父と娘と
第11話
「ここにカルラがこなかったかっ?!」
夕暮れ近くの白亜の御殿、赤く染まる美しい屋敷を背景に、その外門前では、屋敷の執事長バルドメロを見つけるや否や肩に掴み掛かる勢いで迫るトマスの姿があった。
「こちらには来ておりませんが、何かございましたか?」
そんなトマスを軽く往なしたバルドメロの冷静な対応に、トマスの熱も下がり始める。
「いや、取り乱して申し訳ない。実は―」
「詳しくはアルト様にお願いいたします」
最後まで言わせずに、屋敷の中へと案内するバルドメロの背中を、トマスは怒らせてしまったかと少し反省をしながらついていく。
「アルト様、失礼いたします」
休日だというのに、応接室の前へと案内されたトマスは不思議に思いつつも、バルドメロの後ろに控えたまま、逸る気持ちを抑えて扉が開かれるのを大人しく待っていた。
「どうしまし、…あれ?」
扉から顔を出したアルトがトマスに気づき、不思議そうに首を傾げる。すぐ横を「失礼します」と小さく挨拶をしてバルドメロが通り抜けていった。
「え?あれ?」
混乱するアルトを余所に、室内へ侵入したバルドメロが散乱している書類を片づけ始める。室内の至る所に書類が散らばっている様子がちらりと目に入ったトマスは、休みの日まで仕事をしていたのかと、少しだけ目の前の青年を見直すのだが、今の状況を思い出すと、部屋へ足を踏み入れるのを躊躇してしまう。
「…ファーリス殿」
申し訳なさそうに声を掛けるトマスに気づいたアルトは、あっと声を零し、中へと腕を向けた。
「ちょっと散らかっていますけど、どうぞ」
しかし、扉から一歩だけ室内へ踏み入れたトマスは、そこでまた止まってしまう。この様子では何も知らなそうだという確信を得た彼の心の内では、今すぐ他の場所を探しに行ったほうがいいのではないかという思いと、ここで相談するべきことではないという思いが渦巻いていた。
「カルラ様がいなくなってしまったようですよ」
書類を集め終わったバルドメロは、筋肉質の身体を縮こめて茶色い瞳をキョロキョロとさせる挙動不審の男の姿に小さく溜息を吐くと、やれやれと頭を振りモジモジしている筋肉達磨の背中を軽く押すために、彼が来た目的をアルトへと告げた。
「……カルラ様?」
しかし、まるで、そんな名前を聞いたことがないといった様子でアルトが再び首を傾げる。
「あぁっと、娘です」
慌てて口を挟んだトマスに、アルトが驚きの表情を浮かべる。「それは大変だ」と小さく呟いたアルトは、慌ててバルドメロが書類を避けてくれた席に座るように促すと、真剣さを帯びた顔をして見せる。その様子にバルドメロは微笑すると、一礼をしてから、そっと退室するのだった。
「…で、どうされたのです?」
見掛けとは対照的にオドオドと席についたトマスは、涼しげな目元が印象的な冷たいイメージの青年が真剣な眼差しを向けていることに内心驚いていた。知り合ってから少しの時間しか経っていないが、どこか気が抜けている印象だったその青年の意外な表情を見ることができて、どこか嬉しさも感じていたトマスは、つい試すような言葉を投げ掛けてしまう。
「迷惑を掛けるかもしれんがよろしいか?」
「迷惑かどうかを判断するのはこちらです」
そんな気持ちを知ってか知らずかアルトは即答で返す。思わず頭を下げて謝罪を伝えたトマスは、覚悟を決めると、経緯を伝えることにするのだった。
「実は今朝方、木喰いが出てな…」
実は密かに船の材料となりそうな木材を集めていたこと。娘が学院時代の先輩に相談し、融通してもらうことができたこと。酒樽の材料として珍重されている硬くて耐久性に優れている楢材が、しかも最高級に近い質の良い木材が手に入ったこと。昨日の晩、それらの加工が終わり、最高の船材ができたことに職人たちと喜びあったことを順に伝えていった。
「そんなことされてたんですか…」
「いや…、まぁ、な」
申し訳なさそうに視線を逸らすトマスに、苦笑を浮かべたアルトは、しかし、腰を深く折り頭を下げる。
「お気遣い、ありがとうございます」
「やめてくれっ!こっちが勝手にやったことだ」
予想外の展開にトマスが慌てて、それを止める。しかし、顔を上げたアルトの表情は、またしてもトマスの予想とは違うものだった。
「それで、木喰いですか…」
「…あぁ」
悲し気なアルトの表情に引っ張られるようにトマスが項垂れる。早朝から叩き起こされ、急いで倉庫へと駆けつけた時には、アンティスという害虫がその船材を食い破り、保管していた楢材を粗方駄目にしてしまっていた。この仕事に携わる以上、加工する際に何度も注意したはずなのに誰も気づけなかったのだ。
「木材を受領した際の検査に魔術は?」
「今回は、慎重に慎重を重ねたつもりだ…」
「それでも、見つからなかったと?」
「…あぁ」
みるみる小さくなっていくトマスを横目に、アルトが何か考え始める。思考の渦へと没頭していくアルトの様子に、トマスはますます不安になっていった。
「今から現場を見せてもらっても?」
フッと顔を上げたアルトの問い掛けに、トマスの顔が青褪める。
「付与されていた魔術がずっと効力を維持できたってことは、何かしらの―」
「すまんっ!火力調整を間違った」
アルトが言わんとしていることに気づいたトマスは、耐え切れずに椅子から飛び降りて、綺麗な土下座をする。
「…では、証拠もすべて燃えてしまったと?」
「本当にすまん!!」
苦笑を浮かべるアルトに、土下座の恰好をしたままトマスが理由を話し始める。他の材木にまで影響を与えるわけにもいかず、負傷者も既に出ていたことから被害を食い止めるために焼却処理を選択したのだが、火力調整を誤って燃やし尽くしてしまい、証拠がなくなってしまった…と。
「…困りましたね」
「本当にすまんっ!!」
床に頭を擦り付けるトマスに、心底困ったように眉根を寄せたアルトであったが、ここで本題へと切り込んだ。
「では、娘さんは何の落ち度もなかったのでは?」
「あぁ、そうなんだが…自分で取り付けた木材から虫が出てきたことで、責任を感じているんだろう…」
一層項垂れるトマスの姿を見るに堪えれなくなってきたアルトは、ここで苦笑交じりに灰色の髪をくしゃっと握る。
「…だそうですよ」
何のことだか分からずに、トマスは顔を上げる。アルトが自分を見ていないことに気づき、その視線を追いかけるために振り返った先には、見慣れた少女の姿があった。
「カルラっ!!」
「…ごめんなさい」
その後、父娘喧嘩を始めそうになった二人をとりあえず宥め、トマスには予定通り明朝に屋敷に顔を出すように伝えてから帰るように促したアルトは、違和感のあった魔術的な疑問に思考を巡らせていた。
「外からは全く魔力が感知できない…か」
それはつまり、魔力だけでなくその元となる魔素ですら阻害されるような魔術的な処理が施されていたということである。ということは、そこに閉じ込められていた虫たちにも魔素が提供されていないはずであり、であれば材木を食い破るほど成長できるはずもない。
「……魔道具、はないか」
では、そこへ魔素を供給するような魔道具が存在していたとして、そんなものを埋め込むために加工した木材に誰も気づかないはずがない。幼虫とともに木材へ忍び込ませたうえで魔術を使い木材の密度を上げる。木材を加工する専門家が仕組んだのであれば、船材にする際に残る箇所というのは検討がつくのだろうが、加工する際にあからさまに空洞があったり別の物質が混入されていれば、気づくはずである。
「あまり根を詰めては、お体が持ちませんよ」
暫くの間、応接室に籠もっているアルトを心配したバルドメロが、お茶を用意して様子を伺いにくる。扉を叩く音にも気づかずに没頭していたことに気づいて苦笑を浮かべたアルトは、軽く目頭を揉むと、バルドメロが運んできた香ばしい匂いを漂わせるその飲み物に気づき、興味を示す。
「ここに来てからは珈琲が出されたのは、初めてかな」
「やはりご存知でしたか」
アルトが嬉しそうに啜るのを見て、顔を綻ばせたバルドメロは、断りを入れてから自分の分を注ぐ。珈琲の香りが満ちた応接室は、和やかな雰囲気を醸し出していた。
「まさか、珈琲が飲めるなんて思っていませんでした」
「喜んでもらえて何よりです」
残り少なくなったカップの珈琲を名残惜しそうにアルトが啜る。
「南にある大陸で作られているとか聞いたかな」
「よくご存知で。このカンタブリア領は宗教が比較的自由なので、そういった土地の名産も運ばれてくるのですよ」
軽い世間話のつもりで発せられたその情報が、アルトに衝撃を与えた。
「まさかっ」
急に悲壮感を滲ませ、大声をあげたアルトが、驚いているバルドメロに詰め寄る。
「月を神の御使いと崇める宗教の話を聞いたことは?!」
いつもとは違うアルトに圧倒されつつも、バルドメロはしどろもどろに答える。
「ひっそりと布教をしているそんな宗教があると聞いたことはありますが―」
「それだ!」
何かを思いついたアルトは、残った珈琲を一口で飲み干すと、再び思考の渦に飲み込まれていく。それを暫くの間、心配そうに見守っていたバルドメロであったが、やがて諦めたように、はぁっと小さく溜息を零すと、空になった食器を片付け、静かに部屋を後にした。
一方、リバネ造船へと戻った父娘は、倉庫の一画にある所長室で向き合っていた。
「アクニのところに行ったんだろ?」
低い声で聞かれた問いに、ただ頷くだけの少女。
「…んで、どうなった」
唇を噛み締め、今にも泣きそうな顔を上げた少女は、目の前に座る父親を睨みつけるように見ていたが、やがてその目から涙が零れ始めると小さな声を絞り出す。
「ご、めん、なさい」
崩れ落ちる娘にそっと歩み寄ったトマスは、しゃがんで顔の位置を近づけると、声を優しいものに変えた。
「失敗したことは仕方がない」
仕事に対しては、いつも厳しい父親から発せられた言葉に少女はハッと顔を上げる。
「ファーリス殿のところでも言ったがな…、今回は、誰も気づけなかったのだから、カルラだけの責任でもない」
優しく語られる言葉に涙が止まらなくなる。
「でもな、カルラ」
鋭くした眼つきにビクッと反応した娘をかわいそうだと思いながらも、トマスはここで甘やかしてはいけないと自分に言い聞かせると、声に怒気を籠める。
「勝手に先走って、仲間たちを心配させるのはどうだろうな」
「ごめんな、さい、ごめん、なさいっ」
嗚咽交じりに謝る娘の姿にいたたまれなくなった頃、扉を開いて職人達が入ってくる。
「なんだ、お前らっ!今大事な話―」
怒声を浴びせるトマスに、苦笑を浮かべた職人の一人が頭を掻きながら二人に近づく。
「まぁ反省しているようだし、お頭もその辺で許してやって貰えないかな」
長い付き合いの職人に心を見透かされたような気分になったトマスは嫌そうな顔をするが、その職人は苦笑を浮かべたまま、カルラにも声を掛ける。
「お嬢、俺ら頼りないかもしれないが、相談くらいはしてくれないかな」
「…すみま、せん、でしたっ」
ちょうどその頃、数人の見習いたちが、倉庫の片付けをしていた。皆、カルラが戻ってきたことに安堵の表情を浮かべて、黒く煤けた材木の残骸を集めては、裏手へと運び出していく。その中に、魔力を可視出来る者でも気づくかどうか分からないほどの、残り滓のようなとても薄い黄色の靄を立ち昇らせている石が混じっていたことは、もちろん誰も知ることがなかった。




