しを送るアルト。


「わしが何か食材を提供するってことでどうじゃ?」


 そんなことは気にもせず、良いことを思いついたとアレクが得意気な表情を浮かべて振り向いた。


「…結局作ることに変わりないじゃないですか」

「どうせまた用がなければ顔出さないじゃろ?」


 わざとらしく悲しげに顔を曇らせ、じーっと見つめてくるアレクにアルトが溜息を一つ零す。


「また簡単なものしか作りませんよ」


 渋々であるが了承を得たことにアレクは満足げに頷いている。二人がそんな掛け合いをしている間も、笑いもせずに下を向いて苦悶の表情を浮かべていたシーロが、グッと顔を上げた。


「あのっ、父は…」

「ん~、この検証を続けていけば、いずれ分かるんじゃないかな」


 悔しそうに拳を握り締めた少年に、何かを考えるような顔でアルトは淡々と伝える。


「ファーリ―」

「それだけどっ、アルトでいいよ。ここまで一緒にやってきた実験仲間だし、先生のせいで、なんか素の部分結構見られちゃったし…ね」

「…わしは何もしとらん」


 泣きそうな顔で何か言おうとしたシーロの呼び掛けを途中で止めて、面倒くさそうに苦笑するアルトの言い草にアレクが拗ねたように一言零す。


「アルト様、あのっ…リバネ造船は、カルラはどうしているか知っていますか?」

「あ~、なんか大変だったらしいけど、大丈夫だったみたいだから、心配しないでも平気だよ」

「そうでしたか…よかった…それでっ」


 ホッと安堵の息を零したシーロは、まだ何かを言い募ろうとしたが、優しく微笑むアルトに言葉を呑む。


「続きはまた今度にしようか」


 静かに頷く少年の頭を撫でるアルトであった。






※続 アルトと調理師


「はい…これ」

「また…ですか」

「またですよ」


― レシピ(パスタ)

1.乾燥パスタを茹でる。

2.フライパンで、オリーブオイルと鷹の爪、微塵切りにしたニンニクを弱火で炒める。

3.香ばしい匂いがしてきたら火を止めて、茹でたパスタと、オリーブオイル、パスタの茹で汁を少し加えて混ぜ合わせる。

4. お皿に盛ったらポルクの生ハムを乗せて出来上がり。


「あの…一つ伺っても―」

「今回は、そんなに費用いらないはずですよ」

「…そうですね」

「?」

「ポルクって、魔獣ですよね?」

「あっ…」


(偽)次回「戦う調理師」


「…行けないこともないか」




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