表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
21/42

蠢動

第8話


「なんだって、休みの日に…」


 荷物の積み下ろしに使われる岸壁の突端に立ったアルトの目の前で、見るからに質の良い木材が、体格の良い男たちによって積み上げられていく。その光景に驚くこともなく、不機嫌そうに眼を細め、灰色の髪をくしゃくしゃと握る青年の背後へ、一人の男がそっと近寄る。


「御足労いただき、ありがとうございます。アダン・アクニャと申します」


 アルトが振り返った先で、高価な装飾品を身体中に鏤め、上質な布で作られた衣服を纏った壮年の男性が、張り付けたような笑顔を浮かべていた。その感情を含まない笑みは、面倒くさそうな表情を隠すことなく振り返った青年を見ても、崩れることはなかった。


「………アルト・ファーリスです」


 何も語ることなくじぃっと見つめられていたアルトは、その状況に耐えられなくなると、渋々と名乗ることにする。それに一つ頷いたアダンは、何か探るように口を開いた。


「お休みの日に申し訳ございません。何度か伯爵様の別邸へと使いを出したのですが、御留守ということでしたので、御挨拶を兼ねて、顔だけでも覚えていただこうと足を運んだ次第でして」

「はぁ」


 品定めをされているようなその視線に、アルトはどうしたものかと悩むと同時に、白亜の御殿にいる執事長の顔を思い出す。表情をあまり出すことがない彼には珍しく、本当に申し訳なさそうな顔をして送り出してくれた執事長が、実は、ここ数日、この厄介な申し出を何度か断ってくれていたことが分かり、むしろ申し訳なく思っていた。


「新しく船を建造されると聞きまして、何かお手伝いできるかと思いまして…」


 そんなことをアルトが考えているとも露知らず、きらきらと眩し過ぎる服をひらひらとさせながら話を続ける小太りの男を、どこか冷めた目で見つめるアルト。


「本日は、私どもが用意できます最高級の木材を少しではありますが、使っていただければと、ご覧のようにお持ちした次第でございます」


 そういって、今もまだ積みあがっていく木材を誇らしげに指差すアダンに、ついアルトは、溜息を零してしまう。


「…お気に召されませんでしたでしょうか」


 明らかに作られた弱り顔に、不満の色が混じっているのを感じ取ったアルトは、この男のプライドを垣間見て、さらに溜息を零しそうになるが、それを堪えることに成功すると、ここでは敢えて気づかないフリをすることを選んだ。


「いえいえ、立派な木材ですね」

「そうでしょう、そうでしょう」


 あからさまに機嫌が良くなるアダンに、負けじと作り物の笑顔を見せたアルトが、率直な疑問をぶつけた。


「ところで、船の建造のためというのは?」

「……ファーリス様が何か新しい船を建造されると、お聞きしておりますが…違うので?」


 急に困り顔を見せるアルトに、アダンは怪訝な表情を浮かべる。確かな情報であると確信していただけに、この青年の意図を聞き出そうと思考を巡らせ始めたアダンであったが、視界に何かを捉えると、すぐにまた作ったような笑顔を見せた。


「そうでした。本日は、お休みでしたな。御挨拶もできたことですし、この辺で失礼させていただきましょう。こちらの木材は、当方からのお近づきの印としてお譲りいたしますので、御自由にお使いください」


 明らかに何か考える素振りを見せたアダンに、はて、どう対応しようかと考え始めていたアルトであったが、帰りの口上を聞くことができ、ホッと安堵の息を零す。


「何かありましたら、対岸にありますアクニ造船へ御連絡ください。いつでもお待ちしております。それでは」


作業をしていた男たちを集めた小太りな男が、そういい残し去っていく後姿を見送りながら、いつの間にか斜め後ろに控えている男へとアルトが声を掛ける。


「これ、どうしたらいいかな」

「申し訳ありませんでした、アルト様」


 おそらく、いつものように綺麗な姿勢で頭を下げているであろうバルドメロの姿が容易に想像できてしまい、アルトは苦笑を浮かべる。同時に、彼が現れなかったら、まだ続いていたであろう会話を思うと、素直に助かったと感謝を込めて頭を下げるのであった、心の中ではあるが…。


「さて、戻りましょうか」


 明らかにアダンの乗る船と分かるような煌びやかな船の中へ消えていく小太りの男の姿が完全に見えなくなると、バルドメロが背中越しに声を掛ける。


「アクニ造船のこと、聞かせてもらえるかな」

「はい、是非に」


 返事を聞いてから振り返ったアルトと並んで歩くバルドメロの姿は、もはや長年連れ添う主従のようであった。


「先代までのアクニ造船は、長持ちする丈夫な船を造ることで名を馳せておりまして、このカンタブリア伯領内で船を造るとなれば、誰に聞いても、まず名前が上がるほどの造船所でございました」


 歩き出すとすぐに、バルドメロがアクニ造船について語り始める。


「ファビラ様が領主時代にも何度か造船の依頼を出していたほどでして、それほどまでに名を馳せていたのですが…」


 そこで一旦、言葉を区切ったバルドメロは、後ろを振り返る。足を止めたバルドメロに釣られるように、アルトの視線も、後方に停泊する煌びやかな船へと向かう。


「アダンが所長となってからは、利益重視の経営へと方針を転換したため、先代までの堅実な経営とは違い莫大な資金を手に入れるようになったのです」


 僅かばかり切なげな雰囲気のバルドメロに、かつての名を馳せていた頃のアクニ造船がどれほどのものだったか、なんとなくではあるがアルトにも伝わった。


「そうして、今となっては昔のような評判は全く聞かなくなり、玄人からは敬遠されるような造船所となってしまいました」


 振り返るアルトへと送られたバルドメロの視線は、なんとも物悲しげなものであった。




 一方、岸壁に停泊する豪華に飾り付けられた船の上では、アダン・アクニャが荒れに荒れていた。


「私を誰だと思っているんだっ!」


 怒鳴り声と共に、無数の紙束が宙を舞う。床一面に散らばった報告書には、とある人物の経歴が事細かに記載されていた。


「なんだって、こんなやつにっ」


拾い上げた報告書をぐしゃっと握り締める。報告書に書かれていることは、どれも証拠がなく噂の範囲であったため、実際に会ってみることにしたのだが、印象としては何ともやる気を感じない普通の青年であり、最後の最後には惚けてみせるなど、どうにも馬鹿にされたとしか思えず、やり場のない怒りを覚えていたのだった。


「いや、しかし…」


 豊富な資金を手に入れた成功者として評価されてはいるが、アダン本人は、まだまだ伸びる余地があると思っている。そのためには、かつてのように領主筋からの依頼を請けて箔をつけたいと考えてはいるのだが、特命がほとんどの依頼であるためなかなか請けることができていなかったのである。


「いかんいかん。私ともあろうものが…」


そこへ今回の話である。領主所有の別邸を借り受けているという噂の青年が船を造るという。ここは、なんとしても請け負いたいアダンとしては、多少の損失は目を瞑る覚悟であった。


「甘く見ていたのは、こちらのほう…か」


 報告書を見る限りでは、5年前の崩落事故で逃げ出したのではないかと思われる自分よりも数倍若い青年が、間違いなく今回の鍵となっているのだ。顔を見るまでは、まぁそんなこともあると割り切っていたのであるが、実際会ってみたところ、そんな若造に軽視されたことで冷静さを失っていたことに今更ながらに気づく。


「少しばかり焦りすぎたな」


 トマスのところが既に協力の要請を受けたとの情報も、知らず知らずのうちに、アダンを焦らす原因になっていた。ようやく落ち着きを取り戻したところで、これからの対応をどうするかと考えを巡らせたアダンは、ここへ来て結局のところ、問題ないという結論に行き着く。


「予定でいけば、もうそろそろ…か」


 この機会を確実に手にするために仕込んだ策によって、これから起こるであろうことを想像すると、どうしても口角が自然と上がってしまうのを、アダンは抑えられなかった。




―コンコンコンッ


 不意に扉がノックされる。一人、明るい未来を想像してニヤついていたアダンは、その音に現実へと引き戻されると、一呼吸置いてから、落ち着いた声音で扉の向こうへと声を掛けた。


「どうした?」


 しかし、せっかく平然を繕ったアダンの表情は、返ってきた答えに、ニヤリとした悪い笑みを浮かべたものへと歪んでいく。


「リバネ造船のカルラが、シーロ坊ちゃんに、どうしても会わせろと申しておりますが、いかがいたしましょう」

「よし、私が相手をしよう」




 サンタンデル湾にある港の一つ、アルミランテ港の一角に、良質の楢材が山積みにされている。その段差を椅子代わりに、灰色の髪に黒い瞳という特徴的な青年が腰掛けていた。


「まだかねぇ」


 あれから、港を立ち去ろうとしていたアルトは、ふと残された木材のことが気になり、扱いをどうするかバルドメロと相談していた。受け取るつもりはないものの、放置しておいて後々揉め事になるのも面倒だという結論に達した二人は、アルトが見張りをしている間に、バルドメロがいろいろと手続きをして、保管場所へと運ぶことにしたのである。


「…ん?」


 ちらりと海のほうを向いたアルトの視線の先には、煌びやかな船が停泊している。そこへ一人の明るい茶色の髪を靡かせた少女が、勢いよく走りこんでいくのが目に入る。


「どうかしましたか?」


 少女の姿が見えなくなっても、暫くの間、その煌びやかな船を見ていたアルトは、肩越しの声にハッと振り向く。


「そんなに怖い顔をされて、どうされたのですか?!」


 アルトの顔を見たバルドメロが、普段では考えられないほど慌てていることに、少し冷静さを取り戻したアルトは、顔をぱんぱんと叩く。


「あ~、なんかボケッとしていただけですよ」


 無理やり作った笑顔が引き攣るのを懸命にアルトが抑える。


「でしたら、いいのですが…」


 良く思っているとは言えないほどの疑わしい視線を送ったバルドメロであったが、連れてきた荷馬車の業者たちを待たせていることを思い出すと、はぁっと息を零して、いつもの表情を取り戻した。


「では、運んでしまいますが、アルト様はどうなされますか」

「ん~………」


 唸ったまま考え込むアルトに、また怪訝な表情を浮かべ始めるバルドメロ。


「もうしばらく、ここにいようかな」


 無理やり笑顔を作って、そう答えたアルトに「分かりました」と返事をしたバルドメロであったが、全て運び終えたら問いただしてやろうと心に決めたのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ