検証準備
第13話
「………」
「どうじゃ」
翌朝、約束通り朝からカンタブリア学院へと訪れたアルトは、着いて早々に第一実験場へと案内されていた。休暇期間中であるにも関わらず、この日、カンタブリア学院の第一実験場は、朝から貸切となっており、アルトの目の前には、誇らしげにドヤ顔を決める一人の老師が立っていた。
「では、準備しましょうか」
「…つれないのぉ」
肩を落とす老師を余所に、左腕に巻き付けた鎖状の赤いブレスレットを外したアルトは、すぅっと息を吸い込んだ。
「久しぶりの感覚だ」
魔力が身体に満ちていくの感じた彼は、嬉しそうに顔を綻ばせると、グッと拳を握った。
「さて、はじめるかのぉ」
「お願いしますっ」
「とは言っても、まずは準備せんとな」
まるで、学生時代に戻ったかのようなアルトの姿に、ついアレクは笑みを零すと、実験場に隣接された物置へと姿を消す。
「…ですよねぇ」
凛とした雰囲気を纏っていたアルトであったが、姿を隠してしまうほどの大きい木箱を抱えるアレクが再び姿を現すと、力なく肩を落とした。
「まぁの」
渋い顔を浮かべるアレクはアルトに同意するが、ドスンと木箱を床に下ろすと、顎を動かすだけで蓋を開けるように促した。渋々といった様子で蓋を開けたアルトの目に、内側が鉄板で補強された箱の中で、所狭しと親指大の白い蟻たちが蠢く姿が映り込む。
「…とりあえず、眠ってもらいましょうか」
掲げた両手に大きな青い魔術陣が浮かび上がらせる。魔術が行使されていないため空中に描かれたままの魔術陣に、白く輝く魔術陣が重なり溶け込んでいく。淡い青白いものへと変化していく魔術陣の色は、ところどころにあった濃淡が徐々に混じり合い、すぐに均等な一つの色になる。
「…眠るとは言わんじゃろう」
アレクがボソリと呟いたその瞬間、浮かんでいた魔術陣は淡い青白い光を放って霧散する。その代わりに魔術陣が消えた場所から噴き出してきた凍えるような冷気が、箱の中の蟻たちを、みるみるうちに静かにさせていくのだった。
「相変わらず職人が見たら激怒しそうな魔術じゃのぉ」
アレクの小言を無視したアルトは、蟻が入った箱を持つと、無造作に転がっているほぼ切り倒したままの丸太へと近寄っていく。さっと眺めて程よいひび割れを見つけたアルトは、魔術を当ててそのひびを拡げると、箱の中から動きの鈍くなった蟻を放り込む。
「…おぬしのほうがよっぽど恐ろしいのぉ」
淡々と作業をこなしていくその姿に、アレクが呆れたように呟きを零す。目の前では、蟻を放り込んだひび割れへと探知を阻害するための魔術を付与したアルトが、今度は丸太へ左手を掲げて表面を覆うように緑の魔術陣を展開すると、元々そんなひび割れがなかったかのように、その隙間を消していくのだった。
「とりあえず、こんなもんですかね」
あっという間に、強度の違う阻害魔術を施した丸太が10本出来上がってしまった光景に、茫然と口を開けていたアレクであったが、アルトに声を掛けられ我に返ると、はぁっと溜息を零す。
「おぬしのすることに、いちいち驚いていても仕方のないことじゃの」
やれやれと何かを諦めたかのように首を振ったアレクは、一本の丸太の片方を用意していた台座へと固定する。積まれていた土嚢の一つを手にしたアルトは、そんなアレクの言葉を気にも留めずに、丸太の固定されていない地面と接地している側へドサドサと土を被せていった。
「先生も大概ですからね」
土に薄らと同じ色の魔術陣が広がるその光景にアルトが呟く。薄い刃のような土の塊が丸太を通り抜けると同時に魔術陣が消え、バサッと散らばった。
「解除に失敗したらどうするんじゃ。変なことを言わんでくれ」
しかし、振り返ったアレクのどこか嬉しそうな表情に、アルトも笑みを返すのだった。
―………ゴン
そんな作業を繰り返し、ついに最後の丸太の加工へ入ったところで、実験場の扉を叩かれたような音がアルトの耳に届く。気のせいかと思いつつも、扉へ目を向けると―
―ゴンゴンゴン
再度、重厚な扉を叩く音が聞こえてくるのだった。アルトは思わず、アレクへと視線を向ける。
「やっと来おったか」
最後の加工を終えてからアレクは顔を上げると、そんなセリフを言い残し、扉へと向かっていった。
―ガラガラガラ
重そうな扉の音が実験場に鳴り響くと、少年の姿が目に入る。アレクと二言三言交わしてから実験場へと足を踏み入れると、扉を閉めてから、アレクの後ろを付かず離れず付いていく。
「助手を呼んでおったんじゃ」
「…はぁ」
アルトが待つ丸太の前まで戻ってきたアレクは、しれっと告げる。その後ろでは、上側面だけ綺麗な断面をした太い丸太が転がる光景を目にした少年が、驚愕の表情を浮かべて固まっていた。
「ほれ、名乗らんか」
後ろを振り返り、微動だにしない少年を、アレクが横に並ばせる。仄暗いこんな場所でも明るく見える茶色い髪は、外にでれば間違いなく金髪なんだろうと何となしに思いつつ、アルトが、緊張で硬くなっている少年の青紫の瞳を覗き込んだ。
「…シーロ・アクニャです」
直角に腰を折り、頭を下げた少年の後頭部を見つめたまま、驚き固まるアルトに、悪戯が成功したような笑いを送るアレク。
「わしの教え子なんじゃ」
「そう…ですか」
顔だけはにこやかに、しかし、穏やかな表情とは裏腹に、老師を見つめる冷たそうな黒眼が鋭くなっていく。
「あ…いや、あの…じゃな」
後ずさりを始めた自分の師ともいうべき小柄な老人に気づいた少年が顔を上げる。
「ひっ」
同時に殺気の籠もった黒眼が少年に向く。思わず声をあげてしまった少年に視線を送っていたアルトは、灰色の髪をくしゃくしゃっと握ると、はぁっと小さく溜息を零す。
「アルト・ファーリスです」
軽く頭を下げて名を告げた青年に、ホッと安堵の息を吐いた二人は…。
「説明はしてもらえるんでしょうね?」
「「ひぃ」」
再び剣呑な輝きを宿す黒い瞳に恐れ戦くのであった。
時は少し遡り、昨日の夕刻。アルトがカンタブリア学院を去った後、アレクはシーロから相談を受けていた。
「…木喰いが大量に…のぉ」
「………はい」
項垂れる教え子を前に、何とも言えない表情を浮かべるアレク。
「しかも、楢材が使い物にならないくらいの火力が必要になる木喰い…のぉ」
「…」
少し前まで似たような話を聞いていたアレクは、なんて答えていいか分からず、そのまま考え込むように顎を両手に載せたまま遠くを眺めている。
「やはり、先生でも見たことはありませんか?」
「…そうじゃのぉ」
アレクの答えに、ガクンと更に肩を落とすシーロ。
「しかし、なんでまた、そんなことを急に聞きたいなぞ言い出しおったんじゃ?」
もっともな疑問をぶつけられ、思わずシーロの肩が跳ねる。じっと見つめられる視線に徐々に力が籠り始めると、逃げられないことを察したシーロは、父親から告げられた話を訥々と話し始めた。
「船材を探している後輩がおりましてー」
学院に目を掛けている後輩がいること。その後輩が、先日珍しく休日の学院へ足を運んでいた際に偶然出会い、相談を受けたこと。ずっと応援しているその後輩が、学生でありながら見習いとはいえ立派に稼業の造船業に携わっていることに嬉しくなり、手を貸したくなったこと。しかし、同業の彼女に融通することが知れたら父に何を言われるかわからないため、どこに卸すのか秘密にしていたのだが、代金さえ受け取れればいいと、それも勉強のうちだと父親が快諾してくれたこと…。
そこまで一気に話をすると、一度、間を置いたシーロに、アレクが言葉を挟む。
「なんじゃ、ええことじゃないか」
アレクの言葉に、シーロが笑顔を返す。ここまでは、順調だったのだ。シーロ自身もカルラに喜んでもらえて嬉しかったし、久々に笑顔の父と話ができて楽しかったのだ。
「しかし、その木材から木喰いが発生したらしいのですー」
悲しそうに眉尻を下げたシーロは、そのまま俯くと父親から聞いた話をその後の出来事としてアレクへと伝えるのだった。
この間の休日の日、朝早くから慌ただしくしていた父が帰宅すると、シーロは突然呼び出された。ある重要な人物に高級な木材を届けに行ったのだが、そこへリバネ造船のカルラという小娘が怒鳴り込んできた。シーロの名前を出して弁償しろという少女の話を聞いてみると、どうやら虫食いがでたらしい…それも親指大の大きさの…。
はぁっと深い溜息をついたシーロが顔をあげる。
「魔術を使っても探知できない木喰いなんていますか、先生っ!?楢材を食い破るほどの木喰いなんているんでしょうか??しかも、そんな短期間でそこまで成長する木喰いを先生は見たことありますかっ?!」
泣きそうな顔で矢継ぎ早に訴えてくるシーロに、アレクは何も言えなくなってしまう。うんうんと唸ってみたものの、あの青年には怒られるかもしれないが、自分を慕うこの少年の手助けができるかもしれないと思ったアレクは、青年との実験に参加させる資格があるかどうかを一つの質問に掛けることにした。
「ひとつ、聞いてもええかのぉ」
「…はい」
突如、真剣な眼差しを向けられたシーロは、思わず背筋を伸ばす。
「真相を知って、おぬしどうするつもりじゃ?」
「……父のことが、今の父のことを信じることができないというか」
「ほぉ」
シーロは少し考えるような素振りを見せる。
「ちょっと違いますね…ん~、僕は昔のアクニが好きなんです」
はにかんだ照れ笑いを見せるシーロに、自然とアレクにも笑みが零れる。
「父がアクニを大きくしたのは分かってはいるんですけど、やっぱり良い船を造りたいなって、カルラに会って思っちゃったんですよ」
その答えに参加させてやりたいと思うアレクであったが、ここで少し意地悪な質問をする。
「そのお嬢ちゃんを疑うことはないんじゃな」
「カルラがそんなことっ!…するわけ、ない、じゃないですか…」
最初は勢いよく否定したシーロは、徐々に顔を赤く染めて視線を逸らすと、最後は聞こえないほどの小さな声でもごもごと口籠る。しかし、「でも…」と呟いて顔を上げたシーロは、再び照れたような笑いを浮かべるのだった。
「もしカルラに騙されたのなら、それは仕方のないことなんですけど………、ほんの少しだけ教えてくれた新しい船を僕も見たくなっちゃったんです」
まるで、孫に向けるような優しい視線を送っていたアレクがポンと膝を打つ。
「シーロや、明日は暇か?」
師匠のその言葉に首をぶんぶんと縦に振るシーロであった。




