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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第2章 黄色い月
17/42

始動

第4話


「とりあえず、こんなことを考えてます」


 翌朝、ビスト湾に面した岬にある白亜の御殿にある応接室へトマスを迎えたアルトは、さっそく机いっぱいに大きな羊皮紙を拡げていた。


「稼動式なのか」

「低速航行時の安定性を活かしつつ、高速航行時に水との接触面をできるだけ少なくするには、どうしたらと考えていたら……こうなりました」


 少しばかり雑な概要設計書と思しき羊皮紙に目を向けたトマスは、水面下での船体の形である船型の構造が描かれている部分から見ていこうとしたところで、さっそく、その特徴的な構造に驚かされる。


「こいつは、見た目は単胴船だが、船体としては双胴船の構造にするってことか」

「そうなります」


 設計書を食い入るように見つめるトマスが零す独り言を、アルトが拾う。


「しかし、そうなると高速航行時の粘性抵抗のうち、摩擦抵抗は良いとして、造渦抵抗はどうする?」

「あの…ぞうかて―」

「いや、摩擦に耐える材料が必要になる…か」


 すっかり設計書に魅入られたトマスは、もう既にアルトの声が届かない自分の世界へと突入していた。ぶつぶつと独り言を垂れ流すトマスに、苦笑を浮かべたアルトは、そっとその場を離れる。


―コンコンコン


 壁に寄りかかり、トマスの姿を遠めに眺めていたアルトは、扉が叩かれる音に気づくと、静かにそっと開く。


「…どうかされましたか」


 室内からの返事を待っていた執事長は、返事もせずに少しだけ開いた扉から顔を覗かせたアルトに怪訝な表情を浮かべる。


「ちょっと…」


 そういって指差すアルトに釣られるように、室内を覗いた執事長バルドメロの視線の先では、今も食い入るように図面に夢中になるトマスの姿が映る。


「ほほぉ」


 一言感想を零したバルドメロは、そのまま姿勢を正し、アルトへと向き直る。


「何が、ほほぉだ」


 扉越しの不機嫌そうなアルトの声に、バルドメロは、優しそうな笑みを浮かべる。


「いえいえ、あのリバデネイラ殿をあそこまで夢中にさせるとは、さすがだと思いまして」

「…」


 無言のままのアルトに、優しそうな笑みを濃くしたバルドメロは、そこで一度、コホンと咳払いをして、アルトの注意を引く。


「…で、こちらをお持ちしたのですが、どういたしましょう」


 振り返ったときには、もう既にいつものバルドメロに戻っていたため、アルトは何も気にすることなく、すぐ脇に置かれたワゴンへと視線を移す。


「あぁ…ありがとうございます。でも、今はいいかも…」

「それでは、必要になりましたら、お呼びください」


 そう言い残し、扉を静かに閉めて、お茶を載せたバルドメロを見かけたメイドたちは、いつもよりも数段御機嫌な様子な執事長に驚くのであった。




「ファーリス殿!すまなかった」


 昼近くの応接室、綺麗な垂直に腰を折り、頭を下げるトマスの姿があった。


「気に入っていただけましたか」


 しかし、アルトは怒るわけでもなく、優しく声を掛ける。彼としても、予想以上に興味を持ってくれたことが嬉しかったのだ。


「それはもう……、ただ…」


 顔を上げ、嬉しそうに破顔するトマスであったが、何か言いにくそうに口篭った。


「材料、ですよね?」


 しかし、心当たりのあるアルトは、嫌な顔一つ見せずに、最も難題となると予想していたことを投げ掛けるのだった。


「ああ…稼動させるというところもそうだが、この船は今までにない高速航行をしようとしているんだろう?」


 仕事に絡む話になり、急に真剣な顔になるトマスに、軽くアルトは頷いてみせる。


「となるとだ…耐えられる木材が限られてくる」

「ですね」


 この時、トマスは内心、驚いていた。噂に聞く人物であれば、少なくても不機嫌になるだろうくらいの予想をしていたのだが、目の前にいる青年は、全く気にもしていない。それどころか、問題点を押さえた上で、あえてこの場に臨んでいるその姿勢は、トマスにとって好ましいものであった。


「分かっているということは、解決策も考えているんだろ?」


 トマスの何気ないその一言に、アルトが少し考え込むような素振りを見せる。すぐに、 船大工を本職としている自分に思いつかない答えを目の前の青年が持っているはずがないと思い直したトマスは、この青年に答えを持っているんじゃないかと期待をしていたことに気づく。


「さすがに、「ええ、まぁ」そこま―」


 これ以上困らせないようにと、トマスが少しオドケタ調子で掛けた言葉に、アルトの声が重なる。相変わらず困ったように眉根を下げる青年の答えが信じられなく、思わずまじまじと見つめてしまうトマスに、アルトが困ったように灰色の髪をくしゃくしゃと握る。


「あるのか?!」


 しばらく固まっていたトマスであったが、自身の好奇心を抑えることができず、つい大きな声を上げてしまう。


「ちょっと、落ち着きましょうか」

「あ、あぁ…すまん」


 謝罪の言葉を告げながらも、この青年が答えを持っていたことをなぜか嬉しく感じてしまい、トマスは頬が緩んでしまうのを止められなかった。しかし、すっかり敬語もなくなり、嬉しそうに答えを待つトマスに、苦笑を零したアルトが真剣な表情を作ると、トマスも居住まいを正した。


「金属か魔獣の素材を使おうかと思っています」


 耳からの情報に頭の整理が追いつかず、ついそのまま無言になってしまったトマスが復活するのを、アルトは微動だにせず待っていた。


「…は?」

「え?」


やっと出てきたトマスの言葉に、アルトが驚き、また見つめ合う二人。


「あ~、ちょっと聞いていいか?」


 先に復活したトマスが、口を開く。


「え、ええ」


 トマスの声に引き摺られるようにアルトもまた調子を取り戻し始める。


「金属といったか?」

「ええ」


 探るように確認してくるトマスに、少し首を傾げたアルトが不思議そうに返事をする。


「それと魔獣の素材?」

「ええ、そうですけど…」


 徐々に自分の発言に自信をなくし始めたアルトの声が小さくなっていく。


「この図面を見ただけでも、そこそこの図体の船になると思うんだが…」

「……はい」


 徐々に凹んでいくアルトの姿に、トマスはトマスで、なんだか罪悪感を感じ始める。


「誰が加工するんだ?」

「え?」


 弱りきった顔で問い掛けてくるトマスの言葉に、アルトが何かに気づく。


「あっ、あ~!」

「なんだ…そんなことも考えていなかったのか」


 あからさまに肩を落とすトマスに、漸く調子を取り戻したアルトが笑みを浮かべた。


「違いますよ。私が加工するんです」

「はぁっ?!たとえ加工できたとして、どれだけの量になると思ってるんだ」


 何も分かってないと知ったトマスがあっけらかんとするアルトに、怒鳴り声を上げる。少量の金属でも、そこそこの腕がないと難しいと言われており、今までも幾度となく造船に取り入れようとする者が挑戦しては失敗してきたことをトマスは知っているのだ。


「もちろん、大部分は木材を基本に考えていますよ」


 それでもアルトは気にした風でもなく、笑顔を浮かべている。そんな姿に、もしかしたら、自分はとんでもないことに巻き込まれたのではないかとトマスは後悔し始めていた。


「それにしたってだなぁ…よ、予算は大丈夫なのか?」

「ええ、まぁそこは…なんとか」


 急に覇気を失うアルトに、トマスの後悔が強くなる。が、目の前に拡げられている設計書は、今まで見たことがない発想が詰まっており、実際に出来上がった姿を見てみたいという気持ちはどうしても抑えられなかった。


「なんにせよ、まだ粗すぎ…だな」


「そう…ですね」


 すっかり意気消沈してしまったアルトの肩をポンと叩き、トマスが笑みを浮かべる。なんだかんだとこの青年が気に入ってしまったことを自覚したトマスは、久々に感じている高揚感に、とりあえず、できることをやってみようと心に決める。


「差し当たり、もう少し詳細な設計と、必要となりそうな木材の調達から始めるとしますか、ファーリス殿」

「そうですね…と、いうか、今更、敬語やめませんか」


 げんなりした笑顔を見せるアルトに、トマスが、かかかっと笑う。


「ま、お許しがもらえるなら、そのほうがありがてぇ」

「敬語だったのは、ここに来たばかりの時だけですけどね」

「はっはっは、違ぇねぇ」


 こうして、二人は本格的に新造船の建造に乗り出すこととなる。




「わざわざ戻らなくても…」


 昼御飯の時間を挟んで再開したトマスに、アルトが不満そうに声を掛ける。


「まぁ、いろいろ確認したいこともあったしな」

「…そうですか」


 残念そうにするアルトにニヤリと笑ったトマスは、胸のポケットから2枚の図面を取り出して見せる。


「そんな顔をするのは、これを見てからにしてもらおうか」

「…これは?」


 拡げられた新造船の図面の上に、それぞれ半分くらいのサイズの新たな図面が拡げられる。元々、図面を見てるだけでも楽しめるアルトにとっては、新しいおもちゃを与えられたも当然であり、その顔に嬉々とした笑みが広がっていく。


「うちで請けた高速航行を目的としたキャラベルの基本設計と、その時に案として作った金属を取り入れようとした箇所が含まれた分割図だ」


 アルトが図面に魅入ってしまっていたため、トマスのどや顔は、誰の目にも留まることはなかった。しかし、それでもトマスは一人満足そうに頷くのだった。


「少しは参考になるだろう」

「ありがとうございます」


 アルトは一度、顔を上げて頭を下げる。


「よし!そしたら、基本設計と呼べる一歩手前くらいまで、今日は仕上げるとするか」

「はい!」


 そうして、二人は再び、図面に向かう。白亜の御殿の一室からは、このあと、夕方近くになるまで、ああでもないこうでもないという楽しそうな声が漏れてくるのだった。




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