領主の依頼
第2話
「で、エミディオ様は御一緒ではないので?」
アオイが泣き出したため、場所を変えるため、吹き抜けたエントランスを望むことが出来る踊り場までくると、先を歩くファビラの背中へと、アルトが声を掛けた。
「あぁ、それなんじゃがなぁ」
急に雲行きが怪しくなってきたことに訝しげな表情を浮かべたアルトが再び手紙を取り出す。
「一緒にくるのではなかったので?」
「いや、その予定じゃったんじゃがのぉ」
じっとりとした視線を受けたファビラは、あからさまにその視線を避けるように玄関へと視線を移す。
「そ、そろそろ、来るはずなんじゃがなぁぁ」
ちらちらと様子を窺いつつも、決して視線を合わせないようにするファビラに、はぁぁっと長い溜息を吐くアルトであった。
「久しぶりだなアル」
開口一番、昔と変わらない貴公子然としたその青年の姿に、アルトが、フッと笑みを零す。茶色の髪に同じ色をした瞳、優しさと厳しさが内包された端整な顔立ちと、その凛々しい立ち振る舞いは、全盛期のファビラを彷彿とさせる。
「偉くなったもんだなぁ、エデュ…じゃなかった、エミディオ様」
久々に会った青年の纏う昔と変わらぬ空気に、つい懐かしくなったアルトが、軽口を叩く。しかし、エミディオと呼ばれた青年の後ろに控えている暗い茶色の髪に無精髭を生やした職人風の男は、その馴れ馴れしさと一瞬、愛称で呼ぼうとしたこの青年に、目を丸くするのだった。
エミディオ・デ・カンタブリア伯爵、白亜の御殿の現持ち主であり、カンタブリア伯領の現領主である。若くして領地を継ぎ、勇猛果敢な父の血に優しさを兼ね備えた温厚な領主として知られているこの青年は、領民たちからも慕われており、父に負けず劣らずの良識者として、既に周辺には知れ渡っている人物である。
とはいえ、身分制度がある社会において、伯爵に対して戯けることができる平民なぞ滅多にいるはずもなく、誰から見ても、今の状況が、不敬罪に問われても何らおかしくないことは間違いないのであった。
しかし、そんな同行者の不安を他所に、若き伯爵は、軽口をたたく青年の横に立つ自身の父親をチラリと見ると、まるで挑発するかのようにニヤリと笑みを浮かべる。
「アルがこの爺さんを引き吊り下ろしてくれたからな」
若い領主の同行者と思しき男は、そんな良識溢れると噂される人物の発言に更なる衝撃を受け、青褪めた顔で固まってしまう。
早くに領主の座を譲られた息子が、そのことを未だに納得していないことを知っているファビラは、これ見よがしに肩を竦めてから、呆れたような苦笑をアルトへと向ける。それに答えるように肩を竦めてみせたアルトは、ふいに何か面白いことを思いついたのか、少年のような笑みを浮かべた。
「それじゃあ、謝礼でもいただかなきゃなぁ」
その言葉に驚くこともなく、にやりと悪戯小僧のような笑みを浮かべた目の前の青年に、したり顔だったアルトの表情が徐々に曇り始める。
「ほれ」
嬉しそうに上着の中から、質の悪い紙に包まれた何かを取り出した青年は、アルトへとそれを差し出す。
「はっ?!な、なんの冗談だ」
慌てふためくアルトへと、愉快そうに笑いながらほれほれと包みを渡そうとするエミディオ。堪らずファビラへと視線を向けたアルトであったが、渋い表情を浮かべたファビラに受け取るよう促され、渋々とその包み紙を受け取るのであった。
「開けていいぞ?」
包み紙を受け取ったまま、開こうともせず怪訝な表情を浮かべるアルトに向かって、からかう様な笑みを浮かべたエミディオが小馬鹿にするように声を掛ける。それでも、やはり包みを開くことに抵抗があるのか、手の上に置かれたその物体をじぃっと見つめるアルトの姿に、エミディオがくくくと笑いを零す。
「生まれてきた子供への祝いだ、ばぁか」
下を向いてプルプルと震えだしたアルトは、キッと前を睨みつけると、手に持った包み紙を振りかぶる。
「てめ、こら、おもてでろ」
「あぶねっ、おまっ、投げるやつがいるかっ!」
投げ返された包み紙を抱えるようにして受け止めたエミディオが前を向いたときには、アルトの指先に魔術陣が浮かび上がる。
「ま、まてっ!落ち着け、な」
徐々に増えていく魔術陣に、片手を前に突き出しながら、エミディオが後ずさる。
「二人ともいい加減にせんかっ」
二人の遣り取りを懐かしく思いながらも、客人の手前、渋い表情で一部始終を傍観していたファビラであったが、困惑しきっている客人の姿を見て、さすがにこれ以上続けさせるのはマズイと思い、二人の仲裁に入った。
「おぬしも笑っとらんで止めんか、まったく」
エミディオのすぐ横で、二人の姿を微笑ましく見ている歯止め役であるはずの執事長へファビラが呆れたように声を掛けた。
「ちょっと懐かしく思ってしまって…、失礼いたしました」
魔術陣は解いたもののちっとも反省した様子のないアルトと、強張った笑顔でそれを宥める息子に、珍しく照れたような笑みを浮かべたまま、再び二人の青年を暖かく見守ったまま一向に止める気配のない執事長という構図に、頭を抱えたくなるファビラであった。
「アルト、紹介しよう。彼がトマス・リバデネイラだ」
バルドメロの案内で応接室へと移動した一行は、やっと落ち着いた雰囲気を取り戻していた。ただ案内されるまま付いて来た無精髭を生やした職人風の男だけは、まだどこか遠い目をしており、エミディオの紹介を受けて、おずおずと頭を下げる。
「はじめまして、アルト・ファーリスです」
「リバネ造船をやっておりますトマス・リバデネイラと申します」
アルトの差し出した手を、トマスがぐっと掴む。予想に反して礼儀正しいトマスに、少し驚いていたアルトであったが、そのゴツゴツとした手に、やはりこの目の前の人物が職人であることを確信した。
「トマスはのぉ。全く同じ形式の船を、滅多に造らない我儘な男なんじゃがな。それでも、腕は相当のものじゃから、こやつの船に乗ることが一部の者の中では、一種のステータスになっておっての。まぁ知る人ぞ知る職人ってところじゃな」
自分の紹介をされているというのに、この時、トマスは別のことを考えていた。このカンタブリア伯領の西端で起こった5年前の痛ましい事故のことである。
今から4年とちょっと前、年の瀬の休暇期間に起こった大規模な崩落事故は、今でも多くの人の記憶に残っている。領内の西端で発見されたばかりの洞窟で発生したその事故で、当時、まだ領主だったファビラの下の娘も犠牲となっていた。新たな年を迎える前の長い休暇のために多くの者が、その洞窟へと足を踏み入れており、稀にみるほどの多くの死傷者を出した悲しい事故であった。
「そのリバネ造船の方と私を何故お引き合わせに?」
「それなんじゃがのぉ」
「親父っ!依頼を出すのは俺だ」
トマスが物思いに耽っている間も、賑やかに会話が続いていく。しかし、どうしても、目の前の灰色の髪に黒い瞳の青年を見ると、トマスはその悲しい事故のことを考えてしまうのだった。
その当時、事故の報告に戻ってきたのは、二人の若い男女であった。目立った怪我もない二人の報告を受け、すぐさま救援の部隊が送り出された。この時、二人がほとんど怪我をしていないことに安堵していた者たちは、その後、大崩落の犠牲者が大勢いることに驚き、疑念を含んだ注目を、この二人に向けることとなる。
「アルトに新造船を設計してもらいたい」
「…はっ?!」
エミディオの言葉に、眼を大きく見開いたアルトは、ファビラへと救いを求めるように視線を移す。しかし、その先にいた老人は、嬉しそうに頷くのみであった。思考の渦に囚われながらも、三人の声が耳に入ったトマスの視線もまた、その老人へと向いていた。
事故の規模が分かると、当時の領主であったファビラは、すぐに、犠牲者を多く出してしまった責任として、事後処理の終了とともに領主が引退することを発表する。そのことで、領民の関心は、一時的に事故の話題から新しい領主へと移り始めるのだった。そして、新体制への期待や不安といった混乱が暫く続くと、自然と二人への関心は薄まっていったのだった。
そんな昔話を思い出しながら、何となしに視線を戻したトマスは、自分に向けられている黒い瞳にハッとする。
「リバデネイラ殿は、どこまでお聞きになっておいでなんです?」
「あ、え~っと…」
首を傾げる目の前の青年の姿を見ると、どうしてもその事故のことを思い出してしまい、トマスは動揺を隠せないでいた。
その後、事故に対する対応が進み始め、漸く領民の関心が二人へと戻ってきた時には、既に二人は領内から旅立った後であった。そのため、様々な憶測を呼び、面白おかしく伝聞されたその時の噂は、今も信じている者が多く存在する。その若い男女のうちの一人というのが、この地方では珍しい灰色の髪に黒い瞳をした容姿をしていたと言われており、今まさに紹介された青年の特徴そのものであったのだ。
「トマスには、面白いものが造れるかもしれないから、ちょっと会わせたい奴がいるとしか伝えてない…が」
「…なるほど」
仮にも、領主と元領主という立場上、多くの人と触れてきている二人にとって、トマスが今、何を思うのか手に取るように分かってしまっていた。もちろん、そんな二人と対等に言葉を交わすアルトもまた、トマスが何を気にしているのか気づいていた。
「…リバネデイラ殿?」
「はっ、はいっ」
今まで温厚な雰囲気を醸し出していた青年が少しだけ目つきを鋭くさせる。それだけで部屋の空気が変わったのが分かったトマスは、同時に、その特徴的な容姿と冷たく鋭い視線を向けるこの目の前にいる青年こそが、間違いなく噂の青年であると確信めいたものを感じていた。そして、思わず身構えてしまったトマスは、青年の表情に悲しみが混じるのを見てしまう。
「一つ、お聞きしてもよろしいか?」
出した本人が驚くほどの低い声で問い掛けられたアルトの肩が、思わずピクリと跳ねる。仮に噂の青年だとしたら、何故ここに今いるのか、ファビラと仲が良さそうなのは何故なのかと、次から次へと湧いてくる疑問を止められないトマスは、その青年が悲しそうな表情を浮かべたことで罪悪感まで感じてしまい、訳の分からない腹立たしさに襲われていた。
「あ―」
「その質問には答えられん」
しかし、何か言おうとしたアルトを手で制したファビラが、はっきりと即答する。
「な、…ファビラ様に伺ったわけでは―」
「1ヶ月」
人差し指を立て、鋭い眼光で見つめるその威圧感に、トマスは思わず息を飲む。
「もし、この仕事、試しに1ヶ月だけでも引き受けてくれたら、その疑問にわしが代わりに答えてやってもええんじゃがなぁ」
「………信じてもよろしいので?」
ファビラとトマスの間で話が進んでいく。既に立ち直っていたアルトが、慌てて止めに入るのだが…。
「あの?私のこ―」
「トマスも引き受けてくれることになったし、楽しみじゃのぉ」
ファビラの楽しそうな声が掻き消していく。
「具体的な話も聞いてないし、そもそも、引き受けるとも…」
「何か言ったかのぉ」
「アル!楽しみに待ってるからな」
唖然として呟くアルトの小さな声は、領主と元領主の親子の笑い声に埋もれてしまう。そんな何だかんだと楽しそうな三人の姿に、先入観を捨て、しっかりと自分の目で、この目の前の青年のことを見極めたいという気持ちがトマスに芽生えるのだった。




