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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
18/42

恩師

第5話


「さて、いきますか」


 新造船の概要設計を取り囲んだ日から一週間後の休暇明けの昼下がり、午前中の作業を終えたアルトは、暖かくなり始めた日差しを仰ぎ、白亜の御殿を後にする。


 この日、朝早くに手紙を認めた彼は、執事長のバルドメロに使いを出すよう頼んでから、屋敷へとトマスを迎え入れ、まだまだ粗が残る設計書を詰めていく作業に没頭していた。漸く、概要に近いものができそうだというところで、昼の鐘の音が鳴り響き、トマスは、材料の目処を立てるために午後から奔走することとなっていた。


「確か…ここらへんだと思ったんだけど」


屋敷を出たアルトは、サンタンデル最大の繁華街、多くの商店が立ち並ぶコンスティート通りから一つ外れた路地を覗いていた。


「あったあった」


ひっそりと建つ酒場を見つけると、そそくさと中へ入っていく。そして、すぐにパンパンに膨れた小さな布袋を手に店から出てくると、本来の目的地へと急ぐのだった。


「おっ」


 大きく聳え立つような門が見えてきたところで、その門前に立つ白い立派な髭を撫でる老人の姿が目に入る。思いの外時間を掛けてしまっていたことに気づいたアルトは、小走りに老人の下へと急いだ。


「大層なご身分じゃな」


 近づいてくる灰色の髪の青年に気づいた老人が、顔を顰めて声を掛ける。


「いやぁ、先生お久しぶりです」

「ほんとにのぉ、数ヶ月前から、こっちにおったそうだがのぉ」


 悪びれもせずに笑顔を浮かべて横に並んだ青年に、不機嫌そうに目を細めた老人は、一言だけ声を掛け、門の内へと踵を返す。


「ちょっとくらい言い訳させてくれても…」


 ぶつくさと文句を言いながらも、振り返らずに笑みを湛える老人の後姿を追いかけるアルトだった。




 領都サンタンデルにあるカンタブリア学院のとある研究室へと通されたアルトは、促された椅子に腰掛けることなく素通りすると、手にしていた布袋を老人へ差し出す。


「お久しぶりということで、手土産を持参して参りました」


 怪訝そうに布袋を見つめていた老人は、はぁっと溜息をつくと渋々と受け取る。


「まったく、たまたまおったからええものの、来るなら来るで、もうちっと早く連絡寄越してくれんかのぉ」

「いつでも連絡寄越せと仰っていたではないですか」

「だから、その連絡をもう少し前にしろと言うとるんじゃ」


 ニコニコと笑顔を崩さない青年に、不満を垂れ流しながらも布袋を開けて確認する。


「これはっ」


 しかし、中に入っていた黒いゴツゴツしたキノコを目にした瞬間、嬉しさの混じった驚きの声をあげた。


「黒トリュフ、お好きでしたよね」


 張り裂けそうな笑顔を浮かべ、うんうんと頷く老人に少しだけ罪悪感を覚えたアルトは無意識に髪の毛をくしゃくしゃと握る。


「その癖、変わらんなぁ」


 少しだけ懐かしさを滲ませて、変わらずに嬉しそうに笑う老人に、この人には敵わないと思うアルトであった。


「アレク先生も、お元気そうで良かったです」


 春の陽光が降り注ぐカンタブリア学院の一室で、穏やかな時間が流れていく。


「そういえば…噂で聞いたんじゃが、父親になったそうじゃのぉ」

「噂って、バルドメロ辺りでしょうに」

「まぁの」


 いつも背筋を伸ばし、少し生真面目な初老の執事を思い浮かべ、顔を見合わせて笑う二人。


「アオイと名付けました」

「確か…異国の花であったか」

「はい」

「いい名じゃの」


 穏やかな笑みを浮かべた老人に、頷くアルト。


「して…これからどうするつもりじゃ?」

「暫くの間は、ファビラの爺さんに厄介になるつもりですが、まぁ、活動は続けていくつもりです」


 顔は笑ったまま視線を鋭くした老人に、アルトは不敵な笑いを返す。先程まで笑い声が零れていた学院の一室は、休暇期間中だということを思い出したかのように静まり返る。


―ぐぅぅぅ

「ぷっ、ははは」


 しかし、老人の腹の虫が、すぐに張り詰めた空気をぶち壊す。


「昼飯をまだ食っとらんのじゃ」


恥ずかしそうに照れる老人を前に腹を抱えてアルトが笑い転げている。


「何か話をする前に、昼にしてええかのぉ」

「ええ、もちろん」


アルトの清々しいほどの返事に髭を撫でながら微笑んだ老人は、貰ったばかりのキノコを嬉しそうに布袋から取り出すのであった。




「…美味いですか?」


 休暇期間中でも、ちらほらと学生たちの姿を見掛けることができる学院内の食堂で、青年からジト目を向けられながら、研究室持ちの教諭が涙を流してパスタを頬張る姿が目撃されていた。

 後に、この一件は、男子学生を中心に「アレク先生が、眼つきの鋭い怖いお兄さんに恫喝されながらも自分のパスタを死守していた」と、女子学生の間では「アレク先生が、灰色の髪の涼しげな眼をしたイケメンに餌付けをされていた」と休暇明けの学院で噂されるのであるが―――閑話休題。


「ははひ、ほふひひふふはへへへへぇゴホッ―」


 学生寮が併設されているこの学院では、たとえ休暇中であっても昼間の時間であれば、まず間違いなく食堂が閉まっていることはない。貧乏学生の中には自分で食材を獲ってくる者もいるため、持ち込み可能な食堂ではあるのだが、実は、アレクが持ち込んだキノコはあまりにも高級であったため、調理師たちに断られていたのだが…。


「食べるか話すかどちっ―」


 アルトが言い終える前に何を言わんとしているか正確に理解したアレクは、パスタを勢い良く口に運ぶ。調理師たちに断られた結果、老人から縋るような視線を送られたアルトが、渋々厨房を借りて、料理を提供したのだった。自分が料理した食事を美味しそうに食べてくれる小さい老人に苦笑を浮かべては見たものの、やはりどこか嬉しくなるアルトであった。


「やはり、おぬしに作らせて正解じゃったな」

「パスタを茹でて絡めただけですよ」


呆れ交じりに言うアルトであったが、口の周りをギトギトに光らせ満足そうに笑うアレクに、つい顔を綻ばせた。その途端、少し離れた場所から黄色い悲鳴があがる。

気になったアルトが、ふと見渡すと、こちらを窺うように数人の女子学生が端のほうで集まっているのが視界に入る。その光景に、男子学生もいたはずなのにと益もないことを考えていたアルトであったが、口の周りと汚れた髭を丁寧に拭き終わったアレクの声によって、すぐに我に返るのだった。


「で、何が聞きたいんじゃ」

「お伝えしたと思うのですが…」

「あんな文だけで察しろと?」


ぎろりと鋭い視線を送られ、アルトは思わず苦笑する。机の下で一瞬だけ緑の魔術陣が浮かび上がり、二人が座る机の周りを優しい風が取り囲んだ。


「金属を部分的に使用した造船について、ですかね」

「ほぉ…なるほどの」


 ニヤリと笑うの見たアルトは、驚くこともなく、否定することもなく、ただ相槌を打ったこの老人が、やはり只者ではないと、改めて認識するのだった。


 物を作ることに特化したこの学院でのアレクシス・ヒルデンという研究者の評価は、あまり高くない。これは、レオン王国の中でも特に種族に対する偏見が少ないと言われているカンタブリア領ですら、多少は差別が存在しているということに他ならないことであった。


「驚かないのですね?」

「他の者から聞いたのであれば分からんが、な」


実際のところ、アレクと呼ばれるこの研究者は、能力だけを見れば学院内では間違いなく飛び抜けていた。

しかし、通称ドワーフと呼ばれる土人族である彼は、背が低いながらも屈強で手先が器用である種族的な特徴を考慮して評価されているのである。つまり、特筆するべき特徴が何もないただの人間である霊人族を基準で考えた場合、種族的な特徴を持つ人間はマイナス評価をされているということである。


「可能でしょうか」

「…不可能ではない、としか言えんのぉ」


そのため、全てではないにしても、霊人族が学院長を務めている期間の他種族の評価というのは、往々にして低くなるのである。そもそも霊人族が基準であると考えている者のほとんどは、自分たちが他の種族から霊人族と呼ばれていることすら知らなかったりするのであるが―。

 ここまでの受け答えで、それを実感してしまったアルトは、そんな同族の下したくだらない評価に、はぁっと溜息を零したくなるのだった。


「まぁ、そんな顔をしなさんな」

「先生がそう仰るのであれば…」

「ところで、来週のこの時間、また顔出せるかの?」

「ええ、まぁ」


 そういって立ち上がったアレクは、不思議そうに首を傾げて、ほんの少し見上げたアルトに、ニコリと笑って見せた。


「それならば、来週また顔をだせ」

「?…今日は、もう終わりですか」

「美味いものも食べさせてもらったしの。少しいろいろと資料を揃えてみようと思うておるんじゃがのぉ」


 その言葉に勢い良く立ち上がったアルトは、深く頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 そんな青年に、アレクは、優しく微笑んで頷くのだった。




「こいつは、まずいな」


 一方その頃、自身が所有する造船所へと戻っていたトマスは、材料の見積もりをしていたのだが、思っていた以上に在庫がないことが分かり、頭を抱えていた。アルトからは、別段要求はされていないのであるが、これくらいは造船を営む者として揃えてやりたいと思っていたのだった。


「親方、何か手伝えることはねぇか?」

「おぅ、チュイか」


 古参の職人に声を掛けられて振り向いたトマスは、はぁっと溜息を零す。


「今んところは、…ないな」

「新造船の材料は、急いで集める必要はないとか、そういう話ではなかったんですかい?」


 不思議そうに首を傾げるベテランの職人に、この古株の職人には隠し事はできないと察したトマスは、ぼさぼさの頭を掻いてから、その風貌には全く似合わない照れた表情を見せる。


「いや、なんていうかな、そうは言っても、こう、な」


 なんとも煮え切らないトマスの姿に、今度は声を掛けたチュイのほうが溜息を零した。


「…気持ち悪っ」


 そこへ別の方向から、可愛らしい声が聞こえてくる。


「なんだと、カルラっ」


 その声にガバッと振り向くと、心底嫌そうな表情でこちらを見る少女の姿が、トマスの目に映りこむ。


「いや、お嬢の言うとおりですぜ」

「なっ?!」


 頭をフルフルと振りながら呆れたように言葉を吐き出す職人に、目を見開いたトマスの顔が赤く染まっていく。


「わしは、水臭ぇと言うとるんですよ、まったく」


 しかし、続くチュイの言葉で、トマスの動きが止まる。


「親方が久々に楽しそうだってぇことは、見てりゃわかる」


 その言葉に、作業をしていた他の職人たちもぞろそろと集まってくる。


「あっしらにまで遠慮してどうするんだ、親方がよぉ」


 そういって笑うチュイの後ろには、同じように笑顔を浮かべる職人たちが並んでいる。カルラと呼ばれた少女も、笑顔を浮かべていた。


「お前ら…」


 驚きに染まる顔で、自分の部下たちを見渡したトマスは、一度下を向くと、ぐっと拳を握ると晴れやかな笑顔を見せた。


「野郎ども!いっちょやったるかぁ」

「「おおおーーーーっ!!」」


 久々の高揚感に、リバネ造船が、かつての活気を取り戻した瞬間である。





※アルトと調理師


「あの…」

「は、はい、なんでしょうか?」

「これを…渡せと白髭が…」


― レシピ(パスタ)

1.乾燥パスタを茹でる。

2.フライパンでバターを弱火で溶かし、オリーブオイルと半分に切ったニンニクを加える。

3.香ばしい匂いがしてきたら火を止めて、みじん切りにした黒トリュフを加える。

4.茹でたパスタと、パスタの茹で汁を少し加えて混ぜ合わせる。

5.お皿に盛ったら出来上がり。


「…はぁ、いただいてもよろしいんで?」

「商売にする気は今のところないので」

「一つ伺っても?」

「なんでしょうか?」

「黒トリュフって、これくらいで手に入りますか??」

「………」


(偽)次回「予算争奪戦」


「買えるかっ!!」





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