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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
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条件

第12話


「何か御用でしょうかっ」


 赤レンガ造りの立派な倉庫の前まで来ると、大きな開き戸の端にある通用口に映り込んだ陰に気づいたのか、バタバタと中から飛び出てきた若い職人が緊張した面持ちで声を掛けてくる。


「あ~、…リバデネイラ殿はいらっしゃいますか?」


 ガチガチに固まっている見習い感たっぷりの少年に、灰色の髪をくしゃくしゃと握った青年が尋ねる。


「す、少しお待ちくださいっ」


 勢い良く倉庫へ戻っていく少年の後姿を微笑ましく見送った青年は、開きっ放しになっている扉から、そっと中を覗くのだった。


 やっと朝市の準備が中盤に差し掛かるくらいのまだ日も明けきらぬ頃、休日だというのに全然休めなかっただけでなく、考え事のせいで夜もほとんど眠れなかったアルトは腹いせがてら、朝早くに屋敷を出て、リバネ造船へと足を運んでいた。もちろん本来の目的は焼けてしまった材木の残骸とその周辺を確認するためである。


「お邪魔しまぁす」


 独り言のように呟き、そっと倉庫の中へと一歩踏み入れる。申し訳程度に積まれた材木以外何もないそのだだっ広い空間は、なんとも寂しそうだった。


「…あそこかな」


 煤塗れの倉庫の一角を見つけ、近づいていく。焼却炉だった残骸に向けて一直線に伸びる黒い道まで来ると膝を突き、そっと床を撫でる。薄く黒ずむ指に、アルトは思わず苦笑する。


「ファーリスの旦那っ」


 海側に続く出入り口から顔を出したトマスが大声を上げる。アルトの前まで一足飛びに駆け寄った彼は、飛び上がると、勢いそのままにその場へ土下座した。


「すまんっ、持ってかれちまったっ」


 そんなトマスの肩にポンと手を置くと立ち上がるアルト。後ろに続いてきて頭を下げる職人達の肩も優しく叩きながら、ゆっくりと海側の出入り口へ向かう。頭を上げ振り返った職人達は、扉の前に立ち対岸を鋭く睨みつけるアルトに言葉を失う。差し込む日差しを浴びて神々しさを纏う彼の姿は、誰が見ても、まさしく英雄と呼ばれるに相応しいもので――


「ま、いっか」


 振り返ったアルトからは、先程の覇気は消えており、いつものどこかやる気のなさそうな雰囲気に戻っていた。


「なんか、いろいろ、台無しだ」


 項垂れるように零したトマスの呟きに職人達は合わせたかのように頷くのだった。




「…で、何故にこちらへ?」


 所長室兼応接室へと場所を移した二人が息を合わせるように腰掛けると、冷静さを取り戻したトマスは、さっそくアルトへと疑問をぶつけた。


「腹いせ」

「…は?」


 アルトが、余りにも自然に答えたため、トマスは、つい聞き逃してしまう。


「いや、娘さんのご様子は?」


 聞き取れなかった言葉と明らかに違う質問に、怪訝そうな顔をするトマスであったが、表情を一つ変えずに、譲る気がなさそうなアルトを見て、はぁっと小さく溜息を零す。


「今はベテランの職人について、もう一度最初から勉強するって意気込んでるよ」

「それはよかった」


 やる気に溢れた若者が、誰かの陰謀で道を諦めるなんてことは許せるものではない。今回のことで、カルラが何らかの責任を感じているのは仕方がないことだが、それが再起を図ることへの意気込みに繋がったのなら良かったとアルトは素直に喜んでいた。


「…で、何用で?」


 しかし、目の前の髭面の親父は、アルトが答えるまで許さないらしい。


「…相手が動く前に、と思ったんですけどねぇ」


 諦めたように小さくアルトが呟く。


「あ~、そいつは…なんだかすまねぇな」

「ま、でも、半額以上は戻ってきたのでしょう?」

「まぁ…な」


 申し訳なさそうに頭を下げたトマスであったが、もう一つの確認しておくべきことを切り出すために顔を上げる。


「で、どこまで聞いているんだ?」

「え~と、何をでしょう?」


 この期に及んで、すっ呆けるアルトに、トマスがにやりと笑みを浮かべる。


「用心棒のファル殿がどこまで聞いているのかと思いましてね?」

「ちっ」


 バルドメロが港でカルラに声を掛けた際に使った設定を知られていることが分かると、アルトは舌打ちをして見せてから、心底不機嫌そうに口を開く。


「どこまで聞いたんだ、あんたは?」

「ま、カルラがいるのに来ていないといった仕返しだ」


 愉快そうに笑うトマス。


「実際、屋敷には “来ていない” からな」

「執事のおっさんみたいなことを言うな」


 少しだけ睨み合った二人は、しかし堪えきれなかったように、すぐに笑い出すのだった。


「…で、とりあえずどこまで知っているか知らねぇと、こっちも話が進まねぇから教えてくれないか」


 一頻り笑ってから、再度願い出るトマスに、一つ頷いたアルトは、思い出すように顎に手をあてると、少しずつ話し始めるのだった。


「息子の厚意を無駄にしやがっただけでなく、その責任まで取らせるつもりかだの、そもそも食い破ってくるまでに見つけたなら交換してやったのに見つけられなかったのはどこのどいつだだの、検査している職人の腕が悪いなら最初から言ってもらえれば検査加工済の木材を卸してやっただの…」


 前日の夜に娘から聞いていたとはいえ、何度聞いても気分が良いものではなく、トマスの眉間に皺が寄り始める。


「今回は譲らんかだの、譲ったうえで傘下になるなら一緒に参加させてやるだの好き放題散々言われたあげく、最終的には、木材を提供したことについての責任として、残骸の回収と、その分を引いた代金は全て返却してやる。ただし、職人の腕が悪かったことは黙っておいてやるから、このことはお互いになかったことにして終わりにしてやろうじゃないかと言って帰らされた…ってくらいですね」

「ほとんど全部じゃねぇか」

「ま、あの腹黒執事長が聞き出したんですがねぇ」


 娘が何を話したのかを聞いている途中から、不機嫌を通り越して呆れていたトマスの呟きに、アルトがぼそりといらない注釈をいれる。


「しかし、なんだ…まさか息子までグルとはなぁ」

「…それは、どうでしょうねぇ」


 アルトの返答に、腑に落ちない顔をしたトマスが問い質す。


「ん?息子を使ってカルラを騙したんだろう?」

「まぁ、そうも見えるんですけどねえ」


 カルラの話を聞いてみると、どうもシーロも利用されていたのではないかとアルトは考えていた。仮にアダンと一緒になって悪巧みをしていたのであれば、それはそこまでの人間だったということで仕方がないのではあるが、もし利用されていたのであれば、彼もまた被害者なのである。


「まぁ、それは追々ってことで、アクニ造船っていうのは、そこまでなんです?」

「そうさなぁ」


 とはいえ、傷ついた娘の親としては正しい感情でもあると言葉を呑んだアルトは、話題を変えることにした。なんだか有耶無耶にされた感を拭えないトマスであったが、アルトの気遣いも感じており、話題の転換に乗ることにする。


「先代までは、それこそ乗り手を選ぶような船を造っていたが、今は誰でも乗れる船といったら聞こえはいいが、安くて簡単な物ばかり造っているなぁ」

「それはそれでいいことでは?」

「まぁ庶民でも買えるという点に関してはいいのかもなぁ」


 バルドメロから聞いたときも実は納得しきれていなかったアルトは、ここでも同じような話に、つい不満気な表情を浮かべる。そんなアルトに苦笑したトマスであったが、内心では、この察しの良い青年ならば、すぐに感づくだろうと確信していた。


「それでも船ってものは高い」


 告げられた一言に、アルトはますます困惑するのだが、トマスは少しだけ真剣な顔つきで問い掛けた。


「同じような船でも安く造るってことは、どういうことかわかるか?」


 ハッと何かに気づいたアルトに、嬉しそうに頷く。


「そういうことだ。他よりも安く大量に造って莫大な利益をあげたが、評判はガタ落ち。今じゃ軽い妨害行為くらいは朝飯前だな」

「今回のもその延長と?」

「評判を回復するために、領主筋の依頼を請けようと必死なんだろう」


 うんうんと頷くアルトに、笑みを浮かべていたトマスは、ふと彼がここに来た理由を思い出す。


「しかし、どうするんだ?これから…」

「ま、今の状況自体、もともとの予定通りではあるんで、そこまで心配はしていない…ってのが本心ですね。あ~、でも、しばらくは、こちらの立て直し優先でお願いします」


 笑顔で答えるアルトに、ついトマスは本音とも言える言葉を零す。


「…驚かせてやりたかったなぁ」


 はぁっと溜息を吐くトマスに、立ち上がったアルトは、一言だけ声を掛ける。


「十分、驚きましたよ。素直にうれしかったです」


 ニコッと少年のように笑うと、少しだけ頭を下げてその場を後にしたアルトを、トマスは、呆然と見送るだけであった。




「一つ、先に御相談してもよろしいですか?」


 リバネ造船を後にしたアルトは、その足で前週に約束していた通り、再びカンタブリア学院を訪れていた。


「その前にじゃ…なぜ、昼過ぎに来たのか教えてもらいたいのじゃがな」


 不機嫌に染まった老人の顔に、灰色の髪をくしゃりと握った青年は、はぁっと溜息を零す。


「…また、昼飯を作れとか言うでしょうに」

「当たり前じゃろうがっ」


 顔を赤くして憤る姿に、青年は、先程よりも大きく溜息を零すのだった。




「で、なんじゃ?柄にもなく畏まりよって」


 グチグチと文句を言われること数十分、やっと機嫌を直した老人に問い掛けられたアルトは、気持ち背筋を伸ばすと、床へと手を掲げた。その手を中心に薄く白い魔術陣が一瞬だけ姿を見せると、部屋の空気に緊張感が帯びる。


「昨日のことなんですがー」


 そう切り出したアルトは白蟻が発生したことを簡単に伝え、昨夜考えた推察を一つ一つ確かめながら話を進めていく。

 職人達が魔術を使って検査をする際に見落とす可能性がないか。検査のときに使う魔術を阻害するとしたら、どのような魔術が考えられるか。魔術が付与されたとして、魔素には干渉せずに阻害できるかどうか。などなど、軽く二桁を超える項目について二人は意見を交換していくのだった。


「そこまで考えておるのであれば、結論は出とるのじゃろう?」


 老人の鋭い視線がアルトを射抜く。


「ええ…まぁ」


 アルトもまた、その老師の瞳に鋭い視線を送る。そのまま、暫くの間、静かな時間を挟んでから、アルトは昨夜考えついた可能性の一つを告げた。


「…黄月石ならば」

「………なるほどのぉ」


 その答えを聞いた老師は、ふぅっと息を吐き出してから、少し考える素振りを見せる。じぃっと見つめるアルトの黒い瞳へと視線を戻した老師は、にやりとした笑みを浮かべた。


「それの検証を付き合えと?」

「…ええ、まぁ……ダメですか?」


上目遣いで返答を待つアルトを、再び鋭い視線が射抜く。


「…条件がある」

「はい」


 アルトが居住まいを正す。この学院でも最高峰の技術を持つアレクシス・ヒルデンの助力が受けられるかどうか、思わず握る手のひらにも力が籠る。


「明日は、朝から学院にくること」

「………は?」


 一気に弛緩する緊張感に、アルトの肩からも力が抜ける。


「じゃから、明日の朝、遅くても”昼前”に学院に来るのじゃったら、協力してやろうと言うとるんじゃ」

「…はぁ、まぁ、それなら」


 相変わらず真剣な表情のアレクが、アルトには駄々をこねる子供にしか見えなくなっていた。


「約束じゃぞっ」

「…はぁ、……また、明日改めて伺うことにします」

「絶対に“昼前”には来るんじゃぞっ」


 立ち上がり、部屋を後にするアルトの疲れ切った背中に、何度も声を掛けるアレクであった。





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