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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第1章 はじまりの一日
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夜明け前

第1話


「くっ!」


 暗闇の中、少年は、視力だけでなく五感をフルに使って、降り注いでくる岩を懸命に砕いていく。二つの月に太陽の姿は完全に隠されてしまい、辺りは正午を迎えたばかりだというのに夜かと思うほどの暗さとなっている。


 光を失っても、月に向かうように伸びる淡黄に輝く靄は、なお一層の不気味さを醸し出していた。


「…まずいな」


 黒い髪を額に張り付かせた少女が、汗を拭うこともせず、地面に描かれた魔術陣へ一心不乱に魔力を注いでいる。限界を迎えつつある黒髪の少女の姿に、より魔力を消耗しているであろうもう一人の少女にも限界が訪れつつあることを察する。しかし、限界を迎えているのは、少女たちだけではなかった。


「人の心配してる場合じゃあないか」


 軽い調子で呟いてみたものの、足に力が入らずに、つい膝をついてしまう少年。辛そうに顔を顰めた彼は、それでも空を睨みつける。惹きつけられるように近づいてくる大きな岩を魔術を行使して破壊すると、いよいよ自分に残された魔力も尽きつつあることを自覚した少年は、自虐的な笑顔を浮かべる。


「終わったぁぁぁ」


 残っていたありったけの魔力を両腕へと集めた少年が空を見上げるのと、ほぼ同時に少女の声があがる。太陽の光が届かなくなっても、淡い黄色の輝きを放っていた最後の石が、光を失って転がっていた。


「どりゃっせいっ」


 少女が、光を失った石を短剣の柄で思いっきり叩き割る。僅かに空へ立ち昇っていた淡黄の靄が完全に消えるのを確認した少女は、そのままバタンと達成感に満ちた顔で大の字に倒れこんだ。


「間に合ったぁぁぁ」

「…漢だな」

「せっかく見た目はかわいいのにね」

「うっさい!」


 少女へと言葉を掛けつつも、警戒を解くことなく空へと視線を向けていた少年と黒髪の少女であったが、直に、太陽が光を取り戻し始めたのが確認できると、力が抜けたように地面に崩れ落ちる。


「…ふふふ」

「ふっ…あははははは」


 皆、同じように両手を広げて地面に寝転がり、笑い声をあげる。


「なんとかなるもんだな」

「あたりまえでしょ」

「もう立てないですけどねぇ」


 そのまま放心状態で空を眺める三人。


 二つの月に隠されていた太陽は、あとほんの僅かで元の丸い姿を取り戻そうとしていた。


「さて、みんなのところに帰ろうか」


 少年が立ち上がる。


「起こして~」

「ったく…」



 黒髪の少女の下へと向かう少年。


「私も立てないんだけ―」


 その時、少女の目に空から落ちる一本の紅い線が目に入る。疲れきっているはずの少女の身体が自然と動く。


「きゃっ」

「なっ―」


 極度の緊張感から開放され、気を抜いていた二人は、最後の力が全て込められた少女の体当たりをまともに受け、大きく吹き飛ばされる。


「二人とも…来てくれてありがとう」


 振り返ったその先で、紅い光に包まれていく少女が微笑んだ。しかし、残された二人が、それを見ることができたのは一瞬のことで―


―ズドンッ


 広場の中央に眩いほどの紅い光が落ちた。


「パウラぁぁぁっ!!」






―バサッ


 まだ暗い夜明け前、汗だくになった一人の青年が飛び起きる。しばらく呆然としていた青年は、灰色の髪をくしゃくしゃと握ると、ふぅっ、と自分を落ち着かせるように長い息を吐く。


「なんだって、いまさら…」


 天井を見上げた青年は、苛立たしげに呟いた。




 大陸暦1031年、大陸の西側では群雄割拠の時代を迎え、大小様々な国が覇権を争っていた。


 そんな情勢の中、大陸の動向を調査するという依頼の名目で、一年近くに亘り新婚旅行を楽しんでいたアルト・ファーリスは、大陸西岸にある各国の街を転々と南下すると、一応の目的地であるイベラル半島へと辿り着く。大陸南西部に在りながら、半島の付け根に聳え立つ山々によって、大陸から切り離されたかのように存在するこの地は、戦乱が続く大陸では珍しく、比較的平和な時を迎えていた。


「のんびりしすぎ…だな」


 イベラル半島の北部、西部及び中央部を手中に収める大国レオン。アルトが、そのレオン王国にあるカンタブリア領に足を踏み入れたのは、もう二月も前のことである。当初の予定では、すでに領都サンタンデルから本国へと海を渡り、依頼の結果報告をしているはずであった。


「やっぱり帰っておけばよかった…」


 しかし、旅の途中で身篭った妻の出産が間近に迫り、それを心配した周囲が、領都に滞在中の彼を引き留めた。義姉の実家であるカンダブリア伯爵家からの厚意と、妻の体調を考慮した彼は、寒さが厳しくなる前に訪れた風光明媚なこの街にしばらく逗留することにしたのである。


「…ってわけにもいかなっ―」


 隣で眠る妻に返事を期待するでもなく、ただただなんとなく語りかけようとして視線を移したアルトは、静かに汗を流して苦しむ妻の姿を目にして、思わず息を呑む。


「カエデっ!」


 一瞬、何が起こっているか理解することができなかったアルトであるが、すぐに事態を把握するとベッドから素早く飛び降りる。


「カエデっ!どうしたっ?!」


 慌てて駆け寄ってくるアルトを見て、苦悶の表情を少しだけ和らげるカエデ。


「ちょっと、落ち着こうか」

「辛かったなら、何で言わなっ―」


 興奮する旦那の襟首をぐいっと掴むと、鼻がぶつかりそうな距離までカエデは引き寄せる。


「落・ち・着・こ・う・か?」


 辛そうに表情を歪めながらも笑顔を作り、カエデは優しい声音でゆっくりと話し掛ける。


「っ…ひゃ、はい」


 背筋にヒンヤリしたものを感じたアルトは思わず声を上げ、幾分か冷静さを取り戻した。


「産まれそうだから、誰か呼んできてくれるかな」


 カエデがその言葉を聞いた途端、アルトが動き出す。


「いってくる!」


―バンッ


「………開けっ放し」


 扉を物凄い勢いで開けて、ドタバタと走り去っていく旦那の後姿を、カエデは、切なげな表情を浮かべて見送るが、すぐに苦しそうに目をぎゅっと瞑るのだった。




「だから、こんなでかい屋敷は必要ないと言ったんだ」


 カンタブリア伯爵領が誇るサンタンデルの港が一望できる岬には、白亜の御殿と呼ばれる屋敷がある。伯爵家が所有する別邸の一つであるこの屋敷は、現在、出産を控えたカエデの産前産後の療養のため、ファーリス夫婦の仮住まいとなっていた。


「ったく、あの爺め」


 当初、カンタブリア伯爵家から、別邸の一つを貸与するとの申し出を受けた際、二人は小さな屋敷を希望していたのであるが、紆余曲折の末、先代領主に押し切られる形でこの場所を借り受けることとなったのである。




―ドンッドンッ


 ぶつくさと文句を言いつつも、この数ヶ月の間、カエデの主治医を務める初老の治癒師が寝泊りしている部屋の前へと辿り着いたアルトは、その勢いのまま扉を叩く。


「ばあさん、起きてく―」


―バタンッ


「危なっ……」

「………」


 突然開いた扉を慌てて避けたアルトの視線の先には、不機嫌そうに眉を顰めた女性が、仁王立ちをしていた。


「あっ、いや…カエデが…」

「………」

「……ビビアナ様、お願いします」


 射抜かれるような視線に思わず頭を下げたアルトの横を、すぅっと通り抜けた女性が、振り返りもせずにアルトへと声を掛ける。


「産まれそうなんじゃろ?頭なんか下げとらんで急がんかいっ」

「…誰のせいで―」

「なんか言ったかの?」


 前を向いたまま、女性がピタッと立ち止まると、慌てて追いかけようとしていたアルトも踏み出しかけた足を止める。


「い、いえ、なにも…」

「ほんなら、もたもたせんと急ぐ!」


 道中、いろいろと注文を受け、両手に抱えるほどの荷物を持ったアルトが、カエデの寝ている部屋へと戻ると、既に出産の準備が始まっていた。


「遅いぞ、小僧」


 半目で睨み付ける初老の治癒師に頭を下げてから部屋へと入ったアルトへ、早速指示が飛ぶ。


「桶は、滅菌したら、こっちに置いてくれるかの」

「アルト様、受け取ります」

「手拭いは、滅菌してから、とりあえず―」

「私がやりますっ」


 しかし、指示された先からアルトの持って来た道具がさくさくと減っていく。ビビアナに選ばれた助手たちが、馴れた手つきで準備していくのを、アルトは、ただ呆然と眺めるだけであった。


「何をぼさっとしておるんじゃ」


 先程までとは違い、出来の悪い息子に声を掛けたかのような呆れ交じりのビビアナの前で、アルトは申し訳なさそうに髪の毛をくしゃくしゃと握る。そんな青年の姿に、はぁっと一度だけ大きく息を吐き出したビビアナであったが、カエデのほうへと視線だけを動かすと、キリリッと表情を引き締め、アルトを睨みつけた。


「母になる戦いに挑むんだ。一言くらい掛けておやり」


 今までカエデの側で準備をしていた治癒師の助手たちが、さっと場所を空ける。痛みの波が引いているのか笑顔を浮かべるカエデに、困ったような笑顔で返したアルトは、そっと近づき、両手で優しく右手を包み込んだ。


「応援しかできないけど…」

「うん…ありがとう」


 暫しの間、二人が見つめ合う。そこへアルトの横に並んだビビアナが咳払いを一つして、カエデへと優しく声を掛ける。


「とはいったものの、何も心配せんでええからの」


 名残惜しそうに、アルトの両手から手を抜くと、一度だけ抜いたその手を重ねてから、カエデがビビアナに軽く会釈をする。


「ビビアナ様、お願いします」

「任せな」


 ビビアナの力強い返答を切っ掛けに、助手たちが再び慌しく動き始める。俄かに漂い始めた緊張感に、アルトにも自然と力が入る。


「何をぼさっとしとるんじゃ」

「え?」


 その厳しい口調にアルトがポカンとしていると、顔も向けずにビビアナは言葉を続ける。


「男衆なんて役に立たんのだから、用が済んだらさっさと出てお行き」

「え?え??」


 助手の一人が、ぺこりと会釈をすると、アルトの身体の向きをくるりと扉の方向に向ける。


「あの?」

「失礼します」


 そのまま背中を押され、扉まで誘導されるアルト。


「え?あれ??」


―パタン


「みんな!気合いれてくよっ」

「「はいっ!!」」


 閉じられた扉の向こうからビビアナの掛け声が漏れてくる。


「…がんばれよ」


 一人廊下に残されたアルトは、そっと閉じられた扉に向かって一言掛けると、しばらくそのまま扉を見つめていた。





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