穏やかな休日
第3話
「暇なんですか」
休日の朝早くからの来客に、不機嫌そうな顔を隠すことなく応対するアルト。
「おぬしに会いに来たのではない」
「アルは別にいらないよ」
「ふふふ…ごめんなさいね」
眠っているアオイをニコニコと眺める三人を睨みつけていたアルトは、わざわざ感情を顔に出しているにも関わらず、全く目もくれないその三人の姿に、はぁっと何か諦めたような溜息を零した。
新造船の建造に半ば強引に参加することとなったアルトは、この一週間、外に出ることなく、彼が借り受ける屋敷の一室に、ほぼ篭もりっきりの状態であった。というのも、休日が明けたら、再度トマスと会うことになっており、それまでに話ができるくらいのネタを用意しなくてはならなくなっていたのだった。
「で、どうなんじゃ?進んでおるのか」
「…さぁ、どうでしょう」
やっと目処がついて休めると思った休日の朝早くに、おそらく現時点で、このカンタブリア領内における一番の権力を持つ三人に押し掛けられ、しかも、その忙しさの原因を作った親子が目の前にいる状況というのは、アルトとしては複雑なものであった。
「こんなに朝早くに、御迷惑でしたわね」
今までアオイの寝顔に、目鼻立ちの整った顔を綻ばせ、かわいらしい笑みを送っていた女性がふいに身体を起こすと、不機嫌そうに顔を顰めているアルトへと申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえいえいえ」
慌ててそれを止めたアルトに、その女性が、思わず見惚れてしまうほどの笑顔を見せる。その美貌と華奢な体つきから、いかにも御嬢様といったこの女性こそ、おそらく領主よりも権力を握っているのではないかとアルトが思っている人物であった。
「…しかし、三人ともなんて珍しいですね」
「そういえば、三人で来たのは初めてじゃな」
漸くいつもの様子を取り戻したアルトに、ふぉっふぉっふぉと笑って答えた茶髪交じりの白髪の老人は、元この地の領主様であり…
「ほんとに普段は、敬語なんだな」
ニヤニヤと笑う、いかにも育ちの良さそうな気品のある顔立ちをした青年が、何を隠そう現領主の伯爵様である。
「そんなに嫌ですか」
「壁は感じる…な」
少し考えるような素振りを見せる領主に、アルトは、思わず苦笑してしまう。
「私も、何か壁みたいなものを感じます」
少し悲しそうに眉を寄せるダリアに、思わず揺れる心を落ち着かせると、口実を思いついたアルトは、わざわざ仕方がないといった感情を込めて彼女へと告げる。
「ダリア様も、敬語ではないですか」
しかし、その言葉に、待ってましたとばかりにダリアが顔を輝かせるのを見て、アルトは失敗したことを悟った。
「じゃあ、私―」
「お待たせしましたぁ」
アルトにとってはタイミング良く、ダリアにとっては最悪のタイミングで、お茶を持ったカエデが部屋へと入ってくる。
「助かったっ!カエデ」
「もうっ!!」
飛び跳ねんばかりに喜ぶ旦那と、拗ねたような表情を浮かべるダリアの姿に、状況を掴めていないカエデは、助けを求めるように領主親子へと視線を向ける。その先では、何故かファビラとエミディオまでもが残念そうに肩を落としている光景に、何か大きな失敗をしてしまったのかと勘違いしたカエデの表情が曇り始める。
「いや、カエデ殿は何も悪いことはしとらんよ」
見かねたファビラが声を掛けると、少し困った表情でエミディオが引き継ぐ。
「もう少しで、敬語じゃないアルが見られそうだったんだ」
「それは、申し訳ないことをしました」
本当に申し訳ないことをしたといった様子で頭を下げたカエデに、男性陣が逆に恐縮してしまう。しかし、その中で、ダリアだけが唯一膨れっ面のままカエデに視線を送っていた。
「ほんとに、もう少しだったのですよっ」
「まぁまぁ、その辺でー」
ダリアを宥めようとしたエミディオであったが、顔を上げたカエデの全く反省していない表情に、つい固まってしまう。軽く舌を出してみせるカエデに、思わずダリアが笑みを零したのを切っ掛けに、女性陣の笑い声が部屋を染めていく。
「女性というのは、なんとも…」
「怖い生き物ですねぇ」
「まったくだ」
わざとらしく怯える男性陣に女性陣が更に笑みを深くすると、ついには男性陣も堪えきれなくなった笑いを零す。休日の昼前だというのに、なんとも楽しそうな笑い声が、カンタブリア伯別邸に響き渡るのだった。
「そういえば、アイナ様はどうしたのです?」
一頻り笑い、全員にお茶が行き渡ったところで、いつもであれば今ここにいる伯爵家三人のうち誰かが側にいるはずであるエミディオの娘が気になったカエデは質問を投げ掛ける。
「カエデ様も、もっとフランクでいいのに…」
しかし、返ってきたのは、少しだけ寂しそうなダリアの呟きだった。思わず心を揺さぶられてしまったカエデは、ついアルトと同じ言葉を口に出してしまう。
「ダリア様もっ―」
「それ以上はダメだっ」
咄嗟にカエデの言葉をアルトが遮る。先程とは打って変わって悪そうな顔でチッと舌打ちをするダリアに、カエデは何事かを察して苦笑を浮かべていた。しかし、すぐさま表情を戻したダリアは、まるで何事もなかったかのように取り繕ってみせるのだった。
「ビビアナが一緒にいてくれているわ」
「……そうでしたか」
貼り付けたようなワザとらしい笑顔のダリアに、アルトとカエデの夫婦は揃って顔を引き攣らせる。さすがに、今回ばかりは、そんな義娘に困り顔を浮かべていたファビラであったが、にこりと微笑むとカエデへと声を掛けるのだった。
「しかしのぉ、もうちっと壁を崩してもらえると嬉しいのは本音じゃぞ」
カエデに向けていた笑顔を、今度は渋くさせてアルトへと続けて声を掛ける。
「特にアルトは、前を知っているだけにの」
そんな風に肩を落とすファビラは、本当に寂しそうで…
「でしたら、今日だけなら…」
「あっ、ばか」
ついに、カエデが陥落した。アルトが慌てて止めるも時既に遅く、ファビラの顔がにんまりとした表情へと変わっていく。
「では、とりあえず今日だけということで」
語尾を弾ませ、嬉しそうに喜びで染まった笑顔をカエデとアルトへと交互に向けるダリアに、カエデもまたかわいらしい笑顔で応えた。
「はい、とりあえず今日だけ」
4人から浴びる期待に満ちた視線に、思わず視線を背けたアルトは、スヤスヤと眠るアオイへと話しかけるのだった。
「はぁ…じゃあ今日だけな」
「どうして、こうなった」
暫くの間、昔話に花を咲かせていた五人であったが、陽も大分高くなってきた頃、そのうちの二人の青年が、屋敷の庭で向き合っていた。上段の構えを取る青年が、正対するもう一人の青年へと声を掛ける。
「少しはやる気を出さないか」
「…何故に?」
向かい合っている青年の方はというと、左手でくしゃくしゃと灰色の髪を握っており、模擬剣を握る右手は、いかにもやる気無さそうにだらんと垂らしていた。
「昔は、ようこうして模擬戦のようなことをしとったんじゃがなぁ」
「そうだったんですねぇ」
「エデュのあんな楽しそうな顔、久しぶりに見たわね」
そんな二人を、部屋から眺めている三人は、三者三様、楽しそうに会話を交わす。そんな三人に恨めしそうな視線を送るやる気のない青年に気づいたカエデは、顔は笑顔のままに少しだけ鋭くした視線とともに一声掛けるのだった。
「こらっ!少しはやる気を見せなさい」
「…はぁ」
そうして、この場に味方がいないことを、アルトは改めて知るのであった。
「仕方ない。ちゃっちゃと終わらせよう」
そう呟くと、だらんと下げていた右腕に少し力を入れて下段の構えを取ったアルトに、エミディオがにやりとした笑みを浮かべる。
「そう簡単に終わるかな」
言い終わるのが先か、踏み込むのが先か、ほぼ同時にエミディオはアルトへと向かっていくのだった。
「もっかい!もっかい頼む!!」
「…もう疲れた」
それから何戦か繰り広げた二人であったが、見た目とは対照的に、ほとんど服を汚していない青年のほうが先に音を上げる。
「わかった。これで最後にする」
「…ほんとだな」
アルトは、仕方がないといった雰囲気で、再度構えを取った。
「というか、いつかのように構えなくてもかかってくればいいだろう」
「今日は観客がいるからな」
「………そんな理由か」
「まぁな」
せっかくの綺麗な衣装をドロドロにして、無邪気な笑顔を浮かべるエミデュオに、呆れた視線を向けるアルト。
「最後だから、本気でいいぞ」
しかし、エミディオのその言葉に、一度はぁっと息を吐き出すと、アルトは、集中するかのように目を瞑る。今までの緩かった雰囲気が徐々になくなっていくそんな感覚に、エミデュオがゴクリと唾を呑みこむ。時間にして数秒後、ゆっくりと目を開けたアルトは、ギロリと鋭い視線をエミデュオに向けた。
「いや、アルちょっと待とうか」
その冷たい空気にエミデュオは自分の発した失言に気づく。
「本気でいいんだろう?」
しかし、アルトはニヤリと笑うと、冷たい視線をさらに鋭くさせるのだった。
「なんじゃ…だらしないのぉ」
「エデュのあんな顔…初めて見る」
顔色を青白くさせた青年に、実の父はやや呆れ気味に、嫁は心配そうに呟いた。
「アル~?あれ?アルく~ん??」
微動だにせず、じっと静かに見つめるアルトに、恐怖を押し殺し、声を掛けながら近づくエミデュオ。様子を伺うように中段に模擬剣を構えながら、そっと近づくエミディオの足が止まったその刹那、青白い光が一瞬だけ輝く。
―クシュンッ
先程までアルトの立っていた位置に移動したエミデュオは、何故かずぶ濡れでその場に立ち尽くしていた。
「これはないんじゃないか…な」
弱りきった顔のエミデュオは振り返ると、まるで汚い物でも見るかのように顔を顰めているアルトへと文句を言った。
「いや…ドロドロでばっちぃかったから」
そうしてお互い顔見合わせた二人は…
「くっ…「ははははは」」
どちらともなく噴き出すのだった。
「ぷ…「ふふふふふ」」
「ふぉっふぉっふぉ」
二階からも響く楽しそうな笑い声が二人の声と重なる。
温い風に運ばれた新緑の匂いが、屋敷を優しく包んでいく。そんな穏やかな春の一日は、こうして過ぎていくのであった。




